追憶
主人公は半世紀を生きた中で自分の人生に悔いばかりが残る。「あのとき自分が誰かが何か違ったことをしていたらきっと今より人生は良かったのに!」人生をやり直せるとしたら?
人生は最大で120年だとか130年だとか、病気にならなければもっと生きられるとか、そんなことも聞くが、多くの人にとっては、人生は80年くらいなもので、運が良ければ、後半10年ボケないで生きていられるとかなんとか。
生まれて生きて四半世紀経ったとき、よくも25年も生きたものだなと、年を取ったことを感じたが、それから更に四半世紀経った今、思うのは、自分の人生は失敗の連続だったということでしかなかった。
生まれた家はさほど裕福ではない、普通のサラリーマンの家庭。子供が少なければ貧しさを感じることはなかったかもしれない。
兄弟が多く、両親が不仲で、お小遣いも満足ではなかった。
貧乏でも、毎日風呂に入れない級友に比べればマシな方だと、親兄弟はいうが、比べるところが低すぎる。
例えば家がなく、収入がない人と比べて自分は幸せだ、と思う人が世の中にどれほどいるのか。
確かに、幸せなんて人と比べても人それぞれ違うのだから意味がないとは思う。
だが、自分が世間的にどれくらいの位置につけているのかと考えることは、幸せの一つの物差しになってしまうものだと思う。
結局、自分が義務教育課程にあるときに、両親は離婚し、未だ収入が安定していた父方に引き取られて、それ以降は、お金は出してもらえた。だが、全部父親との交渉だった。
大学入試の勉強は全然していなかったので、浪人させてもらいたいと言ったら、贅沢は許さないと、試験の数日前だというのに怒鳴られ、試験なんか受けるなといわれた。
大学に行けと就職の道を絶たせたのは自分であるというのに、反省しない父親の態度に腹が立った。
試験勉強をせずに入れる大学なんて、大したところであるはずもなく、名もない三流大学を普通の成績で卒業した時期は、就職氷河期だった。
父親のコネが使えると聞いていたのに、父親には就職活動の開始の期限が迫ってから漸く「そんなコネはない」といわれた。どれだけ私の人生を狂わせれば済む気なのだろう。
慌てて就職活動し始めたが、ろくな会社に入れる筈もなく、町工場のような中小企業に入った。
そこで任される仕事は、お茶くみ、お客様の接待、オッサン達の世話係。
大学の同級生たちが、勤めた会社で研修を受けている、仕事が忙しくて毎日が充実していると、そんな話をしている間、私は何も仕事らしい仕事をできず、毎日を悶々として過ごしていた。
同じ出来事を見ていても、観察する人によって、その出来事は同じものに見えたり、違うものに見えたりします。
あなたが送ってきたあなたの人生というのは、確かなものですか?