車輪に轢かれる紛いの贋物
エンギュルグと呼ばれるモンスターは非常に賢い。その知能を測定できたことは一度としてないが、おそらく人間と同等、いや、もしかすると、それ以上だ。その高い知力に加え、殺傷力の高い爪と牙、一振りで場を一蹴する尻尾、それを遺憾なく活かすだけの筋力と俊敏さ。
これだけでも十分に恐ろしいモンスターである。しかし、エンギュルグがS級指定された理由は別個に存在するのだ。
つまり、魔法の使用。この個体はどういうわけか、幾多の魔法を扱える。しかも、かなり上位のものを。
基本、魔法の使用には詠唱、場合によっては、魔法陣の形成が不可欠であって、無詠唱でその効果を発動させることは不可能。例外的に、それを極めた者はそのプロセスを省略し、無詠唱で行うことも可能であるが、そういった人物は世界に何人といない。
それをエンギュルグというモンスターは容易くやってのける。
雷の生成に代表される諸現象を、初めのうち、調査委員会はモンスターの特異性だと推定していたが、研究を進めるうち、どうもそうでないことが判明した。
その個体は間違いなく、魔法を使っている。
魔法の原点は一体どこなのか。それがはっきりと分からない今、モンスターが魔法を扱っていても不思議ではない。むしろ、魔法の根源は「魔」であるモンスターにある、と解することが一番自然であろうか。
理解できもしないことを理解しようと、人は日々苦悩し、その中で彼らは一つの真理なるものを生み出すのだ。
はたして、それが善であるのか、悪であるのか。それこそ誰にも分からない。
フェリシアはエンギュルグの攻撃を必死にかわし続けながら、反撃の機会を窺っていた。
エンギュルグの攻撃は自らの隙を自らで埋めるかのような連続性をもっており、なかなか攻勢に転じることはできない。それでも数回、モンスターの体を剣で斬りつけたものの、その皮膚は想像以上に硬く、有効な傷を負わせるに至らなかった。
レンも極鍛術を使い、フェリシアと共に奮闘はしているが、どうにもうまくいっていない。
彼が己の制御装置を取っ払い、身体に眠る本来の力、いや、それ以上の力を発揮しているのにも関わらず、エンギュルグに全く歯が立たない状態である。
眼に宿る力で相手の動きを粗方予想することはできるが、爪を地に叩き付けた時に起きる衝撃や、それに付随して生じる地盤の歪み、さらに、尻尾を薙ぎ払った際の風圧など、攻撃から続く出来事を完璧に予測することは不可能であって、レンは苦渋を味わっていた。
「くっそ! いくら避けてもきりがねぇ!」
「……っく! これじゃあジリ貧だわ!」
不意に視界がぐらつく。原因は分からないが、一瞬だけ意識が何処かへ飛んでいた。
そのせいでエンギュルグの攻撃を身でかわすことができず、苦し紛れに彼女は咄嗟の判断で剣を用い衝撃を受ける。
「!?」
並の人間の力で堪え切れるはずもなく、彼女の体は地面に伏した。
「フェリシア!」
レンは急いでフェリシアの元へ走る。が、モンスターの速度に勝ることは不可能で、とてもじゃないが庇うこともかないそうにない。
倒れた所を見逃さず、エンギュルグは畳み掛ける。鋭い牙で噛み千切ろうと、エンギュルグはその大きな口を開き、彼女の体目掛けて突進した。
レンは彼女の名前を呼ぶことしかできない。
フェリシアは息を荒げて興奮しながら、眼を赤く染め、腹の底から叫んで、剣を目の前に突き出した。
「こんな所で……死ねるかああああああ!」
剣先はエンギュルグの下顎部分に刺さり、竜は唸って空気を揺らせた。ひるんだエンギュルグは瞬時に後退し、暗闇の中へ姿を消す。
「……はぁ……はぁ」
「フェリシア! フェリシア! 大丈夫か!」
「大丈夫なわけないでしょ! 死にかけたのよ!? バカ!? バカでしょ!? ねぇ!?」
「なんだ……大丈夫そうだな」
レンは笑ってフェリシアの腕を引き、その体を起こしてやった。
