37:マーシャの怒り
話し終えた皇太后ヴィクトリアはどこか肩の荷が降りたようなスッキリした表情をしていた。
対してシエナは頭が追いつかないのか、珍しく呆然としている。
マーシャはそんな対照的な二人を見て、ギリッと奥歯を噛み締めた。
確かにこの話は一人では抱えきれないものだったと言われればそうなのだろう。けれど、これはあまりにも一方的で身勝手だ。
皇太子妃に堕胎剤を盛り、ハワードの思惑を知りながらそれに手を貸した。ヴィクトリアが犯した罪はこの国の皇族として許されぬ行為。
それを『嫌わない』と約束させた上で聞かせるなど……。
マーシャは耐えきれず、口を開いた。
「……それを何故、今更?」
その声色はひどく冷たく、怒りを抑えるようにスーッと息を吐き出すも、握る拳には力が入っている。その様子から、彼女が必死に怒りを内に押さえ込もうとしているのが、ヴィクトリアから見てもわかった。
「こんなことを今更話されても、どうしようもないのよ……」
もう手元に疑惑のクッキーもなければ、堕胎剤を盛った時の目撃者もいない。唯一用意できる証拠はヴィクトリアの懺悔を聞いたというハワードの証言だけ。こんなもので、彼女の過去の罪を裁くことは不可能だ。
「あの時のシエナ様の流産は皇太子妃になったばかりの時期ということもあり、新しい環境からくるストレスが原因だろうと診断されています。貴女が今更自供したところで、私たちはそれを立証する術を持ちません。それなのに、何故今更こんなことを言うんですか?」
「そ、それは……」
「麻薬の件で裁きを受けるから、どうせならついでの過去の罪も懺悔しておこうと?」
「そんなつもりはっ!」
「じゃあどんなつもりよ!」
「だから、全部話そうと思って……、言わないといけないことだから……」
「言わないといけない?堕胎剤のことを自供しようがどうしようが、貴女の罪は麻薬事件に関することだけなのに?全部を話す必要がどこに?」
「……でも、罪は罪だから」
「だったら罪を犯したときに言えばよかったじゃないですか。今更言われても困ります。
話して楽になりたかっただけでしょう?長々と自分の不幸な生い立ち付きで語って、あわよくば許してもらおうとか思っているんですか?」
「……」
「私はこんなこと、シエナ様には聞かせたくなかったわ!」
きっとシエナはまた一人で抱え込んで、一人で悩む。それがマーシャにはよくわかってしまうのだ。
マーシャは内圧を下げるように息を吐き出すと、重く低い声で尋ねた。
「流産した後、シエナ様が元老院のジジイ共からなんて言われていたか、貴女が知らないわけではないでしょう?」
同じ経験をしてきたヴィクトリアが、シエナに浴びせられる言葉の数々を知らない訳がない。それなのに……、ヴィクトリアは傷ついて悲嘆に暮れるシエナをその都度慰めていた。何も知らないみたいな顔をして。
「ヴィクトリア様は、罵倒されて苦しむシエナ様を一体どんな気持ちで抱きしめていたんですか?」
「……そ、それは、その」
マーシャの視線に耐えられず、ヴィクトリアは俯いた。そんな彼女の態度が、さらにマーシャの怒りを刺激する。
「……私、ずっと貴女のことが嫌いでした」
本当はこの女は、昔から信用ならなかった。主人を見るときの目が、嫉妬に揺れていることを薄々感じ取っていたから。
「でも、シエナ様は何度進言しても、そんなことないとしか言いませんでした。これがどういうことだかわかりますか?」
あの疑り深いシエナが、心から信じ切っていた人。そんな人からの裏切り。こんなの、許される訳がない。マーシャはギリッと奥歯を鳴らした。
「ごめ……、ごめんなさい……」
ヴィクトリアは静かに涙を流した。それはなんの涙だろう。その涙からはマーシャには何も感じ取れなかった。
雫が落ちて小さな水玉模様を作る床。静かな牢の中で啜り泣く女の声がこだまする。
ようやく状況が理解できてきたシエナはマーシャを下がらせて、泣き崩れるヴィクトリアにいつもと変わらぬ口調で、いつもと変わらぬ笑みを浮かべて言った。
「話してくださりありがとうございます」
「……シ、シエナ……」
「このことは、私から陛下にご報告しますね」
シエナは静かに立ち上がるとヴィクトリアの顔を見ず、踵を返し、外へと向かう。
途中、縋るように伸ばされた彼女の手を避けたように見えたが、マーシャは何も言わなかった。
背後に響く泣き崩れる彼女の声は近いのに遠くて、シエナは聞こえないふりをした。
看守に後を引き継ぎ、地上へと続く階段をゆっくりと歩く。一段一段、確認するように。
地上に出ると、赤く染まった空が遠くまで広がっていた。
「マーシャ」
どこまでも果てしなく続く真っ赤な空を見上げ、シエナはマーシャの名を呼んだ。
マーシャは彼女の傍らに跪き、頭を下げた。
「ごめん。陛下に報告しておいてくれる?」
「はい」
顔が上げられない。声はいつも通りだけど、多分シエナは今、涙を流している。
上から落ちてきた雫が、土を濡らした。
「……雨だわ」
「そうですね」
「本降りになる前に、早く帰りましょう」
「はい」
マーシャはシエナの後ろを歩き、本宮へと歩いた。




