#005 脱げないコート。
「――いらっしゃい! 宿屋【住良木苑】にようこそ」
と、目の前の恰幅のいい女性は笑いかけてきた。
先程騙されてから数分。本格的に日が落ちだしたためこれ以上の探検は無理だと断念し、憧れだった宿屋で一晩過ごすことにした今日この頃。
そして俺は、始まりの国にある宿屋【住良木苑】を訪れていた。
「あ、ども」
と、俺はその笑顔に押されながらも一応ながら返事を返す。
そして、宿屋の受付に立つおばちゃんに話しかけた。
「今日は何の御用だい……って、もう夜時間だし夕食か素泊まりだろうけど」
「え、えぇ。素泊まりでお願いします」
どうやらこのゲーム、朝時間と夜時間というものがあるらしい。
基本的に現実の時間とゲーム内での時間はリンクしており、朝時間はAM六時、夜時間はPM六時から。つまりお互いに十二時間づつ交互に変わるらしい。
この夜時間にしか出ないモンスターが居たり、ドロップボーナスが増えたり……など、夜時間にもいろいろ特典があるそうだ。
まぁ、俺みたいな学生とかまともに働いている社会人ならまず朝はログインできないし。これはニートになりますよぉ……。
そして、どうやらこの世界でも睡眠欲だけはあるらしい。
食欲、それに便意などを催すことは一切ないが、どうやら機械の構造上脳みそを使用するために睡眠は必要不可欠という。
そして、眠るために多くの人が利用する場所――それがこの宿屋というわけだ。
ちなみに宿屋を利用せずそこら辺で普通に寝ている人もいるにはいるらしいが、PKなどに遭遇し、目覚めたら死んでいることもあるらしい。
なお宿屋があるのであれば、泊まるメリットしかないため積極的に利用した方がいい。――って、宿屋に泊まっているおっちゃんが言っていた。
すると、宿屋のおばちゃんは言った。
「分かったよ、んじゃ素泊まりだね。鍵取ってくるからちょっと待ってな」
「は、はい」
――うぉぉぉおお!! リアル宿屋だ! と俺は興奮の孕んだ声音で内心でガッツポーズを決めた。
ライトノベルやゲームで出てくる存在の宿屋だが、実際に泊まってみたいなと憧れたことは誰だって一度はあるはず。出される固い黒パンというのも一度でいいから口にしてみたい。
そのような願いの下、俺は宿屋で一晩明かすことにしたのだ。
すると、受付の奥に引っ込んでいたおばちゃんが「待たせたね」といい、受付に戻ってきた。
「素泊まりはプランが二つあるさね。一つはご飯がついてくるもの、二つ目はついていないものだ。
当然ついている方が高くなるし、ついていない方は安くなる。さぁ、どっちを選ぶかい?」
「あ、えっと……」
やはり、ここはご飯ありのコースだろ! と断言したかったが、そうだった。お金がかかるんだった。
今持っているのは1000Gなので、足りない可能性だって当然出てくる。そんな中高いのを選んで借金したら、もう一生出禁になってしまうかもしれない。
俺は不安になり、おずおずといった調子で尋ねた。
「……あの、値段はいかほどで?」
「ん? なんだいなんだい若いのが金の心配なんて! 男はどーんと構えてればいいのさ、そんななよなよしていたら持てないぞ!」
うっせ余計な御世話だ! とは言いたくもなるが、しかしこういうおばちゃんに絡むと十中八九面倒くさくなるのは目に見えている。
「あ、あはは……」
俺は愛想笑いを浮かべると適当にやり過ごした。
「それで、値段は」
「おう、そうだったね。えっと、食事なしの方1500Gで、食事ありの方が2000Gだよ! この辺じゃうちが一番安い店さね、食事ありの方がお勧めだよ!」
「Oh……」
泊まれない! お金はあいつのせいで1000Gしかないんだ。
しかもどうやらここが最安値の宿らしいので、今の俺が入れる宿は一店舗としてないらしい。詰んだ、今日は野営かな。
「ん? どうした、まさか金持ってないなんか言いだすんじゃないだろうね」
冷や汗が流れれる。さぁぁ、と顔色も一瞬で青ざめた。
鍵まで取りに行かせた挙句、やっぱり泊まらないというのは失礼千万だろう。
しかし、かといえども持っていないものはないのだ。さすがに今からお金を稼ぐことは難しい。
俺はごくりと生唾を飲む。そして、引き攣った笑みを浮かべて言った。
「お、お金……1000Gしかもってないかな~」
「帰れ」
――アビュウゥゥゥゥッ!
