10:トマス・ステュアート公爵の襲来
突然の愛人の襲来から一夜明けた日の朝。
ロイ・フェローズは過労による体調不良のため、長期休暇を取った。タイミングがタイミングなだけに、城内では『副官殿は突然愛人を連れてきた陛下のせいで胃に穴が空いたため、療養するらしい』という噂が流れている。その噂を聞いたロイは、本当にそうなりそうだと、諦めに似た笑みを浮かべたそうだ。
一方、愛人アメリはというと、城のメイドたちの刺すような視線の嵐の中を、近衛騎士団の制服からお仕着せに装備を変えた麗しの女騎士マーシャ・ランドルフと共に練り歩き、西の区画へと居を移した。
そこは何代か前の、かつての皇帝の愛人が住んでいた場所で、彼もしくは彼女も今日からこの部屋で暫く過ごすことになる。
「どうぞ。ここが家畜小屋です」
「マーシャさん。言い方に棘がありすぎます」
「餌箱、の方がよろしかったですか?」
「どちらも嫌です」
「そうですか」
相変わらず冷たく殺伐とした雰囲気を醸し出すマーシャに、ロイは体内からキリキリと不吉な音が鳴るような感覚を覚えた。胃が痛い。
「後で胃薬、もらってきますか?」
「可能なら、お願いします」
「了解です。では先に荷解き、してしまいますね。貴方は少し休んでいてください。アメリ様」
「うう……。すみません。お願いします……」
ロイは胃を押さえてベッドに寝転んだ。マーシャは小さくため息をこぼしつつも、手際よく荷解きを済ませる。荷物はさほど多くはないが、普通の女には必要なさそうなウィッグのケア用品とか偽乳などが箱に詰められていた。
(……流石に下着は男物か)
箱から最後の荷物である男物の下着を取り出し、クローゼットの引き出しにしまうと、マーシャはベッドの上に二枚の書類をならべ、それを読み上げ始めた。ロイは書類を握り、上体を起こす。
二枚のうちの一枚は、これから彼が演じる愛人アメリの設定だった。
「身寄りのない孤児である。元の職業は花売り。性格は素直で優しく、純真無垢。よく物語に出てきそうな正統派ヒロインのイメージ」
「……正統派ヒロイン」
「陛下との出会いはアーノルドがお忍びで城下を訪れたときに出会った。アメリに一目惚れした陛下は、たびたびお忍びで城下を訪れ、アメリと親睦を深めた。城に来てから、陛下は二日に一度はアメリの元を訪れる予定」
「……」
「何か、ご質問は?」
「僕はうまくアメリを演じられる自信がありません」
「大丈夫です。もうすでに完璧ですから」
「何がですか」
「その、涙を溜めた瞳と上目遣いに自信なさげな態度。完璧な餌です」
設定資料を握りしめ、不安げに見上げるその姿はまさにか弱き乙女。正統派ヒロインだ。マーシャは口元に薄く弧を描き、彼を見下ろした。
「その笑み、シエナに似ていて怖いです」
「……シエナ様に似ているとは、光栄です」
「褒めてないです。できれば似ないでいただきたいです」
アレに似るなど、ろくなことにならない。その、淑女とは程遠い、苛烈で大胆な本性を本当に理解しているのかいないのか。彼女を心の底から慕うマーシャに、ロイは辟易した。
「二枚目」
「……はい」
「これは予定される訪問者との会話をシミュレーションしたものです。餌にかかった奴らが何を知りたがり、どんな言質をとりたがるのかを、私とシエナ様で予測しました」
「……お見事です」
二枚目の紙には、標的となる三人が接触して来た時に予測される会話と、理想的な返答がびっしりと書き込まれていた。おそらく、これを今日一日で全て頭に叩き込まねばならないのだろう。記憶力には自信のある方だが、ロイは頭が痛い。
「加えて、女性らしい仕草もお勉強していただきますっ!」
ベッドの縁に座り、無意識に広げられていたロイの足を思い切り閉じたマーシャは、彼の頭の上に分厚い本を乗せた。ロイは膝の骨が折れそうなほどの痛みに叫びそうになるのを耐え、キッとマーシャを睨みつける。
「まさかとは思いますが、一日で全てを習得させる気ではありませんよね?」
「ご安心ください。四日です」
「……喜べないご配慮、感謝いたします!」
頭に載せられた分厚い本を床に叩きつけたロイは、とりあえず腹を括った。『やる』以外に選択肢がないのだから仕方がない。
