もしもルティアの店にオリーブオイルが無かったら
「あなたのお店、僕が流行らせてみせます!」
競合店に客を奪われていた『ルティアの小麦店』にて幸助がそう宣言してから一週間が経つ。
これ以上小麦の取扱量が減ると仕入単価が上がり、経営していけなくなるという危機に追い込まれているのだが、まだ幸助は決定的な改善策を見いだせていない。
扱っている商品はどこにでもある商品だ。
豆類など小麦以外の商品も置いてあるが、それだって競合店のそれと変わりない。
本当に特徴のない店に、幸助の頭は痛くなる。
(困ったなぁ。アロルドさんの店がうまくいったから、ついついあんなこと言っちゃったけど、勇み足だったかもしれないぞ。小麦は必需品だけどどこにでも売ってるし。どうやって解決すればいいんだ……)
他の商品を仕入れる。
パン屋などへ、業販を広げる。
ルティアに今まで考えたアイディアを打診してみるが、どれも実現性の低いものばかりであった。
飲食店へ卸すということも考えたのだが、話を持っていけそうなのはアロルドの店とクリームシチューを扱うマールの店だけだ。これではすぐに状況が好転する材料にはなり得ない。
(はぁ……。ついこの前、この世界でコンサルティングをして生きていくって決めたのに、これじゃ元の状態に戻っちゃいそうだよ……。ん?)
目の前に湯気の立つスープが置かれたことで、幸助は思考の世界から戻る。
今日は日曜日。
今、幸助はルティアの店で二度目のミーティングをしているところだった。
時刻は昼過ぎ。
午前中のヒアリングでは、これという情報はルティアから引き出せなかった幸助。
一旦店を後にして仕切りなおそうとしたところ、ルティアが昼食を用意してくれると言うので、その言葉に甘えたところだった。
「コースケ、どうしたの? 難しい顔して」
「あっ、すいません。いろいろ考え事をしてました」
「そっか。悪いね、あたしのために……。これ、豆とトマトのスープよ。豆はウチで売ってる豆なの。冷めないうちにどうぞ」
「はい。いただきます」
やはりこの地方はトマト料理が多いようである。
ルティアのトマトスープはシンプルであるがたっぷりと豆が入っており、ボリューム満点だ。
添えられた固いパンをちぎりながら食べる幸助。
「うん。美味しい! ホッとする味ですね」
「ありがと。こんな料理でも喜んでもらえたら嬉しいよ」
ランチが終わると幸助は立ち上がり、帰り支度をする。
「ルティアさん、ご馳走様でした。アイディアが浮かんだらまた来ますね」
「うん、分かったよ。でも、父が亡くなった時から店の運命は決まってたかもしれないんだし……無理しないでね」
ルティアの目からは寂しさが漂う。
店は父の形見とも言っていた。絶対に潰したくはないはずだ。
そう感じた幸助は、力強くルティアへ言葉を返す。
「いや、お父さんが遺してくれたお店だからこそ、ここで潰えないようにしましょう。あんな店に客を取られるなんて僕は許せません! 絶対に解決する方法はあるはずです。ルティアさん、一緒に頑張りましょう!」
「そう……。そうね。そうだよね…………。ありがと、コースケ」
幸助は山のように積みあがった小麦の在庫の横を通り過ぎると、ルティアに見送られ、店の外へ出る。
◇
翌日。
幸助は宿を出るとメインストリートを東へと向かう。
向かう先はアロルドの店だ。
この街で、いや、この世界で幸助が相談できる相手は、アロルドとサラだけである。
ランチも兼ね、ルティアのことを相談しようと考えたのだ。
「やっぱりあの積みあがった在庫を活用する方法を考えないとなぁ」
ルティアの店では仕入単価を維持するため、在庫があるにも拘らず毎月大量の仕入を続けていた。
だから在庫は増える一方だった。
