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鏡の器と鉄の爪

 看板娘はおもむろに地図を広げ、その中心を指さした。


「今いるのがメルって街で、ちょっと東に行くと洞窟があるんだよね」


 そう言って指を右にスライドさせる。


「ノヴァス」

「もしかして『涅槃の穴』と言われている所では……」

「お、ルスちゃん知ってるの?」

「ル、ルスちゃん……」

「そうだよ、シーフォーレン国の地獄と名高いノヴァス、別名『涅槃の穴』さ。このノヴァスには希少な花が咲いていてね。つまり、それを取ってきてほしいの」


 オレンジジュースを喉に通らせてからレンは不思議そうに首を傾げた。


「花? 高額で取引されてるとか?」

「いや、うん。それもそうなんだけど……」

「万能薬」


 聞き覚えのない男の声が不意に上がる。その声の方へ三人が一斉に首を振り向けた。


「満月の晩にだけ咲くラミィの蜜は万病に効く薬で、一滴でもその効果は絶大。ま、使い方を間違えると万病の元にもなるんだけどね。あんな風に」


 前が見えているのかも分からないくらい前髪を伸ばした男は、外でぐでんぐでんに酔っている三人を指して楽しそうに笑う。


「そりゃこわい。で、あなたは誰なんでしょう」


 レンが尋ねると、飄々とした男は円卓を挟んでレンと対面するような位置に座った。彼の隣に座るアルムは未だにクローディアの膝で眠っている。


「ルスちゃん。この酒、少しだけくれないかね」

「え、あ、えっと……ど、どうぞ」

「どーも」


 ルスちゃん呼びに戸惑うクローディアをよそ目に男はヘラヘラと笑って酒をあおった。


「僕は……そうだね、『ウィム』とでも呼んでくれよ。あと敬語はなしだ。僕は堅っ苦しいのが大嫌いなもんで」

「ちょっとちょっと。お兄さん。今、私と少年は大事な話してるの。邪魔しないでくれる?」


 看板娘は苛立ったように彼を睨む。


「おー、こわいこわい。ゾクゾクしちゃうね。その件だが、僕も手伝おう。人手は多い方がいいだろうしね。あとお姉さん、情報収集は上手くやらないとダメだよ? 会話を盗み聞きするなら徹底的に。そいつの技量だけじゃなくて、好みだとかを把握して交渉の材料にしないと。そんなだとホントに身売りするはめになっちまうよ。うん?」

「……な」

「切迫してるんでしょう? 大方、大事な人か誰かが病気でそれを治すのに薬が必要。けど、その薬はラミィの蜜からしか作れなくて、ノヴァスにしか咲かない。けどけど、そのラミィを摘みに行きたくても涅槃の穴なんて言われてる洞窟だ。自分で行っても先に自分が逝くことになってしまう。そこで強者を探して依頼しているってわけだ。けどまぁ、なかなか受けてくれないよね。支払う対価がデカ過ぎる。それに見合うだけの……やっぱり身売り……」