その後、彼は問答集を暗記しながらの歩行レッスンにテーブルマナーのレッスン。そして微笑み方まで、事細かに、一般的な貴族令嬢が成人までの長い年月をかけて習得する技を四日で習得した。さすがは器用貧乏。
だがやはり、シエナを謀った代償は大きかった。
***
初めに獲物がかかったのは、ロイがほとんど女になって翌日のことだった。
はじめに動いたのはトマス・ステュアート公爵。自分こそが皇帝に相応しいと陰で豪語している恥ずかしい男だ。彼は国民あっての貴族であるという考え方のアーノルドとは相いれない、貴族至上主義の考え方をしており、アーノルドの改革にはよく反対している。
言うなればよく見かける、貴族らしい貴族だ。高貴なるものの義務を放棄したただの老害。自領の沿岸部が深刻な麻薬の密売問題で腐敗していく中、それを解決するために国から援助された資金を横領しているという噂もある怪しい人物。
ロイは背筋をピンと伸ばして公爵を迎え入れた。
部屋に入ってきた頭皮の寂しい中肉中背のエロ親父ことトマス・ステュアート公爵は、同じく元老院のエロ親父を二名ほど引き連れていた。入室した瞬間からアメリの体を舐めるように上から下まで眺めた彼らは、早々に言い放つ。
君は子が産めそうだな、と。
無粋でデリカシーなど欠片もない。
そもそも、どのあたりを見てそう思ったのか。やはり歳をとると視力が落ちるらしい。
子が産める機能を兼ね備えていないアメリは苦笑いを返すしかなかった。
その後もジジイどもはシエナへの嫌味に交えて『皇后にいじめられていないか』、『陛下はどのくらいこの部屋に通っているのか』、『他に接触してきた貴族はいないか』など、遠回しに聞いてくる。
ロイは彼らの品のない質問に対し、あらかじめ用意しておいた答えを返した。なるべく弱々しく、何も知らない無垢な女を演じて。
愛人のアメリとの会話で『この女は使える』と思ったのか、結果として、ステュアートは『何か困ったことがあれば私を頼りなさい』と名刺がわりの贈答品を彼女に渡した。
長細い小箱を開けると、中身は数年前に属国となったリーズ公国の特産である七色に光る宝石がついたネックレスだった。平民では到底身につけることが叶わないその装飾品を首に当て、ロイはわざとらしく喜んでみせる。
そして、『ありがとうございます』と語尾にハートマークをつけて可愛らしく首を傾げると、ステュアートは『愛いやつめ』と鼻の下を伸ばした。
一言で言うなれば、チョロい。チョロすぎる。
これもマーシャの詐欺メイクのおかげだろうか。ロイはこの日、エロ親父三人を陥落させた。
この間、黙って側に控えていたマーシャは、そんな彼らに冷めた視線を送り続けていた。そして、二時間ほど話し込んだ公爵たちは『また来る』と言って、満足げに部屋を後にした。
「……マーシャさん。何をなさっているのでしょう?」
「除菌滅菌殺菌です」
公爵たちを見送ったマーシャは扉を乱暴に閉めると鍵をかけた。そして、何を思ったのか、応接室を隅から隅まで掃除し始める。
特に、あのジジイ共が座ったソファを一心不乱に磨く彼女に、ロイはドン引きだ。だが、いくら磨けどその怒りはおさまらない。
「禿げろ禿げろ禿げろ禿げろ禿げろ!」
「もう禿げてます。マーシャさん」
発情期の猫の鳴き声のような声を出し、老害菌を殺していくマーシャ。彼女の怒りは主人を思うが故の怒りだった。
奴らは日頃からシエナに対し、いくら優秀でも、子どもを産むこともできない女は価値がないと遠回しな嫌味を吐いてくる。彼女の努力も苦労も知らずに、事実だけを見てそう言う奴らが、マーシャは気に食わない。シエナはいつもそれを軽く聞き流しているが、同じ女として、奴らの暴言は許し難い。
「死ね死ね死ね死ね死ね!」
「目が怖いです。マーシャさん」
雑巾片手に荒ぶるマーシャに、ロイはスッとシエナの写真を見せる。すると、マーシャは落ち着きを取り戻し、彼に深々と頭を下げた。
「失礼。取り乱しました」
「正気を取り戻していただけて良かったです」
アーノルド用に常備していた写真が役に立って良かったと、ロイはホッと胸を撫で下ろした。
「……ところでロイ様」
「はい、何でしょう?」
