なんで?
「行くぞ」
「...うん」
お父さんは振り返る事無く運転席に乗り込む。
助手席にはお母さんが先に座っている。
一言も声を掛けてくれない。
それは妹も同じ。
後部座席に乗り込むと妹は、一瞬私を睨み前を向いた。
車の窓から流れる風景を見つめながら、全てが壊れたあの日を思い出す。
家族関係、生活全てが壊れたあの日を。
ホテル前で佑真に見られた私は慌てて男を振りほどいて走った。
(佑真に見られた!)
激しい後悔と焦り、我を忘れて追いかけるが佑真はもう居なかった。
「そうだ」
携帯で佑真に電話をするが着信拒否の音声が無機質に流れる。
佑真が拒否したみたいだ。
「ん?」
携帯が鳴った。
[先生]
画面にはあの男の着信を知らせていた。
「はい」
『早く戻って来てくれ!』
焦る先生、いつもの余裕は全く無い。
罪に怯える男の声だった。
そこに戻ると先生は数人の男達に囲まれていた。
「違う、彼女は恋人だ!」
「へえ未成年のね、淫行か?」
先生と男達の会話が聞こえて来た。
『違う恋人なんかじゃない!』
そう叫びたい気持ちを堪え、その場を後にしようと...
「ちょっといいかな?」
振り返ると1人の警官が私に声を掛けた。
(終わった)
馬鹿げた火遊び、恋人を裏切って大人の関係に耽り、溺れていたのが終わったと感じた。
先生と別々のパトカーに乗せられ警察署に。
警官は何も言わない。
17歳の私が大人の男性とラブホ前で捕まったのだ。
言い訳など出来そうも無い。
ただ身体を震わせていた。
取り調べが始まった。
先生との関係、金銭授受の有無...当然親への連絡も。
観念した私は全て正直に話した。
相手は私の通う予備校の講師、進路指導を受ける内に親しくなり食事を誘われた。
最初は軽いファストフードから、親身に相談に乗ってくれた。
『佑真と同じ大学に行きたい。
どうしても学力が追い付かない』
焦りを話す私に先生は言った。
『特別に勉強を教えてあげる』
......馬鹿だった。
予備校の講師が親切心から言う訳がない。
下心が無い筈が無かった。
「それで肉体関係を」
「はい、最初そんな気は無かったんです」
言い訳がましい私の言葉を書き留める警官達。
しかし結局は堕ちた。
今回を最後に、今度こそ終りに、そう言い訳をしながら進んで堕ちただけの事。
麻痺していた。
大人の男性と付き合う優越感に、恋人を親を裏切り私の身体は染められたんだ。
二度と戻れない身体に...
「遥!!」
数時間後取り調べ室の扉が開くと同時に私の名を呼ぶ声、お父さんだった。
いつも笑顔を絶やさないお父さん、酷く憔悴した顔に涙が溢れた。
後は余り覚えていない。
家に帰るとお母さんが私を叩き、妹から罵声を浴びた。
お父さんはただ俯き視線を逸らした。
先生は逮捕された。
他にも余罪が有ったそうだが興味ない。
たった2ヶ月。
私の積み上げた過去が、家族の未来が失われた。
車は高速に、行き先は他府県にあるお父さんの新しい勤務先。
会社に転勤を申し出たお父さんは本社から地方の支店に。
何処から漏れたのか、私のした事は近所に知れ渡っていた。
「絶対許さないからね」
前を向いたまま妹は静かに呟いた。
妹は中学3年。
来年に迫った高校生活を全てぶち壊した私を憎む気持ちは当然だ。
「...ごめんね」
かすれた声で妹に頭を下げる。
私を見る事無く涙を流す姿に車から飛び降りたい衝動に駆られた。
『私お姉ちゃんと同じ高校に行く!
私もお姉ちゃんみたいに素敵な恋をするの』
そんな妹の言葉が頭に甦る。
もう叶わない、分かっていた事なのに...
「佑真君に謝ったのか?」
お父さんが呟いた。
その名前に胸が張り裂けそうな錯覚を覚えた。
「ううん」
溢れる涙、馬鹿な女のせいで佑真の心にも取り返しのつかない傷を...
「連絡したの?」
お母さんは振り返らず呟いた。
僅かに感情が入った声、気遣いは佑真に対する物だと分かっている。
しかし嬉しかった。
2週間振りに聞いた感情が入った母の声だった。
「ううん、全て連絡を拒否されて」
「どうして佑真兄ちゃんの家へ行かないの!!」
突然妹が叫んだ、涙で睨む顔に言葉が出ない。
「狡いよ、佑真兄ちゃんを一方的に傷つけて...最低だよ...最低...」
声にならず妹は踞り泣きじゃくる。
私は見るしか出来ない。
謝る事すらしない卑怯な私は生きてる価値なんか...
「遥」
お父さんは運転席から自分の携帯を差し出した。
「これは...」
画面には[溝口佑真君]と書かれた文字。
「最後にちゃんと謝りなさい。
無視されてもいい。
罵倒されてもケジメは着けなさい。
佑真君がした様にな」
「佑真がした様に...」
どうして佑真にバレたかばかり考えていた。
ホテル前で抱き合う私を見て佑真がどう思ったか、考えるだけで恐ろしくて避けていた。
震える指先で発信ボタンを押す。
やがて聞こえて来る発信音、
『もしもし溝口です』
スピーカーから聞こえる佑真の声、たった2週間聞かなかっただけで懐かしさが込み上げて来る。
『もしもし、おじさん?』
無言で聞いていると再び佑真の声が。
このままでは切られてしまう。
「もしもし...」
何とか声を出す。
震えて言葉が続かない。
『遥?』
「うん」
佑真が名前を呼んでくれた!
それだけで心が満たされ...
『おじさんに番号を消す様に伝えてくれ』
「え?あの」
冷えきった佑真の声、初めて聞く声だ。
『それだけだ』
「待って、私謝りたくて!」
『謝るくらいなら最初からするな』
その声を最後に佑真からの通話は途切れ、無機質な電子音が流れた。
「...佑真...」
もう何も考えられない。
涙が溢れた。
「これがお前のした事なんだ。
人を裏切り、傷つけて愉しんだ報いだ。
だが死ぬな、生きて償うんだ」
「償う?」
「そうだ、お前に出来るのはそれだけなんだ。
連絡はもう出来ない、佑真君に二度と会えないが今度は真っ当に生きなさい」
お父さんの言葉は私に死なない様に言っただけ。
分かっている、今はただ頷くしか無かった。
「ごめんなさい、佑真ごめん...」
携帯を握りしめ何度も謝り続けた。