これからなにが変わるでもない
俺は落とし物をよく拾う。それは癖であるのか、それとも特技であるのかは定かではないが、目の前に落とし物が落ちている頻度は常人よりは多いのではないかと思う。こんなことは比べられることではないし体感の話でしかない。もしかしたら周りは落とし物に気づきながら平然と無視を決め込んでいる可能性もあるし、そういうことであれば落とし物を拾う頻度は偶然と言うよりは自分が起こしている必然で、ただの癖であり、特殊な能力とは言えないかもしれない。
通っている高校は偏差値で言えば中の下、元からそれほど頭が良いわけでもないし、かといって塾に通うのも嫌だった俺は家から近い学校を選んだ。偏差値的なことはそれこそ塾に行けばどうにかなったかもしれない、かもしれないが、かもしれないに時間を使うのなら家から近いほうがいい。
入学式は淡々と行われた。出席番号の早い生徒が左から順に呼ばれ、返事をしながら立ち上がる。次は俺のクラスだ。
一つ前の人が呼ばれ、俺の名前が呼ばれる。
「落合拾二」--はい--。
「ちゃんと返事して偉いな」 不意に横から声をかけられた。俺のあとに呼ばれた生徒だ。視線を少しだけこちらに向けて言葉を放ったその男は、服の上からでもわかる恵まれた浅黒い体に強い眼力、彫りの深いその顔にはしっかりとした眉毛が美しく通っている。黒黒としたくせのある髪の毛はうしろに流され野性味を帯びていた。
「返事ぐらいするよ。今日から高校生だからな」
「その言い方だと俺がお子様みたいじゃないか」到底お子様には見えない男は小野要と名乗った。
「名前はさっき聞いたよ。あのスピーカーからだけど」
俺はつまらなそうに指差す。
「あんなものよりはユーモアがあっただろ」
「確かに」
体育館から、同じ格好の不均一な集団が同じ出口を目指し歩く。
多少の騒音は集団の群れに飲まれ、規模を拡大していきながら少しずつ前進しているようだ。
流れに身を任せるはずが、この男は一向に立ち上がらない。
「行かないのか」
「逆に聞くがあの中を行くのか」
一理ある。
「最後に出ればそれでいいだろ。集団に混ざったところで集団の最後は最後の俺らとなんら変わらん」
「それもそうだな」
これから始まる生活への期待、希望。その熱気が渦巻く体育館で俺たちがいるこの一画は平温を維持していた。
最後尾が出口に差し掛かる。心なしか体育館の気温が下がったように感じた。
今朝、式の説明を受けた教室に戻りながらふと疑問に思う。
「小野のクラスはどこなんだ」
「今向かってるじゃねーか」
こいつはRPGの真似事をしているぐらいに、俺から離れない。
「今朝は気づかなかったな」
「そりゃそうだ、俺は朝に弱いからな」
誉められたことではないが、初日から大胆な男だ。
各々が自分の席につき教卓の男に目を向ける。
「全員揃ったな。このクラスの担任を任された浅野初です。頭にあったとは思うけど、これから自己紹介してもらうから」
廊下側の先頭から自己紹介が始まる。控えめな挨拶で終える者、挨拶に失敗をしたら死ぬのだろうか、内臓が飛び出そうな者。
バカ。様々な挨拶が繰り広げられる。
「落合拾二です。よろしくお願いします」
ここでなにが変わるでもない。この挨拶の失敗が死に繋がるならば、あるいは俺は死んでいただろうか。これで死ぬならそれもいい。挨拶をして死んだと天国でも地獄でも笑えるだろう。
その後も挨拶は続き、あいつの番だ。が、立ち上がらない。
どうやら朝はまだ続いていたらしい。
「小野、小野」立ち上がらない。
「小野」先生は少し荒らげた声で呼ぶ。
鋭い顔立ちの男は不機嫌そうに瞼を開け立ち上がる。
「もう名前呼んでんじゃねーか」
そう言うと「小野です」それだけを伝えて座った。
さすがユーモアのある男だ。この挨拶を見て内臓が飛び出しかけていた者達はなにを思う。飛び出たことも忘れて乾いた内臓を湿らせる作業に移ったほうがいい。世界最高峰の自己紹介をする者がいたとしても、このようなイレギュラーが覆すことはある。最高峰はその時点であって、変化をもたらすのは革新的な発想や偶発的なイレギュラーに他ならない。
結果的にこのクラスではイレギュラーとしてあの男の名前が各々に刻まれた。