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17:皇后シエナの叫び


 ヴィクトリアのもてなしを受けたシエナは、マーシャから今日の報告を受けた後、寝室へと向かった。夫とは顔を合わせたくない気もするが、マーシャに『意外にも早く餌が釣れているので早く仲直りしてください』と怒られてしまったため、彼女は仕方なく寝室のドアを開ける。


(まあ、いつまでも逃げていちゃダメよね)


 帝国のためにも、くだらないことで仲違いを続けていて良いわけはない。心を通わせることは出来ずとも、表面上だけでもきちんとしたコミュニケーションを取れる状態にまでは持っていくべきだ。シエナはゆっくりと深呼吸をして寝室の扉を開けた。


「……何をしてるのですか?」 


 中に入ると、そこに居たのは灯りすらつけずに、ベッドの上で土下座している夫だった。謝罪したい気持ちは伝わるが、イマイチ反省している感じは伝わってこない。呆れたようにため息をついたシエナは、その息と共にこう吐き出した。


「……が高い」


 その低く、重い一言が闇に包まれた部屋に響く。

 謝るために土下座をしているのに、ふかふかのベッドの上だと些か真剣さに欠ける。本当に謝る気があるのかと疑いたくなるのだ。これがパンツ一枚で、且つ砂利の上ならば彼の真剣さはちゃんと伝わっただろうに、などと彼女は思った。

 アーノルドはシエナの指摘に対し、すぐにベッドの上から降りると冷たい床の上に正座し直した。ベッドのすぐそばに敷いてある絨毯の上を避けたのは正しい判断だろう。


「あ、あの、シエナさん、お話ししたいことがあるのですが……」


 心臓が押しつぶされそうなほどに重い空気の中、恐る恐る口を開いたアーノルドは少しだけ顔を上げた。腕組みをしたシエナと目が合う。彼女の端正な顔立ちで無の表情をされると、怖さが百倍に増す。アーノルドは声を振るわせた。


「あ、あああ謝りたいことがある、です…」

「謝りたいこととは?陛下は何か私に謝らなければならないことでもしたんですか?」


 何を謝ろうとしているのかわかっているのに、あえてそれを聞くあたり相当怒っていると判断して良いだろう。そう察したアーノルドは、小さく『ヒッ』と声を上げた。


「あ、愛人の件、です。嘘を、ついて、その、ごめんなさい」

「嘘と言いますと?」

「ア、アメリは女装させたロイでした」

「知っていますが?それで?」

「そ、それで、だから……。傷つけてしまってごめんなさい……」


 大国の主の弱々しく情けない謝罪に、シエナは『はあ』という大きな声とともに息を吐き出した。

 別にシエナはあのくだらない嘘に傷ついてなどいない。何をやっているのだと呆れたし、腹を立てたりはしたが、それによって傷ついてなどいない。望んでいた言葉が返ってこなかった彼女はわかりやすく落胆した。


「なんであんな嘘ついたんです?」

「えっと、シエナに嫉妬して欲しくて……」

「でしょうね」

「でしょうねって……。わかってたのか?」

「そんなことだろうと思ってました。どうせ『本当に愛人を連れてきたら、焦って愛人を作れなんて言わなくなるんじゃないか』とか考えていたのでしょう?」

「お、お見事。おっしゃる通りです」


 見事なほどに思考を読まれていたことに、アーノルドは急に恥ずかしくなる。そして同時に、ここまで思考が読まれているのに、なぜ思いが通じ合うことがないのだろうと不思議に思った。


「私がどういう基準で愛人候補を選んでいたかわかりますか?」

「え?えーっと?」


 シエナの唐突な質問に、アーノルドは言葉を詰まらせた。

 スレンダーな金髪美女に可愛い系のピンク髪の女性、マーシャのような女性にモテそうな女性など、さまざまな女を紹介されたが、具体的に『この人はどうか』と告げられた彼女たちに共通点はなかった気がする。


「わ、わかりません」

「正解は『陛下自身と陛下との間に生まれるであろう子を守ってくれそうな愛情深い人』です」


 シエナは淡々とそう答えた。

 シエナが愛人となる人を探すときには、何よりもこの条件を重要視して探していた。それは一見、彼女のアーノルドに対する深い愛情からくるもののようにも思える。しかし、この基準は彼への愛ゆえのものではないらしい。


