悲しく眠る理想の土壇場
刻々と迫る享楽の影の隅でクローディアは煩慮に掻き回されていた。
フェリシアもビビもティーネも目を閉じたままで、レンに限ってはそもそもこの場にいない。
現状を打破するには自分が主体となり、自分自身がその身を以て行動せねばならないと彼女は奥底で誓いを立てた。
他人思いで思慮深い少女はその心に似つかわしくない独善的なトートロジーを溜め込む。
しかし、それを彼女すぐにかなぐり捨てた。
一度として彼女は自分は自分一人で生きているのだ、などと思ったことがない。もちろん、家を出るという大きな決断をした時に関しても例外でなく、それからも、そして今も、おかしな表現ではあるが、周囲の支えがあって自立できている、と考えるような子なのだ。
一人でやっていることも決して一人で出来やしない。気付いていないだけで、何かしらの助けがあり、そのすべてが成り立っている。
そんな彼女だからこそ、他人の記憶を操作するという人離れした能力を授かったのかもしれない。
「……おもしろい」
ぽつりとアルムが呟いた。
「アルム……こんな時に……」
「ううん、違うよ! こんな時だからこそ、あるんだなーって!」
ますます意味が分からないとクローディアは首を傾げる。
「とりあえず原因を突き止めなくちゃーっ」
「そうだね。うーん……」
分かっていることはこのコテージ一体に結界が張られているということ。誰が、何のために結界を張ったと言うのだろう。
そして――
クローディアはベッドに移動させたビビとその双方で横になっているフェリシアとティーネに視線を注いだ。
「なんで私たちは眠くならないんだろう?」
「お酒?」
「お酒……ううん、私も飲んだよ?」
「ぜんっぜん酔ってないのに?」
「それは関係ないの」
「ふーん」
アルムは口笛を吹きながら玄関に近付く。ぺたぺたと手で何かを確かめるように触って小刻みに首を振った。
「何か分かった?」
クローディアがそう尋ねると、アルムは口を尖らせて揺れる天秤のように首を左右させる。
少女の中で揺れ動く何かが定まった時、アルムは元気よく頷いた。
「この結界ねー、人が張ったものじゃないよ」
「え? どういうこと?」
「うーん、妖怪? 物の怪? 魑魅魍魎の類?」
「……つまり幽霊の仕業?」
瞬間、クローディアの顔が青ざめた。
何を隠そうこのクローディア、それはもう相当な怖がり屋である。
気絶しそうなほど強張った体を和らげるためにアルムが彼女に抱き付いて耳元で囁いた。
「だいじょーぶ。だいじょーぶ。……幽霊じゃなくて実体があるから」
「……実体?」
「そう。だから幽霊じゃなくて怪物。モンスターと同じだよ」
「……」
クローディアは自分の体からゆっくりとアルムの体を離す。
「なんだぁ……先に言ってよ……すっごく怖かったんだから……」
「クローディアってよくわかんないね。怪物だって怖いじゃん」
「違う怖さなの!」
「そっかそっかー。まぁよかったね。これで何とかできそー」
「うーん、でも結局何をしたら解決するのかが分からず仕舞いだよ」
もう一度ベッドで眠る三人を注意深く見る。
顔は苦痛に歪んでいて、うなされているようだった。
「そういえばティーネさんが悪夢って言ってた……」
「悪夢?」
「うん。もし、それが関係しているんだとしたら……」
「したら?」
自身の小さな手を見つめる。クローディアは決心すると真っ直ぐに三人を見据えた。
-・ ・・ --・ ・・・・ - -- ・- ・-・・
薄暗い廊下。机と椅子が並べられた教室。
狂った時計は二時三七分を示し、チャイムを鳴らした。
「また会えたね」
赤と紫の横縞セーターを着て、黒のハットを被る男。右手には鉄の鉤爪がはめられている。顔の感じからして年齢は二十後半から三十といったところだろうか。
