彼と彼女の話(5)
空が茜色に染まる頃。シエナが用意した男が目の前に現れ、マーシャは妙に納得してしまった。
(まあ、そうよね。呼び出してすぐ来る優良物件の男って言ったらこの人よね)
顔がよく、強く逞しく、それでいて女性に対しては優しく。家格は侯爵だが両親はすでに他界しており、元々結婚するつもりのなかった彼は早々に後継者を決めているため、結婚するとしても子どもを産む必要がない。言い換えれば、今の仕事を辞める必要もないということ。最低限の社交さえすれば文句は言われないし、その際は気立の良い彼の妹がそばにいてくれるだろう。
一般女性にとっては微妙な条件でも、仕事を続けたいマーシャにとっては最良の物件だ。
「ごきげんよう、ベレスフォード閣下」
「……ごきげんよう、ランドルフ卿」
珍しくラフな格好で現れたイーサンはやや不機嫌そうに、ベンチに腰掛けた。
シエナが直々に呼び出し、シエナのプライベートスペースである彼女の温室に案内されたものだから、無いとわかっていても一ミリくらいは期待してしまったのだろう。かわいそうに。
マーシャは申し訳無い気持ちで一人分の隙間を開けてイーサンの横に座った。
「……」
「…………」
無言が気まずい。やはり、騙された事を怒っているのだろうか。マーシャは肩を窄める。
「す、すみません。何か変なことに付き合わせてしまって……」
「いや、別に」
「あの、シエナ様には何と言われたんですか?」
「大事な話があるから二人で会いたいと言われた」
なるほど。そして温室前まで来たタイミングで、着飾ったマーシャを紹介された挙句、呼び出した本人は『あとは若い二人で』という仲人の定番台詞を吐いてサッサとどこかへ消えてしまったというわけか。
マーシャはため息混じりに、もう一度イーサンに頭を下げた。
「本当にすみません」
「なあ、ランドルフ卿」
「はい」
「これは見合いなのか?」
「一般的には、多分……」
「そうか……」
わかりやすい落胆の声。正直に答えただけなのに、また空気が重くなった。もうマーシャにはどうするのが正解なのかわからない。
「えっと……、ご、ご趣味は?」
「……おい」
「はい、何でしょう」
「まさか、このまま見合いをするつもりか?」
「一応、シエナ様にご紹介いただいたので」
「どういう理屈だよ」
「何と言いますか、機会を無駄にすると後が怖いなと。だから最低限、形式的なことはしておこうかと思いまして……」
「……ははっ!そういうところ、どこぞの補佐官にそっくりだな」
さすがはシエナの忠犬だ。何が面白いのか、イーサンはクスクスと笑う。
「というか、君。あいつはどうしたんだ?」
「あいつ、とは?」
「あいつだよ。ロイ・フェローズ」
「ああ、次期ブライトン伯爵のことですか」
「なんだよ、その呼び方は」
「もう親しい間柄ではないので」
「……そうか。それは残念なことだ」
「残念?」
「あいつの友人としてはな。君たちはとてもお似合いだったから」
イーサンは大きく背伸びをして、ベンチの背もたれに寄りかかった。
いつもは、座る時も軍人らしくシャンと背筋を伸ばす彼の珍しい姿に、マーシャの心は少し緩んだ。
「お似合いなんて、そんなわけないです……。私なんて、彼には相応しくありません」
マーシャは伏目がちに笑った。
上手く笑えているかは、鏡がないのでわからない。
「こんな風に着飾ってみても、所詮はお貴族様の真似事でしかない。ドレスもまともに着こなせない女は彼の隣に相応しくないです」
シエナが用意してくれたのは、どこかの情けない男の瞳と同じ、深い青。金糸の刺繍は主張しすぎない上品な紋様を描き、大人な女性を演出してくれている。この間着た黄色のワンピースとはまるで正反対のドレスだがそれでもやはり、似合わない。
きっと、この高級な生地を身に纏うには、身分が足りていないからだろう。
「分不相応、というやつですね……」
「そうか?似合ってるぞ」
「……え?」
