邂逅
気象庁の長期予報ほどアテにならないものはない、と幹夫はため息をつく。
だいたい、いつもそうなのだ。『空梅雨』と言われれば長雨になり、猛暑と言えば冷夏になる。
今年もそのパターンで、事前に猛暑が予測されていたにも関わらず、いざ夏本番になったら『平年よりやや低め』に落ち着いた。
真夏のはずなのに、日が暮れて暫く経つと外は涼しいくらいだ。まして水際は気温が上がりにくい。幹夫は「もう一枚、余分に羽織ってくれば良かった」と後悔をしていた。
普段は人気の少ない港町も、1年のうち今日だけは大勢の屋台と観光客で賑わいを見せる。そう、花火大会なのだ。
先ほどから単発的ではあるが、花火が夜空を彩っていた。
時折吹く夜風が冷たい。
これだけ冷えるのであれば、如何に清美が暑がりであったとしても充分に耐えられたであろうと思う。無論、生きていたならば・・の話だが。
あれから、幹夫は清美とその父親の消息を知らない。病院で別れたきりである。おそらく何処かで葬儀を済ませたであろうけど、幹夫はそれにも参列していない。まぁ・・呼ばれても行く気になったかどうかは怪しいものだと思うけど。
だが、そうして最期の瞬間に立ち会っていない以上、こうしてフラフラと街中を歩いていると何処かでヒョイと顔を合わせそうな気がしてならない。何だか実感が無いのだ。
日頃も歩いて居る時に黒メガネと白マスクの女性を見かけると、思わず「彼女ではないか」と眼が行ってしまう。
思えば、彼女が『清美』になってから、彼女は清美の『想い』を実現することに専念していたと思う。勉強にしろ、恋愛にしろ。
「次はない」と彼女が言っていたのも、彼女自身の想いとか清美の父親に脅されていたという理由ではなく、もしかすると清美の父親から「次はやるな」と言われた想いを実現したかったからも知れないと思う。もしかすると、だが。
では、彼女自身はどうだったんだろう、と幹夫は想いを馳せる。
彼女自身は何かこの世に未練は無かったのだろうか。
ドドン!
大きな音がして、夜空に尺玉が上がり始める。花火大会も中盤に差し掛かった合図だ。
大輪の花がキレイに広がり、わぁっと歓声が上がる。
別に彼女と何の約束を交わしたわけでもなかった。ただ「ここは花火がキレイだ」と話したに過ぎない。
だが、彼女は「それまで持たない」と行って悲しそうな顔をしていた。もしも彼女に、彼女自身に『この世の心残り』があるとしたら。それはこれくらいなのかも知れない。
確かに、彼女自身が来れることは無くなった。
だが、自分だけでもこうして来ることで何かの供養にでもなれば・・・と幹夫は考えていた。
ドン!ドン!ドドン!
仕掛け花火が対岸を明るく染め上げる。
それをじっ・・・と見てから、幹夫は再びアテもなく歩き始めた。
その時だ。
フラフラと歩く幹夫のすぐ左脇に、まるで身体を寄せるようにして歩いている女性がいる事に幹夫は気がついた。
上背がある。少なくとも清美よりは10cm程度は違う。ヘタをすれば自分よりも背が高いかも知れない。浴衣の着こなしがキレイな女性だ。
無論、幹夫は誰とも約束はしていないし、その女性に心当たりなぞあろうハズも無かなった。
・・・人違いか?
幹夫は少し様子を伺うことにした。
なるほど、傍目から見ていると二人は『連れ合い』に見えるだろう。もしかするとこの暗闇で、その女性が誰かと自分を勘違いでもしてるのでは無いか、と勘ぐったのだ。
幹夫は歩くペースを落としてみる。すると、その女性も無言のまま歩くペースを下げた。
「・・・・っ!」
とある恐ろしい想像が、幹夫に襲い掛かる。
全身の毛が逆立つような気分がする。
いや・・・そんな・・・そんな馬鹿な・・・・っ!
『彼女』は「次はない」と・・・。
何かの拍子に、幹夫の左手が女性の右手の指へ触れた。
ひんやりと冷たい感触が、幹夫に伝わる。身に覚えがある、あの感触・・・・
思い切って、幹夫は女性の手を握ってみた。いくら何でも他人だったら、すぐに振りほどこうとするだろう。だが、その意に反して女性の右手は、幹夫の左手を優しく握り返してきたのだった
『彼女』だ・・・・
その瞬間、幹夫は確信した。
何時の間にか幹夫の足は止まって、その場に立ち尽くした。
その女性もそれに呼応するように、その場で立ち止まっている。もう、間違いがない無かった。あれからどうしたのか見当も付かないが、兎に角『彼女』は『次』に乗り替わったのだ。
何と言えば良いんだ・・・
幹夫には言葉が出なかった。
「良かったね」とでも言えば良いのか?いや、それは違うだろう。その『代償』として、彼女は誰かの生命を奪っているのだから。
・・・もう・・・充分だ・・・。
幹夫は黙って女性の手を強く握る。
もしも願うことならば、だ。勝手を言うようではあるが、出来ることなら「このまま何も言わずに去って欲しい」と。
そうすれば、幹夫自身も「何かの間違い」で事を収めるられると言うものだ。
『彼女』は何処かで生きている。それだけで充分だった。もう、それ以上を望む事は考えられなかった。
ドドーン!
