彼と彼女の話(7)
ロイから家を継がない旨の話をされたフリードリヒは、まるでそれを予想していたかのように落ち着いて彼の話を聞いていたという。
家族より友人と恋人を選んだ息子の選択に激昂しなかったのはきっと、彼に家を継ぐ気がないのを薄々勘づいていたからだろう。
フリードリヒは『まだ焦って答えを出すな。今はまだ決断を急ぐ時じゃない』と言いつつ、猶予期間をさらに2年延ばした。また、その間の嫁探しは今後強要しないことを約束したそうだ。
「そんなわけで現状は何も変わっていないんですけどね。でもその2年は諸々の準備期間と最後の悪あがきってところでしょうし、実質問題は解決したと言っていいでしょう」
とある晴れた日の昼下がり。午後のおやつを用意するエマの前に菓子折りを持って訪れたロイは爽やかにそう報告した。
菓子折りを受け取ったエマは何とも言えない表情になる。
「……まさかそれを捨てるとは思いませんでした」
てっきり、諦めて中央での出世の道を選ぶと思っていたのに。こいつは本当に生粋の下僕体質だなとエマは思う。
「まあ、でも丸く収まったのならよかったです」
「はい、お陰様で」
「それにしても、何だかシエナ様の思う壺ですね」
「そうですね。手のひらの上で踊らされた感はあります。結局、お見合い相手もイーサンだったし。あんなの、僕を煽るためだけに用意したのが明白ですから」
「あ、いえ。そうではなくて」
「え……?」
「あー、いや。うーん……」
エマはもらったお菓子の箱を眺めながら、少し躊躇しつつも続けた。
「良い感じに収まるまでは黙ってなさいと言われていたので、言わなかったんですけど……」
「え、何?怖いんだけど」
「実は私たちがお見合いする少し前にブライトン伯爵からシエナ様にお手紙が届いてまして」
「え……」
「詳しくはわからないのですが、ロイ様のことについての相談だったようです。だからもしかしたら、ハメられたんじゃないかなと」
「いやいや、そんなはず……」
「それにほら、シエナ様にとっても陛下にとっても、ロイ様はただのロイ・フェローズでいた方が都合が良いですし」
器用貧乏で何でもそつなくこなす、下僕体質の幼馴染。
その忠誠心は疑う余地もなく、国のため、アーノルドのためならば身を粉にして働くワーカーホリック。
「こんなに使い勝手の良い駒、そうそういませんよね……」
エマは憐れみの視線をロイに向けた。
ロイの顔はみるみる内に青くなった。
*
「シエナ!」
例の温室に現れたロイは走ってきたのか肩で息をしていた。
ガーデンテーブルでエマのお茶を待つシエナは、そんな彼に余裕の笑みを浮かべる。
向かいに座るアーノルドはこれから始まるであろう喧嘩に巻き込まれぬよう、テーブルに突っ伏し、寝たふりをした。
「あら、どうしたの?」
「うちの父に何を言ったんですか!?」
「何のこと?」
「惚けないでください!父と連絡を取っていたんでしょう!?ネタは上がってんですよ!!」
「嫌だわ。何か勘違いしているようだけれど、私はただ、『息子が自分の言葉をのらりくらりと躱し続けていて今後についての話が一向に進まないから、皇后陛下の方から言ってやってくれ』と言われただけよ。だから私は、じゃあ恋人の方に話をしてはいかがかと助言したの。私の可愛いマーシャはそこら辺の女とは違う、話のわかる人だからと」
「はぁ!?」
花瓶に生けられた花を愛でながら、シエナはシレッと言った。
ロイはその言葉で全てを察した。
「ああ、そうですか。そういうことですか。つまり、シエナの助言があったから父はマーシャに身を引くように言ったと。それが全ての始まりだったと」
「別に伯爵がマーシャに話す内容までは干渉していないわ」
「干渉してなくても父がどんな話をするのかくらい、あなたならわかるでしょう!?」
「そりゃあわかるけど」
「危うく別れるところだったんですけど!?」
「そうなればいいと思っていたわ」
「はい?」
シエナはマーシャに目配せをし、彼女を自分のそばに呼んだ。そしてマーシャの腕に絡みつき、口元に不敵な笑みを浮かべてロイを見上げる。
マーシャはすでに事の真相を聞かされていたのか、諦めたような目していた。
「私ね、最近のマーシャが自信なさげなのも、元気がないのも全部ロイのせいだって気づいたの」
「そ、それは……」
「でも貴方はマーシャの不安に全然気がつかないし、いつまでも現状維持のまま。だから、修羅場でも起こしてやろうかなって。これでもしマーシャを選べないようなら、そもそもロイはマーシャに相応しくないわけだし」
「ぐぬぬぬ」
痛いところを突かれたロイは悔しそうに奥歯をぎりぎりと鳴らした。
それを言われてしまっては何も言い返せない。
シエナはそんな彼をフッと嘲笑った。
「良いじゃない。丸く収まったのだから」
「それは結果論でしょう」
「私がこの結果を予測していなかったとでも?」
「……思いませんけど」
「でしょう?ではここはむしろ、私に怒鳴るのではなく、感謝すべきところではないの?」
「絶対嫌です!!」
ロイはそう叫んで、プリプリと起こりながら温室を後にした。
言い負かされて悔しそうに去っていく後ろ姿は、幼い頃から何も変わらない。
シエナは頬杖をつき、本当に使いやすいとつぶやいた。
アーノルドは顔を上げ、何とも言えない表情で妻を見る。
「シエナ。あんまりロイで遊ぶな。あいつは俺の副官である前に友人だ」
「私にとっても友人よ。……だから、いつまでも手元に置いておきたいじゃない?」
シエナは満面の笑みを浮かべた。
「怖いよ、シエナ」
妻の笑顔が怖い。アーノルドは背筋に悪寒が走った。
「お茶を……、お持ちしました?」
怒りながら温室を去っていったロイ。げっそりとしたマーシャ、妻にドン引きするアーノルド、そして満足げな顔をするシエナ。
ロイと入れ違いに入って来たエマはこの状況に戸惑いつつも、とりあえず全員分のお茶を用意した。
「そういえばマーシャ。手切れ金はどうしたの?」
エマのお茶を飲みながら、シエナはマーシャに尋ねた。
「もう返した?」
「それが、返さなくていいと言われました。もしロイ様が本当に爵位を継がないのなら、彼に相続できるものは何もないからって」
「少し早めの結婚祝いってことかしら」
「さあ、どうでしょう」
フリードリヒの真意はわからない。だがマーシャが小切手を持ってフリードリヒを尋ねた時、申し訳ないと謝る彼女に彼はどこか安堵したような顔をしていた。もしかしたら、本当は思い合う二人を引き裂くことに罪悪感を持っていたのかもしれない。
「ブライトン伯爵はあと2年待つと言ったそうね」
「はい、そのようです」
「ふーむ。2年か」
シエナは目を閉じ、考えた。
「ブライトン伯爵家はもともとロイの弟が伯爵のサポートをしていたのよね」
ということは、彼が爵位を継ぐことになっても、ブライトン領は特に何も変わらないだろう。
そうなると、正式な爵位の継承はおそらくは次男が結婚したくらいのタイミングにはなる。
「……ロイの弟に良い感じのご令嬢を紹介しようかしら」
「それ以上首を突っ込んだら流石のあいつも黙ってないぞ」
まだ幼馴染を振り回そうとするシエナに、アーノルドはいい加減にしろと額を小突いた。
エマはそんなシエナを見て、やはりあの補佐官は一生下僕なのだなと思った。