「そのドレス、シエナ様に選んでいただいたのだろう?」
「ええ、まあ」
「よく似合っている。君のその凜とした面差しがよく映える」
イーサンはまるで当然だと言わんばかりに、マーシャを褒めた。
おそらく、落ち込む彼女に気を遣っているわけではなく、本当にただ似合っているからそう伝えたまでなのだろうが、それでもさらりと女性を褒める姿は意外すぎる。さすがは高位貴族の男だ。
「そんなに自分を卑下するな。確かに見慣れないが、今の君はとても美しいよ」
「……閣下は意外とモテるでしょう?」
「何だよ、急に」
「いえ、お世辞がお上手だなと」
「別に世辞を言ったつもりはない。事実を言っただけだ」
「そういうところですよ。もう、シエナ様への不毛な片思いはおやめになったほうがよろしいのでは?」
「不毛って言うなよ」
「だって不毛でしょう?」
「確かにそうかもしれないが……」
「シエナ様があなたの方を向くことは絶対にありません。あなたが皇帝になったとしても無理ですね」
「ハッキリと言うなよ。わかってるから」
「なら良いのです」
訂正しなければ。この男、イーサン・ベレスフォードは一般女性にとっても間違いなく優良物件だ。
顔がよく、地位も名誉も金もあり、且つ性格も真面目で優しい。堅物なところは玉に瑕だが、愛情表現は素直にする方だろう。
マーシャは、この男が未だ既婚者のシエナに思いを寄せ続けていることを勿体無いと思った。
「どうです?これを機に、閣下も新しい恋を始めて見てはいかがです?」
「それは、君とってことか?」
「お試しに、どうですか?」
「そうだなぁ」
半分くらいは冗談のつもりで言ってみたマーシャ。イーサンもそれがわかっているのか、この冗談に乗っかって迷うふりをする。
しかし、彼は不意にマーシャの腰に手を回した。そしてグイッと引き寄せ、耳元で囁いた。
「悪いが、遠慮しておくよ」
「……え?」
困惑するマーシャはイーサンの顔を見上げた。イーサンは不敵な笑みを浮かべて彼女の頬に手を添える。それは申し出を断る男がする行為ではなかった。
「か、閣下……?」
「お迎えだ、ランドルフ卿」
「お迎え……?」
「マーシャ!!」
名を呼ばれて振り向くと、そこには別れ告げたはずの男がいた。
走ってきたのか、服も髪も乱れている。
「ロイ様……?どうしてここに?」
「マーシャ。僕はまだ別れに同意していません。だから……」
温室の美しい花々たちには目もくれず、ロイは一直線にマーシャたちの所まで来た。
そしてマーシャに触れるイーサンの手を引き剥がした。
「僕の恋人に気安く触らないでもらえますか?」
精一杯の力でイーサンの手を掴むロイ。けれどやはり、力の差は歴然であっさりと振り払われてしまう。
ロイは悔しそうにギュッと拳を握った。
「マ、マーシャから離れろ!」
「ハハッ。お前、そんな顔もできるんだな」
「笑うなよ!そんな顔ってどんな顔だよ!」
「嫉妬に狂った醜い男の顔だ」
イーサンは立ち上がるとマーシャの頭をポンと撫でた。
そしてロイを煽るように、また彼女の耳元で囁いた。
「君も素直になるといい」
マーシャは耳にかかる彼の吐息がこそばゆくて、咄嗟に耳を塞いだ。ほんのりと頬を赤く染める彼女にロイは気が気ではない。
「では、お邪魔虫は退散するとしよう」
イーサンは見たことがないくらいの優しい笑みを浮かべ、手のかかる友人カップルに背を向けた。
*
イーサンが温室を出ると満足げに微笑むシエナがいた。隣に立つエマは何が何だかわからないといった顔をしている。
「お役目は果たせましたか?シエナ様」
「はい、ありがとうございます。助かりました」
「なら良かったです」
「閣下も誰か紹介して欲しかったらいつでも言ってくださいね」
「自分は結構です。生涯独身を貫きますので」
心に想う人がいる以上、愛せない妻を娶ることはしたくない。
そんな中途半端なことはできない。
不器用な男は自分の想いを胸に秘め、颯爽と宮殿を後にした。