と、俺は建物の外に蹴り出されてしまった。
「げぶっ!」
うまく受け身が取れず、半身を地面に思い切り打った。肩が、尋常じゃなく痛い。
「……はぁ」
そう俺はため息を零すと、ゆっくりと立ち上がった。
そこは月が照らす町の中。
日は完全に闇に落ちた。メニュー画面を開くと、時刻は六時と表示されている。
「……とりあえず、明日の朝市だけは行きたいな」
そして今、俺は行くあてもなくただ呆然と国中を練り歩いていた。
「ログアウトしよ」
【注意:宿屋でセーブをしなければログアウトできません】
「詰んどるやんけ!」
その日、俺はベンチにもたれるようにして朝を迎えた。ちなみに、PKを警戒しすぎて寝れなかったのは言うまでもない。
〈※〉
そして朝。
そこでは、朝市が開催されていた。
「へいらっしゃい!」
「兄ちゃん、うちの店ちょっと寄ってかない?」
「あんた男前だねぇ! 安くしちゃうよ!」
わいわい、がやがや……活気あふれる声が聞こえる。
ここは“中央広場”。
街の中心に位置する、噴水のある大きな広場だ。そこでは、このようにたくさんの露店が開かれていた。
たとえるならば、朝市かフリーマーケットだろう。各々がレジャーシートのようなものを持ち寄り、その上にいろいろなアイテムを並べている。
「へぇ……」
俺はその光景を見やり、楽しそうだなと表情を明るくした。
そして、きょろきょろと露店を見ながら先に進む。ある店ではポーションを、またある店ではエンチャント宝石を、またまたある店では武具を売っている。
しかも、掘り出し物が多く見受けられた。
「ほぉー」
「おう、兄ちゃん。うちの店にくるたぁ、なかなかお目が高いねぇ」
その中でも一つ――何やら雑貨屋に顔を出すと、人のよさそうな顔を浮かべた男が店員らしく商品を推してくる。
店員は三十代くらいなのだろう、若干顎に髭を生やし、まるでラーメン屋の店主のような風貌で佇む。
「ここはな、そろそろ期限が近いポーションだとか、そんなに効果の期待できないアイテムなんかを格安で売る店なんだ」
「ほーん。つまり訳有り品ってことか」
「まぁ言い方は悪いが、大体そんな感じだ。兄ちゃんまだ駆け出しだろ?」
「……そうだけど」
「なら是非みていってくれ! 他の店より安くするから!」
初対面に「お前駆け出しだろ?」とはどうかと思ったが、実際その通りなのだから仕方ない。安いならそれに越したこともないだろう。
俺は立ち膝をしながら、店員の説明を聞きながらじっと商品を眺めた。
「おっちゃん、これは?」
「あぁ、それは【ジュピタル鉱石】だ。ATKのエンチャント効果が付与される」
これはいらないな。
「へー。じゃこれは」
「それは【青のポーション】だな。MP回復用だ」
「……まぁこっちだったら欲しいかな。おっちゃん、これいくら?」
「おう、この市だけの特価価格で150Gよ!」
……今持っているのが1000G。もしこの青のポーションを買ったとするならば、たった六つ買っただけで終わりだ。
それに、別にこのポーションはどうしても欲しいわけではない。
だったら必要なときに買えばいいし、買わなくてもいいのかなぁ、なんて思う。
よし、決めた! 買わない!