ティーネは首を傾げて不気味な男を注視した。
「また……?」
「君たちはまだおぞましい幻想に囚われているのかい?」
「いつかお会いしましたっけ?」
若干声を上擦らせながら、ティーネはゆっくりと教室の隅へ移動する。それに合わせて教室の扉にいたボーダー服の男も同じ分の歩を埋めるように彼女の元へ近づいた。
ティーネは丸腰だ。鉤爪に対抗できるような武器も、それに耐えられるような防具も今はない。
慎重に、慎重に、彼女は周りを見渡しながら考える。
まず、ここはどこだろう。というか、なぜここにいるのだろう。
「今ティーネちゃんは何歳だっけ?」
「……なんであなたにそんなこと」
「……はぁ、昔はもっと従順で良い子だったのに。そう、ティーネちゃんもビビちゃんも姉妹揃って本当に良い子だった」
未知の恐怖感を抱きながらティーネは教室の角に設置されたロッカーの元まで辿り着いた。
男との距離は相も変わらず二メートルほどである。
「そうですね……アタシも随分とグレましたから……この通り髪も染めましたし……。だから暴力も厭いませんよ!」
ティーネは思い切りロッカーのドアを開けて、中のモップへ手を伸ばす。
「痛ッ……!」
しかし、そこにあったのは鉄の鉤爪。中にはハットの男が微笑んで立っていた。
驚いたティーネは傷ついた手を素早く引っ込め、教室から出ようと扉まで走る。
だが、出口の前では男が待っていた。
「うん、おてんばなところは昔のままだね」
「……な、何? 何なの?」
「そんなに怖がらなくてもいいよ。おじさんはみんなの味方……」
男は途中で言葉を区切って姿を消し、代わってティーネの前に姿を現したのはビビだった。
「ビビ姉!」
振り下ろしたモップを構え直して、ビビは妹を呼ぶ。
「ティーネ! 早くこっちに!」
「うん!」
彼女が走って姉の傍へ駆けると、その背後に怪しげな影を察知した。
「ビビ姉後ろ!」
その呼びかけに咄嗟に反応してビビは体を後ろへ向ける。
モップの柄を突き付けられた男は特に警戒する様子もなく、ただ笑っていた。
「ビビちゃんはやっぱり近接戦闘が苦手なんだね。この場合、振るんじゃなくて突くのが正解だよ。でも、いいんだ。君はそのままでいい。争いなんてしなくていいんだよ」
男は自在に動く爪を、カチャリ、カチャリ、と音を立てて交わらせる。
「……ビビ姉、この人……」
「覚えてない?」
「覚えてるって?」
「あたし達がスクールに通ってた時のこと」
「うん……多少の記憶はあるよ」
「途中でいなくなっちゃったけど、ディルガーさんっていたの覚えてる?」
「……え、あの優しい庭師のおじさん?」
「そう……」
ティーネは信じられないという顔でディルガーの姿を凝視した。
「……言われてみれば、確かに、こんな顔だったかも」
それを聞いた男は嬉しそうに笑みを浮かべる。
「感動の再会だよ。ビビちゃん、ティーネちゃん」
「何が感動の再会よ! ふざけないで!」
ビビが怒鳴るとディルガーは悲しい表情で頭を抱えた。
「ああ……君たちも戦乱の渦に飲まれて汚れてしまったんだね……。でも、大丈夫。おじさんが綺麗に飾ってあげるから。……その前に、あの頃の純粋さを取り戻そうか」
「は? 何言ってんの?」
「ゲームだよ、ゲーム。かくれんぼをしよう。鬼は君たち二人。そして隠れるのはフェリシアちゃん」
「フェリシア!?」
ビビが真面目な顔で男を睨む。
「そう、フェリシアちゃん。あの子は今も待っているよ。みんなに見つけてもらうのを。だから、頑張って見つけてあげてね。もし見つけられなかったら代わりにおじさんが見つけてあげるけど……ね」
二時二分を指した時計がチャイムを鳴らした。