その反面、売上は減少の一途をたどっている。
手元の資金はカツカツの状態だ。
しかもその在庫は食品だ。置いておくだけで劣化していく。
資金繰りに苦しい今、安売りで赤字になってでも今ある在庫を現金化したほうが良い。
だが、免許制である小麦の安売りは基本的にはできない。
だからこそ、安売り以外の方法で在庫を何とかお金に変えなければならない。
歩くこと数分。
幸助がアロルドの店に近づくと、ちょうど店の前に停まっていた格式の高そうな馬車が発車するのが目に留まる。
それを気にしつつ、幸助は重厚なオークのドアを開ける。
ギィ。
薄暗い店内に光が差し込む。
ランチタイムが終わる時刻なので、客はだれもいない。
店内には片づけをしているサラがいるだけだ。
「あ、コースケさん!」
サラは幸助の姿を見つけるとパタパタと駆け寄る。
その表情は笑顔に満ちている。
いや、興奮しているようにも感じる幸助。
「どうしたの、サラ? テンション高いね」
「誰だってテンション高くなるよ! すっごいことが起きたんだよ」
「すごいことって、どうしたの?」
「あのね、なんと……」
「なんと?」
「…………」
「……」
「領主様のとこのアンナ様がカルボナーラを食べに来てくれたの!」
「アンナ様って、領主様の娘さんのこと?」
幸助の質問にサラは頭をブンブンと縦に振る。
真っ赤なポニーテールがバサバサと揺れる。
「へぇ、凄いじゃないか!」
「でしょでしょ!」
「サラやアロルドさんが頑張ったからね」
「うん!」
一緒に開発したカルボナーラが貴族階級にも受け入れられと知り、幸助もテンションが上がる。
わざわざ一般市民街まで来て食べてくれるなど、相当なことである。
「コースケさんはランチ、もう食べた?」
「ううん、まだだよ」
「じゃぁ、一緒にカルボナーラ、食べよ!」
数十分後。
「うぅ、おなかいっぱいだ……」
アロルドも交え、三人でカルボナーラを食べた幸助はオヤジ臭く腹をさする。
出されたパスタが大盛りだった。
しかもハンバーグ付きである。
領主令嬢の訪問という出来事に、アロルドも上機嫌だ。
いろいろとサービスをしてくれた。
「はい、コースケさん。食後のお茶だよ」
「ありがとう、サラ」
コトリ、と幸助の前には湯気を立てたカップが置かれる。
いつもの紅茶だ。
カップの隣には、クッキーが載せられた小皿も添えられる。
「このクッキーね、お礼にってアンナ様が置いてってくれたんだよ!」
「へぇ、お土産までくれるだなんて、本当にカルボナーラを気に入ってくれたんだね」
「うん! 甘くておいしいよ」
貴族からもらったクッキーということで、俄然興味が湧く幸助。
この世界ではまだおいしい菓子にありついていない。
貴族御用達ならば、相当な品質に違いない。
紅茶を一口飲むと、クッキーを口へ放り込む。
「どう?」
期待と違う味に幸助は複雑な表情を浮かべる。
確かに甘いのだが、ただそれだけだ。
そして何より、日本で食べたようなサクッと感がまるでない。
甘くて硬い。それが幸助の感想だ。
「うーん……」
「どうしたの? コースケさん」
「確かに甘いんだけど、僕の知ってるおいしいクッキーとは違うかな」
「そう? 私たちが普段食べるのよりもずっと甘くておいしいけどなぁ」
「これが違うって、お前はどんな高級クッキーを食べてたんだ?」
アロルドの質問に幸助は悩む。
どんなクッキーを食べていたかと聞かれても、クッキーはクッキーだ。
答えようがない。
(普段食べてたクッキーってどんなクッキーだったっけ。クッキーといえば、ええっと……ブ〇ボン。ブル〇ンといえば……思い出した! バタークッキーだ。ってことは材料にバターが必要なことは間違いないな。あとは小麦は必須として。……うん? 小麦?)
