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二 唐へ

   二 唐へ


 第八次遣唐使船に乗って、ぼくらは唐にやってきた。

 長安での生活に慣れてきたころから、「時の穴探し」を始めた。予言者とか占い師とか、そういった人物のうわさを聞きつけては会いに行く。もし、ぼくらのほかにタイムスリップしてきた人間がここ長安にいるとすれば、たぶん予言や占いの世界で有名になっているんじゃないか、と思ったからだ。ぼくらは占い師を訪ねては未来の質問をしていった。易者の中には「世界は丸くいつも回っているのである」とか「いずれ世界はふたつに別れ凄まじい戦争が始まることになろう」といった一見未来人しかわからないような予言をする者もいたが、その中に未来人はいなかった。

 時の穴の手かがりがまったくつかめないまま、月日が過ぎていった。疲労だけが積み重なっていった。

 五年が経過した。留学生のぼくは阿倍仲麻呂から「朝衡」という名に変え唐朝廷に使える役人になった。毎日が役人としての仕事で忙しく、未来の思い出が徐々に薄れていく自分を感じていた。羽栗は中国の女性と結婚しふたりの子の父となっていた。翼、翔と名付けられた子供たち、まさに二十一世紀の名前じゃないか、とぼくは思った。


 さらに年月が過ぎた。ぼくらは四十を過ぎ、この時代の生活に溶け込んでいた。夏の暑い日、ぼくと羽栗が洛陽までの道を歩いていたときのことだった。

「時の穴――、いつ見つかるんだろう。ずっと探し続けてるっていうのに……」

「俺――、あてもなく探す意欲がなくなってきたっちゅうか……」

 あてもなく、その言葉はぴったりだった。意欲がなくなったという羽栗をぼくは非難できなかった。ぼくらは黙って歩いていた。

 太陽が頭の上からカーッと照りつける。あまりの陽の強さに、行き交う人々や馬の姿が真っ黒に見えた。白黒のネガ画像のよう。ネガ像は空気の流れに伴いかげろうとなって揺れていた。ぼくは手をかざして前を見た。数十メートル先の荷車が揺れている。荷車を引く男も手をかざして歩いていた。積み荷の中に丸い物がぼんやりと見えた。左に右に揺れている。大きくなったり小さくなったり、浮いたり、沈んだり……。

「あの丸い物――、どこかで見たこと、あるような……」

 ぼくのつぶやきに羽栗が応えた。

「そやなあ――。どっかで……」

 突然、羽栗が叫んだ。

「時の穴や!」

 ぼくはいっぺんに目が覚めた。

 待ちに待った時の穴。ひたすら探し続けた時の穴。未来に帰る意欲を失いかけていたこの時、唐突に「その時」はやって来た。羽栗が駆け出した。一歩遅れてぼくも走った。

「うおーっ!」

 もう、自分がなにを叫んでいるのかわからない。まわりの人々が一斉にぼくらを見た。馬がヒヒーンといなないた。ぼくは息を止めて思い切り走った。丸い物体に見えた物にあと十メートル。かげろうは揺れずに止まっている。荷車の男が恐怖におののいた目でぼくらを見、なにか叫んだ。荷の中の丸い物体、それはやはり「物体」ではなかった。

 ぼくと羽栗は同時に時の穴に飛び込んだ。頭を両腕でおおい目をつむってその空間に。その中に時が止まった世界があるはずだった。

 次の瞬間、ぼくはなにかにはね飛ばされた。腕の骨がバキッと音を立てた。肩から地上に落とされた。

 時の穴に飛び込んだ――、つもりだった。しかしその入り口が閉じようとするのと飛び込もうとしたのが同時だった。時の穴は数センチの侵入を許しただけで、ぼくらを突き飛ばしたのだった。痛みに耐えるぼくらを人々が遠巻きに見ている。ぼくらが大した怪我ではないと見るや気味悪がって離れていった。荷車の男が激しい抗議をして去っていった。ぼくの心臓は激しく鼓動を打っている。

