端麗なる渾沌
「素晴らしい人形って言うのはね。何も容姿だけを取り上げて言うんじゃないんだ。その中に眠るモノを見極めなくちゃいけない」
ディルガーは身動きの取れないティーネの頬を撫でて不気味な笑みを浮かべる。
「つまり、魂さ」
「た、魂……?」
怪訝な顔をしてティーネは彼の言葉を反復した。そして、ディルガーは全てを見透かしたかのように笑って、こう答える。
「そう、魂。しかし、君たちはこう思っただろう? 魂を持ったのなら、それは『人形』ではない。『人』だ、と。いやいや、違うんだよ。それなら逆に問おう。人形に魂がないと思うのかい? 答えは否。世界各国至る所で色々な噂話をよく耳にするよ。人形の髪が伸びただの、ひとりでに人形が動いて別の場所に落ちていただの、はたまた人形が人を殺しただの……ってね。それは呪いのせいだって人は皆、口を揃えて言うんだ。けれども僕はそう思わない。僕は人形に魂が宿っているからこそ、そういう奇怪な現象が起こったと思うんだよ。ある時をきっかけにそれを爆発させて。つまり『人形』が『人形』のまま『人』になったのさ」
滔々と語り続けるディルガーを余所目に、ビビは必死になって周囲の情報をかき集め打開策を模索する。
この空間には何もない。目視できる床もなければ、境界を作る壁もない。空を隔てる天井も見当たらなかった。
見渡す限りの棚と人形。人形館とでも言うべきか。
彼の作品に囲まれた彼女は何だか頭がおかしくなりそうだった。
「おい、聞いているのか」
「……っ!」
つい一瞬までティーネの側にいたはずのディルガーがビビの顔にその目を近づける。
「き、聞いてる……よ……」
「……そう。それなら良いんだ。ビビちゃんは素直でとてもいい子だもんね。おじさんは知ってるよ。すまないね、語気を荒げてしまって。……では話の続きをしようか」
彼は時を刻むように自らの鉤爪をカチカチと鳴らしながら、彼女ら三人の周りをゆっくりと周回し始めた。
「どこまで話したか……そうそう、『人形』が『人』になったって話だね。それを君たちはどう思う? 僕はとても魅惑的だと思ったよ。本来持ち得ないものを抱えたものに惹かれない人なんていない。皆が手放しで脱帽するよ! ……しかし、美しい人形が魂を、自我を持ってしまったら、どうしてもその美しい形を保てなくなる。魂を持ち、考えて動き、言葉を話し……どれだけ素晴らしい一級品の人形でも魂を持った瞬間おぞましい物へと変貌してしまうんだ。……じゃあ逆はどうだろう? 『人』が『人形』になったら。その魂を失くして『人』が『人』のまま『人形』に……。でも僕は思ったよ。それはつまり死体なのでは? 何を思うわけでもなく、何を感じるわけでもなく、ただただそこに存するだけの……。僕はそれが美しいとは決して思えなかった。断じて肯定できなかった。ならどうすればいいだろう? 魂を残したまま美しくあれるだろうか? 穢れを生まず、人の形を保ち、美しく純粋である条件……。考えた、僕は考えたよ。悩みに悩み抜いた。そして僕は行き着いたんだ……! この素晴らしい世界に!」
彼はそう言うと恍惚とした表情で手を広げ、周囲に並ぶ人形たちを仰いだ。
「見てくれ! どうだい? 素敵だろう……! この子たちは元々、人間だったんだよ!」
ビビとティーネはあまりの嫌悪感に顔を歪ませずにはいられなかった。
「ああ……なんて美しい……。…………僕はね、子供が大好きなんだ。一切の汚れのない純粋な心。それが僕の心を洗ってくれる。だから閃いたんだ。子供たちを人形にすればいいんじゃないかと」
「狂ってる!」
思わず叫んだティーネにディルガーは顔を向け、鬼の形相で彼は反発する。
「狂ってる!? 狂っているのは世界の方だ! なぜ、なぜ子供たちがその綺麗な手を汚してまで戦わなくてはいけない! 汚れ仕事は大人の領分だ! 大人は子供をその手で守ってやらねばならない! それをなんだ、自分たちの力量が足りないからと子供にまで仕事を押し付けて……あぁ! 狂っている! 汚れている! 腐りきっている!」
声を、息を荒げて男は爪で空をひたすらに切り続けた。我を忘れて何度も何度も。時には自分の体を斬りつけることもあり、そのたび赤い流線が宙を走った。
幾分か時が過ぎ、落ち着いた彼は深呼吸をして話を再開する。
「……だからね、おじさんは助けてあげることにしたんだよ。君たち子供を汚さないように」
ディルガーは再び棚の人形を眺め、憂いを帯びた表情でガラスを撫でた。