「そうだ!!!」
突然声を上げる幸助に二人の視線が注がれる。
「ど、どうしたの?」
「何だお前。いきなり」
「小麦屋さんの改善にクッキーが使えないかなと思いまして」
「小麦屋?」
それから幸助はサラとアロルドへ、ルティアの店のことをざっくりと説明する。
店を継いだが客離れが止まらず、在庫が山のようにあることなどである。
「ということでアロルドさん。安くておいしいクッキー作ってくださいよ。ルティアさんの店で売ってみたいです」
「世話になったお前の頼み事だ。力になってやりたいが……作り方は?」
「知りません!」
「材料は?」
「小麦です」
「そんなことは誰でも知っとる!」
「で……ですよねー」
久しぶりのアロルドからの圧力にタジタジになる幸助。
その反面、サラは嬉しそうな顔を浮かべている。
ハンバーグやカルボナーラを開発したときのことを思い起こしているのだ。
「え……えっとですね。たぶんなんですが、バターを使ってると思います」
「バター? それまた調達が難しそうな材料だな」
バターは生クリームと同様、生乳が原料だ。
生乳の生産量自体が限られているため、カルボナーラ用の調達も苦労した経緯がある。
「バターじゃなくてもいいかもしれないんですが……」
「まあいい、色々試してみる」
「よろしくお願いします!」
その後ルティアへクッキーのことを話すと、紆余曲折はあったものの、やってみようということになった。
そのため、幸助はルティアから小麦を預かりアロルドの店へ持っていったり、バター仕入の交渉をするなど、久しぶりに忙しい日々を過ごすことになった。
◇
数日後、幸助は再びアロルドの店を訪れる。
試作品が出来上がったという知らせを受けたからだ。
「では、いただきます」
綺麗な焼き色がついたクッキーをつまむと、幸助は口へ送り込む。
アロルドとサラは、その様子を不安げに見守る。
噛むとサクリと心地よい感触と共に、バターと砂糖の濃厚な甘味が幸助の口を満たす。
「どうだ?」
「すごく……おいしいです!」
「やったねお父さん!」
幸助が食べたのは紛れもないバタークッキーであった。
甘さはやや強めだったが、この世界ではアンナからもらったクッキーがそうだったように、甘味が強いのが好まれる傾向にあるようだ。
「これ、お菓子専門店が開けそうなくらいですよ」
「そ……そうか」
ポリポリと人差し指で頬をかくアロルド。
その様子を見ながら笑みを作るサラ。
「それとだな、バターだと高くつくからこれも作ってみた」
そう言うと別な皿を幸助の前へ差し出す。
見た目は先ほどのバタークッキーとさほど変わらない。
食べてみると、バタークッキーのような濃厚さはないが、サクッとした口触りや味は十分においしいといえるものだった。
「これもおいしいですよ」
「そうか。ならよかった。これはバターの代わりに植物油を入れてみた」
「うん。両方とも売れそうです! 早速これ、ルティアさんの店に持って行ってもいいですか?」
「ああ」
その後幸助は大よその費用のことを話すと、二種類のクッキーを手にルティアの店へ向かう。
◇
「ルティアさん、これがアロルドさんに開発してもらったクッキーです」
ルティアは幸助からバタークッキーを受け取ると、早速試食する。
目を細め、うっとりとした表情を浮かべている。
やはりアロルドの腕は間違いなかったようだ。
「うん。おいしいね。でもコースケ……」
「どうしました?」
「やっぱり穀物屋がお菓子を売るなんて、おかしくないかしら?」
前回クッキーの話をした時からルティアは、小麦店の定番アイテム以外を置くことに違和感を感じていた。
だが幸助はそのようなことは全然考えていない。
無くてもいいけれどあれば幸せになる商品が加わることで、特徴のある店になると考えているのだから。
「そうですか? 全然おかしくないと思いますが」
「そんなものかな」
「そんなものですよ。法律で禁止されてなかったら何でも揃えればいいんです」
「ふうん。ま、やるって決めたことだし、これでやってみようかしら」
その後、幸助とルティアはどうやって販売するかを検討する。
まず、ルティアの店にクッキーがあることを認知してもらわないといけない。
そのため試食販売をすることに決めた。
◇
そして翌週の月曜日。
今日は試食販売を行う日である。
記念すべき日を祝福するように抜けるような青空が広がっている。
朝早くから幸助とルティアは準備に勤しんでいる。
「いよいよね」
「うん。頑張りましょう」
店頭の一番目立つところに空き箱を置き、その上にお盆を載せる。
試食用に即席で誂えた試食台だ。
盆の上には山盛りのクッキーが二皿置かれている。準備は完了だ。
時刻は午前八時。
日本ではまだまだ買い物には早い時刻だが商業街の朝は早い。
