会遇
『彼女』との最初の出会いは、大学近くにある地下街の古びた喫茶店だった。
そこは幹夫にとって通学路ではあったが、特にこれまで興味も無かった店である。
別に特段の理由があった訳ではないが『レトロ的』な?とでも言うか。少なくとも若者向きでオシャレな感じとは程遠いのも、感覚的にあったかも知れない。
その日、幹夫は地下鉄を降りてから講義の時間を勘違いしていた事に気がついた。
「ありゃ?・・・2時間近くも間が空くのか・・・困ったな」
幹夫は足をとめ、辺りを見渡す。何処かに時間を潰せる場所は無いかと。
「・・・少し戻ればスタバがあるけど・・・あそこは常に満席だしなぁ・・・」
ふと気が付くと、看板に『チェイン』と書かれた喫茶店がある。
店の窓にはスモークが掛かっていて中の様子は見づらいが、窓際は空席に見える。とりあえず満席というワケでは無いようだ。
「まぁいいや。時間さえ潰れれば」
幹夫は店のドアを開けた。
チャリンチャリンと鈴の音がする。
「いらっしゃい」
奥のカウンターにマスターの姿が見える。
「どうぞ、お好きな席へ」
時間が中途半端というのもあるだろう。店の客は自分の他には奥に1人だけのようだ。何処と無く店内にコーヒーのいい香りが漂う。
幹夫は適当な席に座り、荷物を降ろした。
「清美ちゃん、いいかな?」
マスターが誰かに声を掛けている。マスターはカウンターの向こうに居るから、ウエイトレスだろう。
「・・・はい」
そう返事をして、店の奥に陣取っていた『客』が立ち上がった。若い女性のようだが白いエプロンを首から掛けている。客と思ったのは、ウエイトレスだったのだ。
それが『彼女』だった。
「・・・ご注文はお決まりですか?」
ボソっした口調で彼女が尋ねる。なるほど、この店の雰囲気に『合っている』と言えるだろう。これだけ陰気な接客では、小洒落た店では到底務まるまい。
「あ、あの、ホットひとつ」
幹夫は左手で人差し指を立てる。
「・・・・。」
彼女は水の入ったコップとお絞りを置くと、そのまま何も言わずにカウンターへと踵を返した。
幹夫は何気なく、さっきまで彼女が座っていた席を見やる。すると、テーブルの上に何か本のような物が広がっているのが見えた。照明が暗くて分かりにくいが参考書とか、教科書の類のようだ。
学生なのか?
幹夫は考えた。だが、少なくとも『見た事の無い顔』だし、学生だったらこんな処でなくとも校舎の中にいくらでも勉強の場所はある。
だとすると、夜学か。
幹夫の通う大学には、社会人のための夜間講義がある。彼女がその学生であれば見ない顔でも不思議はない。苦学生なんだろうか?そうならば此処なら大学も近いし、場所的には良いのかも知れない。
それに『割と暇そう』な店だから、空いた時間で勉強することも出来るのだろう。四六時中混んでいる繁盛店では、こうは行くまい。
コーヒーが出て来るまでの間、幹夫はそんな風に考えを巡らせていた。
「・・・・。」
さきほどの彼女がやって来て、無言のまま出来たてのコーヒーを幹夫のテーブルに置く。ガラスのテーブルにソーサーが当たってカチャッと軽い音がする。
コーヒーカップを持つその指先は細く、薄暗い照明だが色白な印象を受けた。
幹夫がシュガーを取ろうと手を伸ばした時、すでに彼女は自席に戻って何事も無かったかのように勉強を再開していた。
不思議な存在感がある人だ。
幹夫はそう思っていた。
まず、年齢が分からない。顔つきが若いから10代後半か20歳そこそこなのであろうけど、ヘンに落ち着きがあるというか。雰囲気だけなら人生のベテランと言っても差し支えないだろう。他人を近づけさせないオーラがある。
目鼻立ちが整っていて『カワイイ』というより『美人顔』という風情だ。外見にあまり気を遣っている風もなく、メイクも薄いか或いはスッピンなのかも知れない。
ポニーテールに束ねている、少し長めの髪も特に染めている様子は無かった。
幹夫はやや熱めのコーヒーをすする。
『時間を潰す』事が目的で入った喫茶店だが、どうにも幹夫としては『清美』と呼ばれていた彼女が気になって仕方がない。かと言ってマジマジと観察するワケにも行かないから、何となく居心地が良くないというか。
いっその事、出されたコーヒーをそのまま一気飲みしてサッサと店を出るかとも考えたが、それだと『何か気に入らない事でもあったか』と変に気を回されるようで気が引けるし。
何より此処を出ても時間が中途半端過ぎてヒマを持て余してしまう。
結局、何やかやで30分ほど時間を潰した後、幹夫は席を立つことにした。
ガタっと椅子が動く音が聞こえたのか、件の彼女はマスターに言われる前に立ち上がり、レジへと向かって無言で歩きだした。
ポケットのサイフを探す幹夫の横を彼女が通り過ぎる。その時、幹夫の眼に彼女の席の上にある参考書のタイトルが見えた。
『万葉集解説』・・・か。なるほど古典Bの講義だな。著者の名前には覚えがある。幹夫の通う大学で古典の教鞭をとる教授だった。やはり、同じ学校の生徒なのだ。
幹夫は、彼女と自分に何かしらの接点があったことを嬉しく思った。