「はあ、はあ、あれ、時の穴だった。間違いない」

「そや、俺も見たで。中に子供がおった。昔の俺たちとおんなじように、もがいとった。かわいそうに、どっかの時代に落とされるんやろなあ」

「二十年以上もかかったのに。ようやく見つけたこのチャンスなのに。それを逃すなんて……」

 ぼくは頭を地面に叩きつけた。涙がぼろぼろこぼれてきた。

「歳とったなあ――」

「時の穴――、また見つかるやろか」

 その問いにぼくは答えられなかった。しばらく沈黙があった。羽栗が言った。

「ナカマロには悪いんやけど――、俺、正直言うと、今は未来に帰らんでもええと思てる。時の穴、飛び込んだとき、俺、一瞬、嫁はんと子供の顔浮かんでん。はね返されて、俺、ちょっとほっとしてん。嫁はんほったらかして、自分だけ未来に戻ったって……。そんなんあかんやろ。俺思うねん、もうこの時代で生涯終えてもええんちゃうか――、って」

「悪くなんかないさ。ぼくだって、意欲がなくなってきてたし……」

 いつの間にか陽は低くなっていた。赤々とした夕陽がふたりの頬を照らしていた。

 洛陽まではほんの少し、ぼくらは再び歩き始めた。


 そのころ、つぎの遣唐使船でやってきた留学生が戒律伝来のための僧を探しているといううわさが流れてきた。いろいろ変遷はあるのだろうが、最後は揚州の高僧、鑑真が授戒師として日本に行く。二十一世紀に生きていたぼくは、もちろんそのことを知っている。ぼくと羽栗は鑑真に会うために揚州に出向いた。

 鑑真の容貌はぼくとよく似ていた。ぼくは鑑真に普通の人以上のなにかを感じていた。鑑真はそばにぼくと羽栗しかいないのを確かめると、静かに話し始めた。

「わたしは何度か渡航に失敗する。しかし最後は日本に渡る。それが、歴史に定められたことだから」

「えっ? どういうことですか。まっ、まさか……」

「そう、きみたちと同じ、わたしも未来人なんだよ。十三歳のときだったか、わたしは、この揚子江の河原で釣りをしていた。突然、穴に落ちて再び現れたのがこの世界だった。それからわたしは、時の穴を探して必死に全国を巡った。未来に帰るためにね」

「ぼくらも同じです」

「だろうと思った。で、見つかったかな」

「一度だけ……。でも――、飛び込むのに失敗しました」

「そう、そうなんだ。未来には戻れない。それが決められたことなのだ。きみたちもわたしも今は歴史上欠かせない人となっている。過去のこの世界で生きなければならない。それが歴史の定めなのだ……」

 ぼくらは鑑真に真理を教えられた。そうだ、未来へは帰りたくても帰れない。それが歴史の定め……。鑑真はそのことを知った上で人としての悟りを開いていた。鑑真に会えて良かった。ぼくは心底そう思った。

 長安に戻って、ぼくはさっそく戒律の勉強を始めた。経典を読み修行し瞑想を行った。鑑真のように悟りを開きたい、そう願ったからだ。


 鑑真は日本に戻る遣唐使船に密航する。これは歴史上の事実だ。そしてぼくも……。

 つぎの遣唐使船が唐にやってきた。ぼくと羽栗は今回の便で日本に帰ることになった。羽栗はふたりの息子と一緒に日本に帰ることに決めていた。働き盛りの息子は三十五歳と三十三歳。ふたりは父の国日本へ行きたいと強く願ったという。ぼくらはもう訪れることがない長安に別れを告げて蘇州に向かった。

 明日はいよいよ出航という夜、海を眺める。満天の星々の中に満月が浮かんでいた。三十六年ぶりの帰国、ぼくは今さらのように激しい望郷の念にかられ、歌を詠んだ。遠く二十一世紀の春日山に昇る月をもう一度見てみたい。そんな気持ちの歌だった。


   あまの原ふりさけみればかすがなる

   みかさの山にいでし月かも



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