番号札4番と親子
―「幸せ」とは、すべての人に享受されるものではなかったのか。他人を消してまで、他人が存在していた証拠を消してまで手に入れるものだったのか。
なぜ、僕は先ほどから同じことを考えては迷い、迷っては考えを繰り返しているのだろう。僕は、手当の受給を希望する人々に対して、制度説明をし、申請受付をし、認定処理をするだけの役割だというのに。なぜ、業務以外のことに頭を使っているのか。時間を浪費しているのか。
「番号札4番の方、どうぞー」
今日は、窓口シフトに入っていない。来る人をさばいていると、中での事務作業が滞りがちだ。交代制で窓口に立っているが、できれば避けたい当番である。普通に説明を聞き、途中で止めることなくおとなしく手続きを行う善良な人ばかりが来るわけではない。こちらがどれだけ丁寧に話しても、先回りして対応しても、壊してくる輩もいる。一部とはいえ、業務を妨げられると、迷惑に思う。
「フクヤマさん、これ」
主任が、1枚の用紙を差し出してくる。
「昨日の申請、目を通してみて、どう思いますか」
「他の係員が作成した分を、僕が読んで構わないのですか」
「構いません、私からの、命令、としたら、納得しますか」
「上司からの命令であれば」
用紙は、手当の申請様式第1号。それには、思い出が米粒のような字で記入されている。
申請者は、50代、思い出の関係者は、親。認知症になった親を介護し続けていて疲れている、「生きる力」を受給して早く幸せになりたい。といったところか。病人の世話を焼きすぎた自分自身を休ませてやりたい、という動機で申請されるのは、よくあるパターンのひとつだ。
申請者が幼い頃、学校の遠足でブルーベリーのジャムを作った。家事で忙しい親に、ジャムを真っ先に見せに行った。きっと喜んでもらえると信じていたが、あっさりと裏切られた。冷たい目を子に向けて「私、ブルーベリー嫌いなの」の言葉で。申請者の親は、精神に何らかの異常があったとみられる。
ある日は、子を猫かわいがりし、好きな物を食べさせたり、買ってやったりした。いっぱい抱きしめてもくれた。たくさん誉めてくれた。
ある日は、子を虫けらのように扱い、有害な物を口に無理やり突っ込ませたり、投げつけてやったりした。いっぱい殴られ、蹴られた。たくさん罵られた。
機嫌が良くても悪くても、自分を愛してくれていることには変わりないだろうと、申請者は思い出の関係者を信じ続けていた。
そして、親は認知症を患った。大人である申請者を、乳幼児のように接するようになった。おそらく、幸せだった頃に帰ってしまったのだろう。申請者を盗人と思い込んで、あらゆる抵抗をされたこともあった。現在は、申請者を子と認識できていない。子どもがいたことすら欠落しているようだったという。
申請者は思った、「ああ私はやっと、自由になれたのだ」と。大好きな親が、自分を愛してくれているとかたく信じてきた親が、いつの間にやら自分を縛る存在へと、申請者の中で変わってきたようだ。しかたなく支えている親から、本当の意味で「さよなら」をしたくて、この手当を請うたのだ、と。
「何の問題もない、申請と考えますが」
「フクヤマさん、もっと、深く考えてみてください、親で手当を申請されているのですよ」
「思い出の関係者に、親は対象外とはどこにも記載されていません」
「それは、そうですが……、フクヤマさん、まだ、分からないのですか、あの番号札3番の方の申請と、同じことが、起こるのですよ」
「同じこと、とは」
「それは……」
歯切れが悪い。言いたいことは、はっきりと言ってもらいたい。
「申請したのに、行方不明になったということですか」
「行方不明は合っています、ただ、違うところは、削除されるのは、申請者ではなく、ですね」
親、と言いたいのか。削除? 今回の「生きる力」は、申請者を不幸にさせている親を死亡させる(楽にさせる、が優しい表現か)ものならば、それでも構わないのではないか。申請者にとっての幸せを考慮した上での支給だ。僕が口出しする権限はない。
主任は、辺りを異様なくらいに見回して、息をはいた。
「もう、いいです、明日から、休暇をいただきます」
また、が抜けている。いや、これで何度目だ。この職場は、少しでも「しんどく」なると、好きに休めるのだから、なかなか辞められないようだ。僕は、そのような甘えた人間では
ないしただ安定して生活のための資金を確保したいので、続けているだけだ。
「そうですか、お疲れ様です」
主任に読まされたあの申請について、申請者に給付された「生きる力」は、新しい親、であった。心身ともに健康で、申請者を絶えず愛してくれる、申請者が望んでいた「親」だった。
介護していた親は、行方不明になった。国民であった記録は抹消されていたとのこと。また、そのことを主任から聞かされた。人目につかない、備品倉庫の中へ誘われた上で。
主任がなぜ、消された人の存在を覚えているのか。他に訊ねたいことがあったが、できなかった。怖かったのだ。答えを知った時、僕の立っている場所が一瞬にして崩れてしまうのではないか、と余計な不安をおぼえたからだ。