「交渉決裂だな! おっちゃん、ばいばい」
「おっちょちょちょ……ちょっと待ってくれ兄ちゃん! 135Gでどうだ!」
「いらん」
「ぐっ。……なら125Gだ。相場の2倍は安いぞ」
「うーん、125Gか……」
正直、微妙な値段だ。
青のポーションの値段相場は知らないが、彼の様子から見るに赤字ギリギリの価格なんだろうなぁ、ということは察することができる。
もしこれは最安値なら、買うのもやぶさかではないが……そういうのは普通にお店で買った方がいい気もする。そっちの方が確実だし、薬なら安いのよりも高くても効果があるものを買うべきだしな。
「やっぱり、青のポーションはいらないや」
「え?」
俺は改めておっちゃんに向き合って言った。
「おっちゃん、やっぱりポーションはいらないわ」
「な、ん……」
俺がそういうと、おっちゃんは絶望に打ちひしがれた表情を浮かべた。
顔面蒼白である。どうやら言葉も出ないようだ、その様子がちょっと面白くて俺は笑みを浮かべると、おっちゃんにいった。
「でも、これ以外の商品を見してくれ。おっちゃんの店でなんか買いたい」
「……おぉ、おぉ! ぉぉぉおお!!」
まあ、あれだけ値切らせておいて買わないのは無礼千万だろう。
するとおっちゃんはまるで息を引き返したかのように、俯いていた顔を上げた! そして、まるで神でも見るかのようなまなざしで俺を見やる。お客さんは神様だ、とはよく言ったものである。
おっちゃんは唸っていたが、やがて瞳をきらきらと輝かせると意気揚々とした様子で一つ一つ説明にうつった。
「これは【マッスル草】、食べると一瞬でマッスルする」
「こいつは【センブリ豆】だな。害虫が喰うと死ぬ」
「【バックパック】だな、こいつは旧デザインだし安くしとくぜ!」
……うーん、どれもいまいちである。
おぉ、これは! となるようなものはない。俺は頬杖をついたまま一生お茶が出続けるポットやら、他にも色々な商品を見た。
すると、そこに何やらひとつ目立つものを見つける。
「……ん?」
俺はそれを視界に入れると目を開き、おっちゃんが説明していたがいったん中断してそれを手に取った。
すると、おっちゃんは俺の取ったそれを見ると「あぁ」とだけ言い、あまり晴れない表情で言った。
「それは【絶対に破けないコート】だよ。正直、あまりおすすめしない」
「それはどうして?」
腕の中でコートを広げてみると、純白な、そして皮のような手触り。そこはかとない高級感の漂うそれに俺は気分を高ぶらせた。
絶対に破けないなら、それはめちゃくちゃすごい気がする。
何せサイズが小さくなる他に買い替える必要がなくなるのだ。これを万能と呼ばずしてなんと呼ぼう!
しかし、俺のそんな反応を察したのか。おっちゃんは告げた。
「まぁ、確かに兄ちゃんの言うとおり万能かもしれんがな……これ、一回着たら脱げんのだわ」
「うおー! やっぱり俺に超似合ってるぅ……って、え?」
店主が向けた目線の先――そこには、そこはかとない高級感を漂わせた純白のコートを着込んだ楪の姿。
気分を高ぶらせながら、彼は自分の姿を確認しようとしていたらしい。そして、おっちゃんの言葉に楪は固まった。
一秒。二秒。三十秒。場に、沈黙が下りる。
「……」
「……」
やってしまった、的なあれである。
後悔後先立たず、とは言ったものだと俺は内心で呟いた。
『(デザインもかっけー! 試着しよ試着!)』
あの時、そんなことを考えて着込んでしまった自分を殴りたい。
あぁ、穴があったら思いきり入りたい気分だ。俺はやがて顔面を蒼白にしながら、呆然と口を開いて叫ぶ。
「やっちまったあぁぁぁぁぁぁあああああああ!!」
〈※〉
「せーので行くぞ!」
「了解!」
「「せーのっ!」」
ぐぐぐ……と店主と楪はコートを引っ張り、脱ごうとする。