「最初は単なる善意だったんだよ。純粋に子供たちを救おうと活動した。けどね、僕は途中で目覚めてしまったんだ、美というものに。それから救済は他意を含んでしまったのさ。さっきの話は覚えているかい? 『人』『人形』の魂の話を。ひたすらに僕は美しい魂を探したよ。そして完成した究極の作品があの子」
そう言って彼は最初に示した人形を指す。
「とても真っ直ぐで、綺麗で、美麗な魂。これ以上の物は存在しないと思った。……でも気付いてしまったんだ。それは『人形』が『人』へと近づく時と何の変わりがあろう? 人形はその執念を以て魂を宿す。一つの折れない想いを胸に。それであるなら『人』から『人形』への昇華は? 一つの純粋な想いだけで構成された魂で良いのだろうか? ……いいや、違う。そこに混ざり合う人間的な何かを以てして転換するからこそ、そこに美しさがあるんだ」
「何? 結局何が言いたいのさ!」
しびれを切らしてティーネは彼の話を止めた。
するとディルガーは満足げな笑みを浮かべ、彼女に近付く。
「賢いティーネちゃんなら想像できるね? ……つまり、こういうことだよ!」
「……ッ!?」
瞬間、三人の身体が宙に浮く。
彼女らはまるで十字架に磔にされたように固定され、もはや口を開くことすらできなくなっていた。
「長い間待っていたよ、この時を。フェリシアちゃん、ビビちゃん、ティーネちゃん。おじさんは君たち三人を特に気に入ってたんだよ。他の子たちとは少し違う。魅力的な何かをその内に秘めていたからね」
ディルガーは楽しそうに話しながら彼女らに寄り、鋭い爪を交差させて三人を凝視する。
フェリシアは二人と出会ってからずっとおかしな様子で、今に至ってもその状態は改善されていない。ひたすら何かを悲観する物憂げな眼で虚空をただただ見つめるだけだった。
刻々と向かってくる恐怖と絶望。
窮迫している危機を脱するため、ビビとティーネの両者は唯一動かすことのできる脳味噌を全力で回転させる。
今、手元には何もない。空間にも何もない。だが、たとえ何かがあったとしても動かない体ではどうしようもない。
では別の方法を……。
しかし、口が開かなければ魔法も使えないし、時間稼ぎの会話さえできない。
……詰みだ。何もできやしない。
ビビは思考を放棄する。そして懇願した。
(なんなの? 一体あたしが何をしたって言うの? お願い! 早くこの悪夢から覚まさせて! ……悪夢から。……悪夢…………夢?)
聞いたことがある。
自分で夢であると自覚しながら見ている夢の中では夢の状況を自分の思い通りに変化させられると。
(なら現状を夢だと把握している今のあたしなら……!)
彼女は精一杯の自覚と想いを込めて身体にイメージを流し込む。
この体は自分の物。動かないわけがない。自分の思い通りにすべては動く。
「……ティ、ティーネ! 夢! これは夢なの!」
どうにか動かせた口を開いて、必死に姉は妹へ言葉を届ける。
「これは夢! だからそれを認識して、自分の体……ッ!」
動かない。
また口が開かない。
彼女はより意識を口に集中させたが、どうしても言葉を発せなかった。
「いやぁ、ビックリしちゃったな。まさか僕の世界の中で自我を爆発させるなんて」
ディルガーが驚いた様子でビビを見る。
「うんうん、そういうのをおじさんは求めていたんだよ。でもね……」
そう言って彼はビビの洋服を切り裂いた。決して肌は傷つけず、その纏った衣装だけ引き剥がすように優しく激しく、滑らかな鉄の爪で彼は彼女の穢れを蹴落としていった。
「ふっふっふ……! 少しは手入れしなくちゃダメみたいだね!」
ディルガーはビビに続いてティーネ、フェリシアの服も裂き始める。
繊細に、汚さないように、綺麗な形を削るように。
何も抵抗できない二人は恥辱と悔しさの波に飲まれ、果てには底知れぬ絶望感に襲われた。
このまま自分達は何にも触れることが出来ない飾り棚の中で一生を終えるのだろうか。いや、そもそも一生を終えられるのだろうか。永遠に夢の中……。
徐々に輝きを失ったその瞳に気付く様子もなく、帽子の男は無我夢中で展示の準備を進める。
「もう少しで終わるよ。ごめんね、だからちょっとだけ我慢して……」
だが、突然、彼の動きが止まる。止められる。
何かの力に制される身体。何をしても、いや何をしようとしても彼の体は言うことを聞かない。
「……ん? ん……? な、なんだ……?」
彼は焦って目を血走らせるが、どうしようもなく指の一つも動かせなかった。
一体何が起こっている。
と、その疑問に答えるようにどこからか声が聞こえた。
「みなさん! 大丈夫ですか!」