「なぜだかわかりますか?」

「なぜ、なんだ?」

「愛情深い人でないと、嫉妬に狂った私から貴方と貴方の宝物を守れないからよ」

「え?嫉妬……?」


 愛人を作れというくせに、実際に愛人ができるとなると『自分はきっと嫉妬に狂う』と話す妻。彼女の矛盾するこの複雑な感情など、きっと単純なアーノルドには一生理解できないだろう。期待の眼差してこちらを見上げてくる夫の瞳がひどく気に障ったシエナは、顔を歪めた。


「シエナは俺が愛人を作ったら嫉妬するの?」

「するわよ。しないわけないじゃない」


 シエナは吐き捨てるようにそう言い放った。顔を赤らめるでもなく、恥ずかしそうに目を逸らせるでもなく、しっかりとアーノルドの目を見てそう言った。

 彼女のその言葉に、アーノルドの表情はパアッと明るくなる。本当に腹立たしい男だ。何も、わかっちゃいない。


「本当は愛人なんて嫌よ」

「だったらどうして、愛人を作れなんてっ!」

「だから!私は子どもがっ!子どもが……」


 子どもが産めないから。

 その言葉がどうしても口から出てこなかったシエナは悲痛な表情をして彼の横を素通りし、ベッドに倒れ込んだ。

 枕に顔を埋め、またため息をつく。 


「お願いだから、もう私にそれを言わせないで」

「ご、ごめん」

「……ねえ、私知ってるのよ。色んな人に言われてるんでしょう?『離縁してはどうか』と」

「俺にその意思はないよ」

「貴方の意思なんて関係ないわ。貴方はいずれ国のための選択を迫られる」


 消え入りそうな声でシエナは『自分は皇后で、自分の夫は皇帝なのだ』と呟いた。

 アーノルド以外に先帝の直系がいない以上、シエナは必ず子を産まねばならない。それなのに、彼女の腹に子が宿る気配はない。

 子どもが産めない女にできることは、もうアーノルドと離縁するか、アーノルドに愛人をあてがうかの二択しかないのだ。前者を選びたくないシエナの苦悩など、この男は知らない。


「シエナ、そっち行ってもいい?」

「だめ。無理」

「ちゃんと話がしたい」

「話ならこの距離でもできるわ」

「同じ目線で話がしたいんだ」

「無理。今、貴方に近寄られたら多分殴りたくなる」

「いいよ。殴ってくれて構わない」


 アーノルドはシエナの返事を待たずにベッドに横たわる彼女の横に腰掛けた。


「来ないでって言った」

「ごめん」

「そうやってすぐ謝るとこ、嫌い」

「……ごめん」

「謝ればいいと思ってるでしょ」

「そんなことは、ない、と思う」

「思うって何よ。自分のことでしょうが。ほんと腹立つ」

「……ごめん」

「子どものことだって……。貴方はいつもどこか他人事で、真剣に考えてない。悩んでるのはいつも私ばっかり」

「……ごめん。確かに、考えているつもりになってたかもしれない」


 夫のその一言に、シエナはぷつんと頭の中で何かが切れる音を聞いた。彼女はベッドから起き上がると、思い切り彼の頬を叩いた。


「『かもしれない』じゃなくて、実際にそうなのよ!ねぇ、どうして?二人のことじゃないの?もっと寄り添ってくれてもいいじゃない!」

「ごめん」

「私がどんな思いでこの七年間過ごしてきたと思ってるの?なんで真剣に考えてくれないの?なんで一緒に悩んでくれないの⁉︎」

「子どものこと、そこまで悩んでるなんて思わなくて……」

「今、言われなきゃわからないって思ったでしょう⁉︎」

「思ってないよ」

「言われなくても察してよ!わかってよ!気づいてよ!」

「ごめん。気づけなくてごめん。追い詰めてごめん。一人で背負わせてごめん」


 ポロポロと涙を流すシエナはアーノルドにその涙を拭われて、ようやく自分が泣いていることに気づいた。

 今日は全然だめだ。感情がコントロールできていない。


「アーノルドなんか嫌いよ」


 肩で息をするシエナはアーノルドのガウンの襟元を掴むと、自分の方へと引き寄せた。そして甘えるように、彼の肩で涙を拭く。

 アーノルドはゆっくりと、慎重に自分にしがみつく彼女を抱きしめた。


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