しかし、コートはまるで楪の体にぴったりくっついているかのように脱げない。下の服も一緒に脱げばと思ったが、しかしやはり脱げないようだった。
ハサミを持ってきてコートを切り刻んでやろうと思ったが、しかし【絶対に破けない】なので普通に切り込みが入らない。
「ぬ、脱げない……」
「はぁ、はぁ」
そして、店先にて二人は疲れたような表情を浮かべていた。
片やもう無理だと絶望に顔色を染め、片や疲れたと肩で息をする。そして疲れている方――店主は告げた。
「……兄ちゃん、こりゃあもう脱げないぜ」
「そ、そんなアホな」
「いや、脱げないものは仕方がないって。兄ちゃん、このコートの代金を払ってくれ」
「はぁ!? こんなもん売るおっちゃんが悪いんだろ!」
「いやいや、勝手に着たのは兄ちゃんだろ! だから兄ちゃんに責任がある、代金を払ってくれ」
それから数十分ほど討論を続けていたが、埒が明きそうになく。
その論闘を見かねた隣の店主が『というかそもそも店の商品を勝手に着た兄ちゃんが悪い』といったため、結局心がコートの代金を払うことになってしまった。
「んでおっちゃん、いくらだ」
「おう、迷惑料込でざっと10000Gだな」
「おうそうか10000Gか……って払えるかッ!!」
今の楪は、どう頑張って財布をひっくり返しても1000Gしか持っていない。
およそ十分の一の値段だ、楪はとんでもねぇことしちまった、と表情を歪ませる。すると、おっちゃんにおずおずといった調子で俺は尋ねた。
「あのぅ、まけてもらうっていうのは」
「阿呆。あんだけ迷惑かけといてそれかい」
ですよねー。
俺はぱんっ、と両手を合わせ、土下座しておっちゃんに頼み込む。
「頼むっ! 頼むおっちゃんまけてくれ……!」
「わ、分かったから顔を上げろ! こんなところで頭下げんなみっともない、俺の店の評判が下がるだろ……」
「お、おっちゃん……!」
もしかしてわざとやってるんじゃないか、なんて思ったおっちゃんである。
しかし、まけてくれるあたり優しい。楪は感極まり、手を祈るようにしながら涙を浮かべた目でおっちゃんを拝む。
そんな俺を見て気分が良かったのか、おっちゃんは得意げに鼻を鳴らしていった。
「――へっ、そうだな。仕方ねぇな……2500Gでどうだ」
「おっちゃぁぁぁぁああああああん!!」
足りないよ! あと1500G足りないよ!
俺がおっちゃんに縋るような声を上げると、おっちゃんは頬をぽりぽりとかき、困ったような表情で彼を見た。
「はぁ、分かったよ。兄ちゃん今いくら持ってんだ?」
「ぐずっ、1000G」
「うわぉそんだけかよ」
1000Gと言えば、1000円に該当する。
いくらフリマと言えども、千円でコートが買えるほど安くはない。おっちゃんはむしろ呆れたような声を上げると、やがて言った。
「……はぁ。まぁ、正直これは処分に困ってたもんだ。脱げないんじゃあ売りものにすらなんないしな」
「お、おっちゃん!」
「だから、まぁ……1000Gで売ってやるよ」
「――わぁぁぁっ!」
ぱぁぁぁぁ、と俺は花が咲くかのような笑みを浮かべた。
そして、おっちゃんに思いきり抱きつく。
「おっちゃん大好き!」
「よせっ! 気持ち悪い! 今すぐ離れやがれ!」
しかし、おっちゃんは心底嫌そうな表情を浮かべていた。
俺の顔を手で押しのけようとする。だが、やがて疲れたのか腕の力が弱まり、俺に抱き着かれるという結果になった。
「えへへー」
そして、俺は笑顔のまま露店を去って行った。
去り際、おっちゃんに
「――二度と来るなよ!」
と怒鳴られてしまったのはいい思い出だ。
俺はニコニコといい笑顔のまま、広場を後にした。
「このコート、脱げないけど……まぁ、かっこいいしいいか!」
案外、こいつは能天気馬鹿なのかもしれない。