R:深全域
俺は現実が嫌いだ。
産まれた時に実親を失くした俺は親戚に預けられ、育てられた。
もちろん、感謝はしている。
しかし、心の何処かで彼、彼女を本当に愛せない自分がいた。
血の繋がり以上に大切なことがあるなんて知っている。
でも、どうしても俺には彼らを愛せる度量がなかった。
愛を与えられていたが、愛を与えることは滅多になかった。
そんな俺の支えであったのが祖母。
彼女は母方の祖母であり、家が近いこともあって、よく会いに来ては俺と話をしてくれた。
不思議なことに、俺は祖母にだけはとても好意を寄せていた。
血の繋がりは養親にもあるはずなのに、祖母の方が俺には大切に思えた。
結局、何が俺にとって大切なのかは分からず仕舞いだったが、それはきっととても単純なものなのだ。
ある日、俺と祖母は買い物に出掛けていた。
近くの書店に本を買いに行くところだった。
俺は本が好きなのだ。
この中では人が意味なく死ぬことはないし、大切な物も無意味に壊されることはない。
何かしらの意義をもって物語は進む。
とても暑い夏の日。
俺は幼かったので大したことはなかったが、祖母の老衰した体にはとても堪えたであろう。
目的地までに通る最後の横断歩道。
はしゃいで先に渡り切った俺は祖母を手招いた。
未だに青く光る信号機。
祖母は俺の呼びかけに微笑んで歩みを進めていた。
刹那。
祖母は俺の目の前から姿を消した。
大型のトラックに撥ねられて、祖母の身体は原型を留めないほど歪んだ。
いつもそうだ。
この現実というシステムは突然に俺の大切な物を奪い去る。
脈絡なぞあった試しがない。
破綻している。
物語を織り成しているくせに自らそれを破壊していく。
不完全な駄作へと形を変えていく。
だから俺はその不完全を排除せねばならない。
徹底的に。
「なぁ、なぁってカンナ」
ツクノが俺の名を呼ぶ。
「……なんだ」
「お前も思うだろ? ここは一旦こいつを向こうに帰した方が良いってよぉ」
「……確かにな」
チラリとイッキの顔を見ると、彼は納得していないようだった。
「まぁ俺にはこの世界で生きる術も、理由もない。でも、このまま蓮を置いて俺だけ元の世界に帰るってのは……」
「理由もないんだろ?」
「今のはその、言葉のあやって言うか……」
「つまりはそういうことなんだなぁ、っと」
ツクノは面白そうに口角を上げ、イッキの反応を待つ。
俺達が今いる場所はツクノが所有している倉庫の一つ。例に漏れず守備は万全で、建物ごと壊されることがなければ、俺達以外は出入りすらできないだろう。
少しして、イッキは飄々とした奴の顔を見て尋ねた。
「……一度元の世界に帰ったとしても、もう二度とこの世界に来られないわけじゃないんだよな?」
「ああ、この鏡がある限りはな」
そう言ってツクノは元凶とも言える姿見に手を置く。
「俺はこいつを使って何度もお前さんのいた世界に渡ってる。生き証人ってわけだ」
「でも、俺が戻りたいって思っても鏡は手元にない。こっちとの連絡はもう取れないだろ?」
「あーそれはあれだ。……えーっと、その、待ってろ」
そう言うと、ツクノはコレクションの山を漁り始めた。
「おい、カンナ。お前もちょっとこっち来て手伝ってくれ。あれだよ、あれ、えーっと……」
「……ヘルメスの割符か?」
「そう! それだ! ちっこいからなぁ……どこやっちまったんだか……」
俺とツクノはまったく整理されていないガラクタを掻き分け、イッキと意思疎通を果たせる奇品を探し始める。
ツクノが言う通りイッキがここに留まる理由はない。俺達と化物共を狩って生活するわけにもいかないし、もう一人の……もう一人の俺の方に合流させたところで前案より生存率は下がるだろう。とすると、あいつには帰ってもらう他はない。……向こうには家族もいるだろうしな。
そんなことを考えているうちに、どうやらツクノが目当ての物を見つけたらしく、サルベージ作業に取り掛かろうとしていた。
「くっそ、あんなところに……」
「ちゃんと整理しておかないからだ」
「いや、だってよう、ここあんま使わねぇし……ま、いいからお前も手伝えや。あー、あとカンナのお友達君も手伝ってくれると嬉しいなぁ? ……あ?」
「……!」
振り返って彼を見る。
そこには血塗れのイッキ、友人の姿があった。
「……ぁ、あ、あァア…………」
「おい! どうした! 何があった! おめぇ変なもん触ってねぇよな!」
ツクノはそう聞きはしたが、何かの事故で彼が血みどろになっているわけではないというのはすぐに分かった。
穴。
穴が開いている。彼の心臓を正確に貫くように。酷く綺麗な空洞が作られていた。
「一体誰がこんなこと……!」
ツクノは周囲の様子を探る。
しかし、特段変わった事はなかった。障壁は間違いなく作動している。術式を破られた形跡は一切ない。大きな力で壊されたりという痕跡もないし、ましてやそんな事があれば俺達が気付かないはずがない。
「………お……」
「なんだ! 喋んな! 今手当てしてやるから!」
「お、面白く、ない、って……」
「はぁ!? 何!? そいつは誰が! どんな奴が!」
「し、白く、て……ぐ、グァ、がっはッ、アァ……!」
「おい!」
ツクノはイッキに対して早急に処置を施していく。
対して俺は呆然と見ているだけ。
何もできない。
何をしてやることもできない。
あの時と同じ。
ただただ成り行きを見守るだけの木偶の坊。
そして、ツクノは手を止め、首を振った。
「……声は出せるか? 何か最後に言いたいことはあるか? どんなに小さくてもいい。俺が届けてやるよ」
ツクノがそう聞くとイッキは力なく笑って、言った。
「また遊ぼうな……蓮」
俺に。
友は、俺に。
どこにいる誰ではなく、俺に向かってそう言った。
「……イッキ……あぁ…遊ぼうな、こんな俺で良ければ遊んでくれよ……だから、さ……だから」
「……先に行って待ってるから……ずっと待ってるからな」
彼は最期の言葉を遺し、深く深く瞼を閉じた。
「カンナ…………」
「………………クソがああああああああああああああアアアアアアアアァッッ!」
俺は現実が嫌いだ。




