過去
中折帽の男は、幹夫の呼びかけに足を止めた。
「あの、・・・聞きたい事が・・・」
「ワシは言ったな?『これ以上『あの女』に近づくな』と。何故それを守れん?そんな事では君は本当に死ぬぞ。これは脅しでも何でないんだ!」
男は幹夫の質問を遮るようにそう言うと、再び歩きだそうとする。
「待って下さい!聞きたい事がっ!」
幹夫が男の前に立ち塞がる。
「・・・。」
男は何も言わない。
「あの・・・」
何から聞いて良いかすら分からない。だが、このままこの男を返すわけには行かないと幹夫は思った。
「あの・・・どうして此処が分かったんですか?・・・偶然とかじゃないですよね?アナタはこの時間、此処に彼女が現れるのを知っていたんですよね?」
男は暫く黙ったままだったが海の方に向き直ると、ポツリと呟いた。
「・・・まぁ・・・今日はクリスマスだからな。何かイベントがあってもおかしくないだろうし。それに・・・そこの店は『清美』のお気に入りだったんだよ」
『推測』が当たったという事だ。
それを聞いてなるほど、と幹夫はひとつ合点が行く事があった。
彼女のあの『野暮ったい服装』は、この『父親』の眼を掻い潜るためのものであったに違いない。どういう事情か判然としないが、とりあえず彼女はこの男に見つかりたく無かったに違いない。そのために顔を隠そうとしていたのでは無いか。
貨物船の汽笛が遠くに響いている。
「・・・聞きたいか?清美・・・いや、『あの女』のことを、だ」
男が横目でジロリ、と幹夫を睨む。それは『覚悟はあるのか?』という問いかけに感じられた。
「はい・・・」
幹夫は意を決する。
何も知らずに彼女の元を去るのは簡単だろう。以前と違って今回は『理由』が出来たのだし。だが、と幹夫は思う。
彼女の最後の包容には、何らかのメッセージがあったように思えてならない。それが何なのか、幹夫は知りたいと思った。せめて同じ土俵に立って、それから考えられれば。
「・・・あれの母親は早くに死んでね・・・私は清美と二人で暮らしをしていたんだよ。こう見えて私は警察官でね。それがために生活が不規則で・・・清美には寂しい思いをさせたと思ってるよ」
男は独り言のように呟やいている。
「清美に『病気』が見つかったのは3年前だ。発見が遅れて・・・清美はワシに気を遣って黙っていたんだ。それが災いしてな・・・医師に見せたときには『手遅れ』と宣告されたよ。もって、1ヶ月と」
え・・・?と幹夫が絶句する。では、最前まで『そこ』にいた『清美』は?
「最初に『あの女』と出会った時、『あの女』は清美が入院していた病院の担当看護師だったんだよ。・・・何を言ってるのか分からないだろうが、事実なんだ」
当然、幹夫には何が何だか理解出来ない。だが、さきほどの彼女の異様なまでの低体温を説明するには、他に理解できない『何か』があっても不思議はなかった。
「・・・病院に担ぎ込まれた当時、清美はほとんど意識も無い状態でね・・・。ワシもどうして良いか分からず、右往左往の日々だったよ。余程疲れていたんだろうなぁ・・・何しろ病室に警察手帳を忘れたこともあったほどだ」
男はコートのポケットから煙草を取り出して、口に咥えた。
「・・・・独り身になって、良かった事がひとつだけある。家に居て煙草に文句を言われなくなったからな・・・」
スッー・・・と男が煙を吐き出す。
「そんな時だよ、病院の中で突然死の騒ぎがあったのは。件の看護師が病院の廊下で倒れていたんだ。・・・あとで聞いたら急性心不全だとさ。君は知らんだろうが、ワシら警察の中で『急性心不全』というのは『原因不明の突然死』を意味しているんだ。『原因が見当たらない』というヤツだな・・・」
訥々(とつとつ)ではあるものの、それまでの秘密主義が嘘のように男は語り続けている。もしかすると、男も誰かに聞いて貰いたかったのかも知れない。不器用なだけ、で。
「・・・それを境にだったよ。『清美』が意識を回復したのはね。最初は言葉も覚束なかったが、数日のうちに会話が出来るほどに戻って来たんだ。医者も驚いていたよ。無論、病巣が良くなっているワケではなかったけど、持ち堪えたのだろうという診断だった。正直、その時は素直に嬉しかったと思う」
