番号札1番
―制度の簡単な説明は、これで終わりです。続いて、申請の手続きに入ります。印鑑をお持ちでない、ですか? 構いません、この手続きは、お話を聞かせていただければ出来ますので……。 それでは、番号札1番の方、聞き取りを行います。答えられない項目があれば、遠慮無く仰ってください。
今回の申請について、どなたとの思い出を提出されますか?
「3年以上お付き合いしていた方との思い出です」
思い出について、詳しく聞かせていただけますか。
「わかりました。その人とは、同じ職場で出会いました。人気者で、スタイルが良くて、もちろん仕事もできる人で、私なんか全然見てくれないだろうなと思っていたら、若手職員の飲み会でたまたま隣の席になって、話がはずんじゃって……その後すぐに交際が始まりました。ええ、その人とは何度も会いましたよ。休日はいつも、どこかへ出かけて、一緒に食事して、遊んで。ふたりでいると、楽しかった。その人のそばにいると、落ち着くんです。そうですね、私って見た目は地味ですし、おとなしい部類に入るんですけど、情緒不安定なところがあるんです。こうみえても、気性が荒くなることあるんです。あ、すみません。話を戻しますね。長くいると、その、未来のことも考えるじゃないですか。年齢的にも、私くらいになると、焦っちゃうんですよね。2年半過ぎて、初めて旅行に行ったんです。温泉旅行。ゆっくりしていた時に、それとなく訊いてみたんです。これから私たち、どうする? と。そうしたら、その人は、ずっとこんな関係のままでいいんじゃないか。とさらりと言ったんです。あの時、私のこと真剣に考えてくれなかったんだ! って頭にきて、帰りまで口をきかないでいました。……ばかですよね。期待しすぎたんですよ。でも、お別れして良かったんですよ。その人、私のほかに好きな人、いたんですから。しかも、私と同じ部署の人。私と正反対で、皆から愛されていて、人なつっこくて、明るくって。腹が立つよりも、ああ、そうでしたか、そうですよね、私なんかはじめから眼中になかったんですよね。って、かえって納得してしまいました。……はっ、ごめんなさい。思い出、ですよね。これじゃあ、どうして別れたのか、って話しかしていませんよね」
大丈夫です、もしご心配であれば、こちらの書類に追加事項として記入いただくこともできます。
「あ、ありがとうございます。私、あんまり喋るのなれていないもので……すぐ書きますから、待ってください」
番号札1番の方は、こちらが予想していたよりも早く、5枚書類を思い出で埋め尽くして提出されました。
「これで、いいんですか。え、認定がおりれば来月から支給が始まるんですか? そんなに早くいただけるんですね」
来月分から開始、ですね。実際にお手元に届くのは3ヶ月後ですので。申請の結果は、来月に送付いたします。お疲れ様でした。
以下の申請について処理してよろしいか
「フクヤマ君、今日も受付業務ご苦労様」
「課長」
申請書類について、上司から決裁をいただかないと、認定できない。通常は、僕→主任→係長→課長と段階をふむが、今日は主任は体調不良でお休み、係長はひとり娘の参観日があるからと急に有休、なので、僕の次はいきなり課長に飛んでしまった。
「奥からみていたんだけどさ、よくあるパターンだよね。思い出といやあ、交際相手なのかね」
「分かりかねますね。思い出にパターンがあるものですか」
「はは、言うねえ」
奥の席で、毎日上層部だらけのオンライン囲碁をしているくせに。無駄に耳はいいんだな。
「じゃ、これ認定しといて。ま、認定できませんでしたーなんて申請なんざ、今までもこれからもあらわれないよ」
「はい」
思い出を申請し、認定されると手当が支給される。手当は、お金じゃない。「生きる力」と名付けられているけれど、つまりは「幸せ」を給付するらしい。
あの番号札1番の方は、生きる力を給付されて、新しい人と出会い、近々結婚するそうだ。
「新しい福祉、ってーいうけど、こんな抽象的なものやってて国として大丈夫なの? って思わないかねフクヤマ君」
「国の方針には、したがうのみです」
「おカタいね、君は。若いんだから、もっとはっちゃけなよ。同期の○○君は、愛想いいよ」
「他人と比較するのは、間違っていると思います。それに、若い人にもいろいろタイプはあります。課長の価値観を押しつけないでいただきたいです」
「言うねえ……」
僕は、ただ与えられた仕事を行うだけでいい。何も知らなくていい。生きる力を給付する仕事は嫌でもないし。そうだ、何も知らなくていいんだ。余計なことは深く知らなくていいんだ。これまでも、これからも。