道を往く人々が徐々に増えてくる。
幸助は店内から店頭の様子を観察する。
基本的に営業そのものには手を出さない方針だからだ。
「さて、がんばらなきゃね」
もう開店の時間は過ぎているが、いつも通りルティアの店にはなかなか客が来ない。
しかし、これに関してはまだ問題ではない。
早朝に賑わうのは生鮮食品を販売する店なので、穀類を求める客が来るのはもう少し後になる。
そんな矢先、店頭に人影が現れた。
「あ、ミリアさん。いらっしゃいませ」
本日初めての来店だ。
「ルティアちゃん、いつもの小麦五キロよろしく」
「はい。すぐ用意しますね」
いそいそと小麦袋へ向かうルティア。
話しぶりからすると常連のようである。
秤で五キロを計量すると来店客の持ってきた袋に詰める。
「はい。銀貨一枚ね」
「ありがとうございます!」
商品を渡し代金を受け取ると、そのまま客は帰ってしまった。
「あ、試食してもらうの忘れちゃった」
その後もちらほらと来店はあるものの、ルティアは試食の声がけをするタイミングをうまく掴むことはできなかった。
店頭の試食台に気付き客から声をかけてくることもなかった。
試食という行為自体に慣れがないためであろう。
「コースケぇ。誰も食べてくれないよぉ」
店の奥に戻ってくると幸助に弱音を吐く。
開店してから三時間くらい経った。
時刻は午前十一時前。
まだ一人も試食をしてもらうことができないでいる。
「うーん、困りましたね……」
「何だか図々しく感じて声がかけにくいの」
「ま、慣れてないことをやろうとすると最初はそんなもんですよ」
最初から何でもできる人などいない。
練習して場数を踏んで、ようやくコツを掴んでいくものだ。
「なら、これから僕がサクラをやりますよ」
「サクラ? なにそれ」
「店頭でクッキーを試食して、おいしいって演技をする人のこと」
「あはっ、面白いこと思いつくのね」
日本では当たり前であるが、この世界ではそのような概念は無いらしい。
「僕がおいしそうに食べている姿を見れば、ほかの人も気になって食べてくれますよ。それにお腹が空いてくる時間ですしね」
「なら、早速やってみよ」
「じゃぁ、僕は裏口から表に回りますね」
そして店頭へやってきた幸助。
早速試食コーナーへ向かう。
「いらっしゃい!」
「あれ? 試食販売してるんだ。食べていい?」
「どーぞ、どーぞ」
「これは何ですか?」
「贅沢にバターを使ったクッキーですよ」
「はーい。いただきます」
違和感ありまくりである。
だが、幸助やルティアに演技力は期待してはいけない。
二人とも商売人なのだから。
道往く人に見えやすい体勢でクッキーを手に取り、口へ放り込む。
「……」
「お、おいしいぞ!!」
幸助渾身の美味しいコールが通りに行きわたる。
幾人かがそれを聞きつけ、試食コーナーへやってきた。
「何だなんだ?」
「それ、食べていいのかしら?」
「クッキーの味見ができるみたいですよ。これをパクッと」
幸助が実演して見せる。
周りの人がそれに続く。
「おいしい!」
「食べたことない濃厚な風味ですこと」
「本当にクッキーか? これ」
「うん! お母さん美味しいね!」
「ええ。おいしいわね」
人が人を呼び、一気に大盛況となるルティアの小麦店。
頑張ってねという意味を込め、幸助はルティアの背中を押し接客を促す。
「いらっしゃいませ。あたしの店にしか置いてないおいしいクッキーいかがですか?」
「本当に美味しいわね。お幾らなのかしら?」
「一山で銀貨一枚です」
「うーん、美味しいけどそれは高すぎて買えないわねぇ」
ルティアが答えたのはバタークッキーの価格だ。
市場に出回っている一般的なクッキーの二倍の価格である。
無理もない。
しかし、この展開に対応するための筋書きは用意してある。
「奥さん、こちらのクッキーでしたら大銅貨五枚ですよ」
「あら、それなら買えそうね。さっきのとはどう違うの?」
「バターを使っていないんです。先ほどのクッキーよりもあっさりですけど、おいしいですよ」
そう言いながらもう一つのクッキーを勧めるルティア。
促されるままに客は試食する。
「うん。これもおいしいわね。ならこれを頂こうかしら」
「ありがとうございます!」
こうして、用意したクッキーが無くなるまで人だかりは途絶えることはなかった。
この日の販売数は、バタークッキーが十人前で安価なクッキーが二十人前。
試食でだいぶ消費したが、それでも黒字である。
試食販売は、大成功で幕を閉じた。
その後、競合店がつかまり小麦のお客さんが戻ってくるという話で本編に合流します。
でもこれだと、アロルドがこれから開発する料理のレパートリーが減ってしまいますね。
さようなら、ペペロンチーノ。