男の持つ煙草の先端から、まだ火種の残った灰が地面に落ちる。
「その時は『変だ』とか、そんな事を考える余裕も無かったよ。とりあえず、大事な家族を失わずに済んだことで頭がいっぱいだったからね。しかし、だ。『自宅療養』という事になって家に戻って来たんだが・・・何か様子がおかしいと気づいたのだよ」
「おかしい・・・ですか?」
幹夫が聞き返す。
「ああ。当然覚えていて当たり前の事が思い出せないのだ。ワシの名前とか・・・通っていた学校の場所とかな・・・。最初は病気のせいで記憶障害でも起きているのかと思ったが・・・そのうちに妙な事に思い当たったんだ」
男が手に盛っている煙草は、幾分も吸わないうちに半分以上が煙と灰になっていた。
「ワシが警察という仕事をしているせいかも知れんが・・・『清美』の顔が元の顔からすると違和感があったんだ。誰かに面影が似ていてるな、とは思っていたのだが・・・やがて『それ』が、あの死んだ看護師だと気づいたのさ」
男は煙草を地面に落とし、靴先で火をもみ消した。
「『まさかな』という気は確かにワシにもあった。そんなオカルト染みた話があるハズがないと。だが、その疑問は日に日に強くなる一方でね。それでついに『試す』ことにしたんだ」
幹夫は背中に寒気を覚えた。
『ひとりの人間』が死に、『もうひとりの人間』が奇跡としか言いようが無い回復をする。このふたつに何か関連があるのだとしたら、それは。
「ある日、ワシは何気なく『清美』に言ったんだ。『そう言えば、入院してた時に警察手帳を忘れた事があったっけ。あの時はお前にも迷惑掛けたな』って。そしたら、『清美』が口を滑らしたんだよ。『物がモノだったらかね。でも大丈夫、誰にも喋って無いから』・・・ってね」
先程の話が正しければ、『清美』は入院当初時には意識が無かったハズである。なのに『それ』を知っているというのは・・・
思わず、幹夫の顔が引きつる。
「・・・『その事』を知っているのは件の看護師だけのハズなんだ。慌てて電話して手帳を確保して貰ったからね。『面倒になるから黙っててくれ』と頼んだのもワシだ」
男は再び、コートのポケットに手を入れた。
「ん?・・・今ので最後の1本だったか・・・まぁいい」
そして、ふーっと息をついた。
「そこから先は『取り調べ』だよ。まぁ・・・怪しいヤツを調べるのは仕事だからな。最初こそ『あの女』も知らばっくれていたが・・・最後には誤魔化しきれなくなったらしく、白状したよ。『清美の身体に乗り移った』・・・ってね」
『乗り移った』清美の父親を名乗る男は確かにそう語った。実際の処、薄々『もしかしたら』という推理は幹夫もしていた。だが、いざそう言われても俄にはとても信じられない。
「・・・『信じられない』と言いたいところですが・・・さっき、僕は彼女に抱きしめられたんです。彼女は、異常なほどに冷たかった。それが・・・もしそれが理由なら、納得出来る気もします」
「ん・・・そうか。話をしたところで信じてもらえる自信が無くてな・・・黙っていようと思っていたが・・・信じて貰えて良かったよ。・・・結局、ワシは『あの女』と袂を分かつことにした。赤の他人どころか何者かも知れない魔女と一緒に暮らす気は無いからな・・・」
幹夫は、ふと思い出したように尋ねた。
「ところで・・・さっきの『約束』というのは?」
「あれか・・・ワシは『あの女』と約束したんだよ。『二度とやるな』ってね。もしも『次』があったら、ワシは躊躇無くお前を撃ち殺すってね」
男は警察官を名乗っていた。であれば拳銃を所持していても不思議はない。彼女がもしも『乗っ取り』を自供したところで現行法で彼女を裁く方法はない。となれば、彼女を止めるには『それ』しか方法が無いのだろう。その代償として、自身の職を含めた全てを失うことにはなるが。
「さ・・・もういいだろう」
男は帽子をかぶり直した。
「今夜は冷えるな・・・君も早く帰るといい。そして二度と『あの女』に関わるな。分かったな?」
それだけ言い残し、男は帰路へとついた。