狂気の痕
アルメール=ファーガシア。先代の死により若くして王座に君臨した、ファーガシア王国の国王。王でありながら弓の名手であることで有名で、その実力はかなりのものであるとか。
そしてその祖先は――かの有名な昔話、『勇者と愚かな若者』の登場人物、勇者……の、弟。
今、この事実を知り得ている人間は、俺サイドには二人。俺自身と、父のキーオ=アリスティアである。
アルメールの部屋からなんとか抜け出した後、カノアにはそのまま自室へ戻ることを勧められたが、これはアリスティア一族の危機的状況である。そうもいかないため、俺は再度パーティー会場へ訪れることを選んだ。
首元の締め痕が見えぬよう上着をきちんと上まで留めて、魔王の側近として護衛を務める父とそっと擦れ違う。
擦れ違い様にポケットへ、
『アルメール=ファーガシアは勇者の縁者。アリスティアへの報復が目的』
と走り書きの字で書いたメモをそっと入れておいた。恐らく今夜の父は忙しく、落ち着いて話す時間は取れない。こうするのが正解だろう。
やるべきことを全て終えた俺は、今度こそ自室に戻り、ベッドに雪崩れ込んだ。
「……はあ。………………」
目を閉じると、脳裏にアルメールの言葉がちらつく。
『やっぱりアリスティアの一族の忠誠心っていうのは偽物なわけか』
……五月蝿いな。いきなり出てきたと思ったら好き勝手に吐かしやがって。
大体、何だ?お前は何が言いたい?勇者を裏切らず、魔王を打ち倒すべきだったと、何代目の子孫かも数え切れない俺に今更言いに来たのか?もし勇者を裏切らなければ、俺は今頃魔王様やカノアではなくアルメール、お前に仕えていたのか?
冗談じゃない。あんな奴に仕えるくらいなら、俺はカノアに忠誠を誓ってやる。
……そう、思うのに。思っているのに。
何故、あいつの翡翠の双眸が焼き付いて消えてないのだろう?
「……もう、嫌だ」
考えることに酷く疲れた。不確定要素が多い中であれこれ推測したって、所詮は妄想に過ぎない。
もう考えることを放棄しよう。俺はただ一つの信念だけーー俺は絶対にあいつなんかに殺されないと、それだけをはっきりさせておけばきっと大丈夫だ。
あいつだって、そう長々とこの国に滞在する訳ではない。きっと大丈夫、大丈夫だ。大丈夫、大丈夫――そう自分に言い聞かせている内に、俺はいつの間にか眠りに誘われていた。
***
結果的には俺の予想、というか希望的観測の通り、アルメール=ファーガシアはその後少ししてすぐに自国へと帰って行った。その間に俺が奴に呼び出されることもなく、再び平穏が訪れる。
すると段々、あの夜がただの悪夢のように思えてくるようになってきた。首を絞められた圧迫感も、あの翡翠の目に射抜かれたことも、ついでに言うとカノンちゃんが現れたことも。
……だが、一つだけ。たった一つだけ、それ等のことが全て現実だと俺に語るものがあった。
それは――何日経っても消えるどころか、寧ろくっきりと残っている首を絞められた痣。
日が経つにつれその痣は、何かを象るように広がり、色濃くなってゆく。それが不気味でならなくて――いつの間にか、俺は詰襟の服を着ることが常となっていたのだった。