「貴方はそのお写真をいつも持ち歩いておられるのですか?」
「はい。シエナ様不足で起こる陛下の発作を治めるための薬のようなものですので」
「ということは、陛下のためということですか?」
「まあ、そうですね」
「……それ、知らない人から見たら皇后陛下に横恋慕している男に見えるから、気をつけたほうが良いですよ?」
「え?」
そんなこと、考えたこともなかったというような顔をするロイに、マーシャは生温かい視線を送る。その視線が痛くて、ロイは顔を伏せた。
「実際に誤解した人間がいるので、嘘ではないです。今後はお気をつけください」
「はい。気をつけます。……って、え?」
それはつまりどういう意味なのか。バッと顔を上げたロイの目に飛び込んできたのは、雑巾を盾に顔を隠すマーシャだった。
「え?つまり、怒ってた原因ってそれですか?」
「別に、それだけじゃないけど。まあ、それもある……」
「いやいやいや、誤解です誤解!わかるでしょ⁉︎シエナを好きになるほど僕は被虐主義者じゃないよ⁉︎」
まさか、シエナのことを想っていると誤解されていたとは露ほども思っていなかったロイは、慌ててそれを否定する。だが、この弁明がまたもや彼女の地雷を踏んでいることに気づかない。
「それですよ!それ!ばーか!」
マーシャはロイの顔面に思い切り雑巾を投げつけた。ロイはそれをギリギリのところで躱す。
「それって何!?」
「私のことはそんな風に呼ばないくせに!」
「はい?」
「私のことは呼び捨てにしたことないのに、私にはいつまでもよそよそしい喋り方するのに、シエナ様にはたまに幼馴染の距離感出してくるの、本当に腹が立ちます!」
マーシャは叫んだ。
ロイは気を抜くと昔のようにシエナの事を呼び捨てにするし、いつも間にいるアーノルドがいない時は自然と彼女との距離感が近くなる。そういう時は大体、シエナの方が『近い』と言って距離を取るが、ロイは『昔の癖が抜けなくて』とあまり真剣に受け止めていないように笑って誤魔化す。
そんな彼にモヤモヤとしている中で、彼が後生大事にシエナの写真を持っていることを知ってしまったマーシャ。
誤解しないわけがない。
「実は私と交際したのはシエナ様への恋心を隠すためだったんじゃないかとか、私に会うという口実でシエナ様に会いに来るためだったんじゃないかとか、思うじゃないですか⁉︎だって、シエナ様は素敵なお方ですもの!だから余計に不安になるんです!」
マーシャは若干涙目になりながら言いたいことを言い切った。肩で息をしている彼女に、ロイは素直に頭を下げた。
「ご、ごめん。そんな風に思ってるとは知らなくて」
「……」
「……あの、」
「……いえ。私も何も言っていなかったので。その、無視してごめんなさい」
目を泳がせつつ、マーシャも一方的に無視したことを謝った。
気まずい沈黙が二人の間を流れる。
顔を上げたロイはジッとマーシャを見つめた。その目がいつもより鋭かったせいか、マーシャは無言で後ずさった。だが、対するロイはそんな彼女にジリジリと迫る。
「えっと……。私、その、雑巾洗って、きます……」
壁際まで追い詰められたマーシャは彼の後方数メートルの位置にある雑巾を指差した。しかし、その手首を握られ、壁に押し当てられた。
「マーシャ……」
「あの、ロイ様……」
熱を帯びた視線をこちらに向けてくる彼を直視できず、マーシャは目を逸らした。
「マーシャ、僕は振られていないってことですか?」
「振ったつもりは、ないです」
「じゃあ、キスしてもいい?」
「……」
「……ねえ、マーシャ」
「い、いやぁ……。その格好では、その、ちょっと……ね?」
マーシャの言葉にハッとしたロイは、鏡に映る自分の姿を見た。キリッとした表情をしているが、彼の今の姿は可愛らしいドレスに巻髪のウィッグ。顔には化粧を塗りたくっている。
まさに、女装姿でメイドに迫る変態の図、だ。
顔を真っ赤にした彼は、掴んでいた手を離し、すすすっと後ずさった。
「……で、出直します」
「……はい」
顔を覆っているが耳まで真っ赤になっている。格好をつけた分だけ、やはり恥ずかしいらしい。
ロイは一刻も早くこの任務を終わらせようと心に誓った。




