別離
意外にも簡単に『須藤警視』は見つかった。
「娘さんのことで!」と言ったら、すぐに繋いでくれたのだ。
「・・・・もしもし?」
電話の向こうで、聞き覚えのある声がする。
「僕です、幹夫です!あの、その節はすいませんでした。あの・・・『彼女』が重篤なんです!県立病院まで来てくれませんか?すぐにです!」
だが、電話の向こうは冷静だった。
「君・・・まだ『あの女』に関わっていたのかね?」
「それについては後でどれだけでも謝ります!でも今は!それどころじゃ無いんですっ。彼女が・・・・!」
「言っただろ?『あの女』はワシとは赤の他人・・・」
冷たく突き放そうとする『父親』を咎めるように、幹夫が電話口で怒鳴る。
「彼女は!アンタが言うような『魔女』なんかじゃぁ無いんだっ!」
幹夫の大声が、誰もいない待合室に響く。
「魔女でなければ・・・何だと言うんだ・・・『あの女』は清美の身体を乗っ取ったんだぞ!」
電話口の向こうから激しい怒りが伝ってくる。
「違いますっ!」
幹夫が憤然として反論する。
「彼女は・・・いや、清美さんは『彼女』に託したんだ!自分の意思でっ!」
「何を勝手なことを・・・・」
「言ってたんだ!『清美さんは素敵な人とデートがしたかったと"言っていた"』って!」
そこまで言って、幹夫はハア・・ハア・・と息継ぎをして呼吸を整える。
「・・・それが、どうしたと?」
「彼女は国文科なんだ!一人称と二人称がいい加減なことはないっ!『彼女』は・・・『清美』さんに乗り移る前に、清美さんと話をしているんだ!多分・・・・何かの拍子で一時的に意識が戻ったんだと思う・・・その時、恐らく彼女は清美さんに提案をしたんだ・・・『自分が乗り移ることで、望みを叶えよう』と・・・『彼女』はアナタの言うように『乗っ取った』んじゃぁ無いっ!逆なんだ!清美さんの身体を『受け入れた』んだ!・・・看護師だった自分の身体に残っていたハズの寿命を犠牲にしてまで・・・」
あの人は・・・そう、『彼女』の人格はそういう人なのだ。決して普通の人間ではないが、それでもきっと、誰よりも人間らしくて・・・
「・・・・。」
電話口の向こう側は、少しの間だけ無言だった。
確かに。看護師として充分な寿命を持っていたはずの『彼女』に、今にも消え入りそうな寿命しかない清美の身体を乗っ取るメリットは何も無いのだ。それは、清美の父親自身にも分かっていた事だ。
電話の向こうから絞り出すような声がする。
「・・・仮に、だ。仮に君の言うように『それ』が清美の望みだったとしよう・・・だが、それでも『あれ』は肉体こそ清美であろうとも精神は『あの女』なんだ!『あれ』は私の娘ではない・・・」
「違うっ!」
幹夫の大声が再び、待合室に響く。
「彼女は言ってたんだ!『乗り移って時間が立つと、乗り移った相手の人格に置き換って行く』って。乗り移って3年・・・今の彼女はもう、ほとんど『清美さん』なんだ!アナタの娘さんなんですよ!」
「何故そう言い切れる!証拠でもあるのか!」
思えば、それは警察官らしい男の物言いなのかも知れない。
「あるっ!」
幹夫は断言した。
「よく考えてみてください!アナタには何か物を考えながら喋る時、語頭に「ん・・・」と詰まる口癖があるでしょう!僕も聞いてて覚えます!」
「確かに・・・それはあるが・・・」
「それは、元気だった頃の清美さんにもあったはずです!違いますか!?」
清美の父親は、しばらく思い返していたようだったが「そう言えば・・・あったな」と小さく答えた。
「人は、尊敬する人の習慣を無意識に真似る事があります・・・清美さんは、尊敬する父親であるアナタの口癖を無意識に真似ていたんだと思います。そして、それは今の『彼女』の口癖でもあるんですっ・・・それこそが、今の彼女の精神が『清美さん』であることの『証拠』です!」
「・・・・。」
電話口からは、何の反応もなかった。
「今・・・彼女の大半は『清美さん』なんです・・・しかし、乗り移っていることがバレたために父親であるアナタに『娘』として認めて貰えなくってしまった・・・でもっ!それでも彼女はアナタの事を『お父さん』と呼んでいたんです!アナタを父親として認識しているんだ!・・・その孤独がどれほど辛かったか・・」
幹夫は溢れ出る涙を抑えきれなかった。
「だから・・・だから・・・ですから、お願いです。せめて最後だけでも。彼女に『お前は自分の娘だ』と・・・認めてあげてくれませんか!どうか・・・どうか・・・」
だが、受話器の向こうから聞こえてきたのはツー・・・ツー・・という通話終了の音だけだった。
「くっ・・・!」
無力感に苛まれながら、幹夫が待合室を後にする。
そして、集中治療室の外の椅子に深く腰掛けた。
刻々と時間だけが無情に過ぎていく。幹夫には黙ってそれを見ているしか手が無かった。
そして。
幹夫の前に、医師が現れた。
「・・・ご臨終です。手は尽くしましたが・・・これが最期かと」
「そうですか・・・」
ゆっくりと立ち上がろうとした幹夫の前に、誰かが立ちふさがった。
ハッとして幹夫が前を見る。
「・・・遅くなって済まなかったな」
清美の父親であった。よほど急いできたのか、コートも無ければ帽子も被っていなかった。
「・・・来てくれたんですね・・・」
「面倒を掛けた。色々と気を遣ってくれて申し訳ないと思う」
清美の父親はそう言って幹夫に深く頭を下げた。
「いえ・・・それよりも・・・」
入室を促そうとする幹夫を、清美の父親が手で制した。
「ありがとう。でもな、ここからは『親族』の出番だよ。・・・君とはここでお別れにしよう」
男はそれが医師の前であるにせよ「親族」と名乗った。
「そうですか・・・そうですね。分かりました。では、後はよろしくお願いしします・・・」
後ろ髪を引かれる思いはあるが、それでも『これ以上は』と考え、幹夫は病院を後にすることにした。とりあえず、最期の最期に『親子』で和解をする橋渡しが出来たのなら、それで良かったのだろう。
幹夫が重たいガラスの扉を開けて外に出る。
暗い夜道は、何時の間にか白い雪景色に変わってっていた。