「あ、あんた何者なの!」


 男はボサボサな頭を片手で押さえて、少しばかり口元を歪める。


「ルスちゃん……これ強いね……ルスじゃないでしょ」

「あ、それはスピールです」

「割ってもこれか……」


 グラスに残った酒の匂いを確かめるように手で煽ると、覚悟を決めた顔をして一気に飲み干した。


「私の質問は無視!?」

「まーまー、身の程なんてどうでもいいじゃない。ただのルインさ」


 ウィムが彼女に差し出した手の平の上には水晶が転がっている。


「必要なのは信頼じゃなくて薬でしょう?」




 夜の街を抜け、冷え込む荒野を二人で進む。


「それにしても良い夜だ」


 真っ二つに裂けたように連なる岩の間から見える星空を見てウィムが微笑んだ。


「あのー、ウィムさん」

「ウィム」

「ウィム、明日の朝出発でも良かったんじゃ」

「いいや。ノヴァスでの探索を考えれば今晩発っても遅いくらいだ。なんせ満月の夜は明日だからね」


 岩の段をレンは慎重に、ウィムは軽快に降って行き、ノヴァスの入り口を目指す。


「なんか……うぉっと!? こんな……場所、前にも、見たことあった、っけ!」


 着地したレンの横で、先に降りていたウィムは何やらメモを取っていた。


「ふーん、どこだい?」

「なんつったっけな……ゴ、ゴモラ……」

「あーゴラモ峡谷だね」

「そうそう! それそれ! あの時は……まだ三人だったなぁ。そんで……」


 イッキのことが頭に浮かんでレンは口をつぐむ。


「そんで、そう、なんかでっけぇ鳥と戦った! めっちゃキレイな羽でさぁ! こんな夜空の下で」

「夜空?」

「ん? うん」

「オレンジボーイが戦ったのは、おそらくワワッグだろ?」

「そうだけど……ってか、オレンジボーイって何!? 俺はレンだよ! なんか経験がない男みたいに聞こえるから、いや、ないんだけど……」

「夜行性のワワッグか……」


 ウィムはレンの反論に耳も貸さず、またメモを取り始めた。


「ところでオレンジボーイのクラスは?」

「クラス? A組」

「A? A級程度ってこと? 具体的な等級で教えて欲しかったんだけど……君もなかなか食えないね」

「へ? いや、一年A組だったってこと」

「……スクールの話か?」

「あーそうそう。え、違うの?」

「どうやらオレンジボーイの頭は腐ってるらしい」


 渋面を作って彼はボロボロの帳面を閉じた。


「は!? なんでそうなるんだよ!」

「普通、今の状況での質問ならルインのことに決まってるだろ。どうして昔のスクールの話なんかしなくちゃいけないんだい。こんなに馬鹿にされたのは久しぶりだよ」

「待て待て待て! 何! 何の話だ!? ルイン? なんじゃそりゃ!」

「……君、ギルドに登録してないのか」

「ギルド?」


 ウィムはレンの反応を確認した後、一人で何度か頷いて笑う。


「僕が悪かった。先を急ごう」

「お? おう?」


 微かに聞こえる獣の遠吠えが月の光を抜けていく。頂点まで達した月は一日の終わりを告げていた。


     -・ ・・ --・ ・・・・ - -- ・- ・-・・


「……あー……」


 寝心地が良いとは言えないベッドで身を起こしたフェリシアは頭を抱えて顔をしかめる。


「あ、フェリシアさん、おはようございます」

「おはよー! 夜中だけどねー!」


 今までぐっすり眠っていたアルムは元気よくコテージの中を駆け回り、他のベッドではビビとティーネが苦しそうな顔で寝ていた。


「はい、どうぞ」


 クローディアが持ってきてくれた冷水をありがたくもらい、少しずつ飲む。


「ここは……」

「宿です。ナンシーさんに安く紹介してもらいました。なかなか良いコテージですよ」


 砂漠と荒野に挟まれたメルという街はその位置から、旅人が多く立ち寄る一種のオアシスとなっている。高温乾燥下でも群生する植物が緑を成しており、街一体に寂れたような雰囲気は全くない。心身の疲労を癒すため、ある人は酒場で馬鹿騒ぎし、ある人は宿で熟睡する。そのための施設は十分に整っていた。

 街の中心から幾らか外れた場所に立っているコテージはへべれけ共の狂騒から遠く、不思議な静けさを帯びている。


「ナンシーさん?」

「先程までいたお店の店員さんです」

「あー、さっきの酒場の……」


 記憶が曖昧で不明瞭だ。

 青ざめた顔でフェリシアは周りを確認する。


「あれ、レンは? 宿借りるくらいなら、あいつにラウムでも展開してもらえば良かったのに」


 それを聞いて表情を曇らせたクローディアにフェリシアは慌てて気を遣う。


「あ、違うのよ。別に宿を借りるのが嫌だったとか、そういうことじゃなくて」

「いいえ! 違うんです!」

「それじゃあどうしたの?」

「レンさんなのですが……」


     -・ ・・ --・ ・・・・ - -- ・- ・-・・


「は!? ノヴァス!?」

「そ、そうです……ごめんなさい……」


 大声に縮こまるクローディアだが、眠っている二人は目を覚ます素振りも見せない。


「いや、クローディアが謝ることじゃない……と思うわ」

「……ごめんなさい」

「今からノヴァスに行って……いや、合流できる確率は低いわね。……クローディア、その一緒にいた男の人ってルインなのよね? クラスとか言ってた?」

「いえ、名前がウィムということくらいしか分かりません」

「ウィム……聞いたことないわね」


 すると突然アルムが会話に入ってきた。


「なんだか気まぐれな性格の人だったよー」

「気まぐれ?」

「うん! なんだろうなぁーまぐれかなぁ? ぐーぜんかなぁ?」


 そんな訳の分からないことを言いながらアルムは離れていった。


「……不安になってきたわ。けど」


 ベッドでうなされているビビとティーネを見て頭を振る。


「私一人じゃどうしようもないし……それに何だか体調が優れない。このまま追いかけても迷惑になるだけかも」

「それなら無理せずに療養なさった方が」

「……そうかもね。それにあいつなら、いや、でも」


 と、急にティーネが悲鳴を上げて起き上がった。


「な、なによ! びっくりするじゃない!」

「…………っ」


 クローディアはビクビク怯え、涙ぐんでいる。


「……はぁ、はぁ」

「……何? どうしたの?」


 ティーネは自分の腹部に落ちている少量の金髪を掴んで言った。


「……悪夢」


     -・ ・・ --・ ・・・・ - -- ・- ・-・・


「ここだね」

「おぉ……」


 空洞から吹き出す空気は奇妙な陰湿さと奇怪な魅力を孕んでいた。


「それじゃあ行こうか」

「日の光はしばらく浴びれないのかぁ……」


 傾く月を眺め一息ついてから、レンはノヴァスへと足を踏み入れた。

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