フェリシアは地面に落ちた愛刀を拾い上げて、血を払う。
「あいつは……? 倒せてはいないでしょうけど……」
「向こうに逃げてったみたいだぜ。たぶん休んでるんじゃないかな」
そう言ってレンはモンスターが消えていった暗闇の方を凝視した。
「……」
「レン?」
彼は瞬きをして、もう一度よく状況を確認する。その後、何回も目を擦って確かめた。
「嘘だろ!?」
「何? どうしたの?」
「……増えてる」
敵の数が増えている。
厳密に言えば、一体しか存在しないはずのエンギュルグの数が増えていた。
「冗談でしょ?」
「こっち来るぞ!」
一体、また一体と暗闇の中から竜はその姿を露わにする。
「まさか、この場所にこんなに!?」
「こいつって珍しいんじゃないのか!?」
「そのはずだけど……ッ!」
複数のエンギュルグは連携して二人を追い詰めた。
お互いに合図をして、なんてレベルではない。まるで脳がつながっているかのような統制の取れ方である。
一体の時は回避できていた攻撃も完璧に避けるということができなくなり、致命傷を受けないようかわすのに専念せざるを得ず、一度の反撃もできない。それどころか、時間が経つにつれ、モンスターが要領を得始めて、二人の行動パターンを読み、確実に攻撃を当てるようになっていた。
レンもフェリシアも満身創痍で限界が近い。
「……どうにか……なんねぇのか……これ」
「レン!」
「何だ?!」
なんとか攻撃をかわしつつ、二人は息を切らせて意思疎通をはかる。
「相手は一体よ!」
「は!? 何言ってんだ!?」
「実体はひとつってこと!」
「は!?」
「だから!」
確証はない。しかし、このまま戦っていても勝ち目はないだろう。なら……。
覚悟を決め、フェリシアはその場に立ち止まった。
「おい! 死ぬぞ!」
「来なさい!」
フェリシアを襲うエンギュルグの爪は彼女の体を通過する形で空を切る。
「!?」
「ど、どんなもんよ……」
フェリシアは青ざめた顔で目を見開いていた。そして、すぐにレンの後ろへ目をやり注意を促す。
「後ろ!」
「……いてッ!」
直撃は避けたが少しばかり背中に傷を負う。
「そいつ! そいつだけから目を離さないで!」
「どういうことだよ!」
未だに状況を把握できていないレン。
一方、フェリシアは何か呪文を唱えている。その詠唱が終わると、いつか目にしたことのある奇妙な光が刀身に纏った。
「つまり!」
彼女はその剣を振って、一体のエンギュルグを斬った。
刃に当たった竜は呆気なく消滅する。
「こういうことよ!」
「殺した!?」
「バカ! 幻よ!」
「ま、ぼろし!?」
実体と分かった個体の攻撃だけをかわし、フェリシアはエンギュルグの分身を尽く消していく。
「おお!」
「幻を作れるなんて知らなったわ……」
と言っても、本体を倒したわけではない。
エンギュルグは、なおも休むことなく攻撃を続ける。だが、竜は急におとなしくなり、いきなり姿を消した。
「……今度は何だ?」
静まり返る空間。気配もなければ、音もない。
血眼でエンギュルグの姿を探していると、次の瞬間、レンの体は数メートル吹き飛んだ。
「レン!」
「……くそ……どこから……」
「レ……ン……」
彼の所へ走り出そうとしたフェリシアは突然、眠るようにその場で崩れた。
一体何が起こっているのか。彼女もどこからか攻撃を受けたのか。だが、外傷は見当たらず、本当にただ気を失っただけであった。
レンは上体を起こし、立ち上がろうと左手を地面につける。しかし、どうしたことか彼は、また地面に倒れた。
「……は?」
なかった。左腕がなかった。
「は、はは……おいおい、まさかなぁ……」
隣を見ると自分の腕が転がっている。
「そうか……そんなことあんのか……」
終わりを知らせるように降り始めた雷の雨。
為すすべもなく、レンの体はエンギュルグに引き千切られ、その一つ一つが竜の中へ消えていった。




