第二話:塩味卵焼き
中学生くらいのとき、家に帰ると、食卓に卵焼きがぽつんと置いてあることがあった。
それは今晩母がいないという意味だった。置手紙じゃなくて、卵焼きだった。
全然甘くない、塩味の卵焼き。母がつくる卵焼きはいつも塩味で、私はそれで育ったから、初めて友達のお弁当の卵焼きを食べたとき、あまりの甘さに感激したことがあった。
妹の恵理が帰宅して、卵焼きとカップラーメンなんかを食べながらだらだらと世間話をした。
一つ下の恵理は、愛嬌があって「普通に可愛い子」だった。
常に恋をしているらしく、いつも私に恋の話をした。聞き手の私は、それは相手を好きなんじゃなくて恋が好きなんだよ、なんて鋭い真実をつきつけたりはしなかった。
恋の話をする恵理は、可愛かったからだ。
母は自由な人だった。
父は私が四歳の時死んでしまったから、母は「女性」だった。恋多き人だった。そのせいか美しかった。若々しく、遊んでいた。
それでも母は、毎日欠かさず父の仏壇に手を合わせていた。
どんなに遅く帰っても、必ず仏壇の前に正座することを、私と恵理は知っていた。
ついさっきまで他の男と会っていたのに、という矛盾を感じたことと、父に手を合わせる母の背中の本当の意味で綺麗だったこと、それは今でも鮮やかに思い出せる。
私が高校生になったとき、母は入院した。
癌だった。
そのとき私は初めて母の年齢を知った。五十歳を越えていた。高校生の娘がいるんだから当然だった。けど、驚いた。
なぜなら、私が見ていた母は、若く美しかったからだ。
化粧をおとし病院の白衣を着た母を見たとき、私はあの突発性の切なさに襲われた。
癌と聞いたときの驚きと、入院と聞いたときの悲しさ、病院のにおい。それと切ないのとで、私はひどく暗色なマーブルの渦に飲み込まれて泣いてしまったのをよく覚えている。