一際大きな音がする。クライマックスの3尺玉が上がり始めたのだ。
「・・・キレイね・・・」
女性が口を開いた。
頼む!もう・・・それ以上、何かを言うのはやめてくれ・・・
幹夫は心の中で叫んだ。
「・・・来ようか、どうしようかと迷ったんだけどね」
「・・・・。」
「結局、来てしまったわ・・・まぁ・・・あなたが居なければ、そのまま帰るつもりだったけど」
彼女の手を握る幹夫の左手がブルブルと震えているのが、自分でも分かる。
「・・・もう止めるつもりだったんだけどね・・・でも、気がついたら『こう』なってたの。多分、本能的な何かが勝手に働くのね、きっと」
女性は淡々と語る。
「ん・・・私、ギリギリ覚えてたよ?ふたりで『花火を見る』って約束。確か、そうだったわよね?」
そうか・・・
幹夫はふいに理解出来た。『彼女』は人の想いに応えることを転生の切っ掛けにしているのだ、と。
いや、待て。
もしも仮にそうだとするなら、今回は誰の『想い』に応えようと・・・?
思い当たるフシはひとつしか無い。
やめてくれ!・・そんなつもりじゃ無かったんだ・・・
幹夫は泣きじゃくる顔を隠すことも出来なかった。
もしも・・もしも、自分が「一緒に花火が見たい」と望まなければ、或いは・・・
彼女が、握った手を離した。
「来てくれてありがとう。これでスッキリしたわ。じゃ・・・私はこれで」
幹夫が顔を上げた瞬間、3尺玉の大きな花火が夜空を照らした。
そのとき、その女性の顔がハッキリと見えた。
「何処かで見覚えのある顔だ」幹夫は記憶の糸を手繰る。
・・・それは、幹夫が清美を担ぎ込んだ時に清美を診てくれた看護師だった。
思わず言葉に詰まる幹夫を振り返ることもなく、彼女はそのまま夜の静寂へと溶けて行った。
「古い記憶は無くなっていく」彼女はそう言っていた。現に『約束』の記憶は曖昧だった。そうして、何れは幹夫に対する記憶も薄れて無くなって行くのだろう。彼女には新しい暮らしが待っているのだ。幹夫に、それを干渉する権利なぞあろう筈もなかった。
彼女が去った後、幹夫はその場に立ちすくんで動けなかった。
ドドンドドンと、大きく響く花火の音と光・・・それに大勢の歓声がいつまでも響いていた。
完
本作品を最期までお読みいただき、有難うございました。
私は、これとは別に「華星に捧ぐ」という小説を連載しています。
自分としてはかなり力を入れて作っている作品ですが、不思議なことに以前に作った8話完結の「野良猫のように」の方が高評価を頂いております。・・・・同じ作者なんですが・・・
うーん、需要が違うのかなぁ、と考えまして。
「だったら、試しに古典恋愛系でもうひとつ作ってみよう」と思ったのが、本作品のきっかけです。
作中、清美の父親が幹夫を制して「ここからは親族の出番だ」と語るシーンがあります。
実は、この作品で最初にイメージしたのが「このシーン」でした。ここから物語の構想を膨らせたのです。
この時、当初の構想では父親とともに母親も一緒の予定でした。
しかし、作中では母親の使い勝手が良く無かったために、申し訳無いのですが登場することなく早世して頂きました。南無。しかしこれによって、父親と清美の孤独感を強調させる事が出来ました。
また、母親を早世させることで清美が夭折する事について「遺伝的な何か」を匂わせる効果も出たと思います。
前話で華々しく散って頂いたハズの『彼女』を最終話で復活させたのは人間の『業』を描きたかったからです。
本作の『彼女』は、誰かの生命を奪う事と引き換えに誰かの願いを叶えようとします。
ここまで極端で無いにしろ、現実世界においても似たような事はあると思うんですよ。
例えばスポーツの世界で、特定の誰かを強力にサポートすることでその人が1位を獲ったとします。なるほどそれは喜ばしい事でしょう。しかし、その影には「頑張ったけど届かなかった」誰かの犠牲・敗北が必ず存在するんです。それはまるで光と影のように一体モノです。
カンパネルラは幸福の定義について「迷いなき自己犠牲の精神ではないか」と問いかけました。
しかし、その自己犠牲の影に「隠れている別の犠牲」は無いのでしょうか?仮にあったとすれば『それ』は天国行きのキップを手にできる絶対の善と定義出来るのでしょうか?
そこに答えは無いと私は考えます。
それが人間の『業』なんだと思うんですよね。
最後までご愛読いただき、有難うございました。
潜水艦7号 拝