姉さん、それはヤンデレですよ。
「―――――はっ!?」
僕は目を覚ました。そしてすぐに違和感に気づく。
「な……なんだっ!?」
「なんだじゃねぇ」
ドガッ
「ぐふうっ」
突然、お腹への強力な蹴りを浴びせかけられ悶絶させられた。
「―――お、お前……なにをするっ!」
「黙れ」
「ぎゃんっ」
今度は容赦なく顔を蹴飛ばされた。
(な、なんだこの状況は!?)
僕は鼻から血を流し悶絶しながら考える。どうして自分がこんな目に会わなくてはいけないのか。考えてみるのだが、思い当たる節はなにもない。そうなるとこの理不尽な暴力は何だ。縄で縛られ身動きが取れない僕を滅多打ちに蹴りまくる妹、もとい姉。
「おらおらおらー」
最初こそ怒りをぶつける様に蹴りをだしていた姉だが、次第に楽しくなってきたのだろう。リズミカルに僕を蹴るようになっていった。
ドッドッド ドド ドドドドドドドドドドドドドドドド――
「16ビートを刻むなっ!」
流石に痛すぎて叫ばずにいられなかった。
「うっさい」
「ぐぇ」
即座に顔を踏みつけられ、カエルが潰れたような声が出た。
(ぐぐぐ……)
その横暴な行為に僕は、だんだんと腹がたってきた。なんの理由もなく兄弟に蹴られてみろ。誰でもはらわた煮えくり返るだろう。
(もう我慢できん――)と僕が縄を引きちぎろうとした瞬間――
「姉さん悲しいよ……」
狙ったようなタイミングで姉さんが言葉を発した。
「ぐっ……いったいなんだっって――ぐむっ」
どうやらいい加減、理由を話し始めたらしい。タイミングが良いのか悪いのか……。僕は吐き出し様のない怒りを不完全燃焼のまま胸に仕舞うしかなかった。
「弟に女の影がないことは調査済みだったけど……、それで安心したのが間違いだった」
「おい、どういうむぐぐ」
僕の発言は途中で妨害される。どうやら僕に発言権はないらしい。それにしても何を調査してくれてんだこいつは。
「姉さんだけで満足してると思い込んでいたけど、まさか勘違いだったなんて――」
なに言ってんだこいつ。姉さんで足りるものなんて一日分の苛立ちぐらいだ。
いや、そんなことはどうでも良い。姉さんはいったい何が理由で僕にこんな仕打ちをするのだろう。もったいぶらずに早く言いやがれ。
「……ううん、私もわかってた」
姉さんはフルフルと首を振って自嘲気味に笑う。
「青少年の青い衝動を私だけで押さえ込むことなんて出来ないって」
「……」
僕はこの茶番、はやく終わらないかなと思い始めた。無駄な子芝居を挟む余裕があるということは別に対したことではないみたいだし。
「でもっ、私だって頑張ったんだよ。風呂上りに下着姿で歩き回ってハルキの劣情を煽ったり、薄いTシャツをブラなしで着たり、ハルキの目の届くところに脱いだモノを置いておいたりさあ……」
「……それはお前がズボラなだぐえええ……」
腹を踏みつけらた。黙ってろということだろう。
「なのに、性欲魔人なハルキには全く足りてなかったんだね……だから、だからこんなことしちゃったんだ」
(こんなこと……? 僕、なにかしたっけな)
昨日の記憶を思い返す。
昨日は……先生との無駄足ハイキングを終えて家に帰り、マイモイくさい姉に出迎えられ、疲れてるにもかかわらず飯を作れと言われて、それからその他にもいつものように色々と家事を終えて、ヘトヘトになってベットにダイブしたんだ。
そして今朝起きてみればこれだ。叱られる理由がまるでわからない。むしろ褒められても良いんじゃないか? 僕、相当頑張った。
「姉さん、やっぱり僕、なにもしてないよ?」
「なっ! こんなことしておいて覚えてないっての!?」
ギョッと姉さんは驚いた。たいした驚きようで、それは僕の不安を駆り立てた。
「え、なに……いったいなんなのさっ!?」
「無意識に……だなんてっ。そこまで……」
「いい加減教えてよっ! 僕はなにをやったってのさ!」
僕の必死な様子に姉さんは息を呑み……決心したようにうなづき、言った。
「…………誘拐」
「ゆ……うかい?」
「いぇす」
「……YOUかい?」
「のん。誘拐」
「湯~かい?」
「びばのんのん。ゆ・う・か・い」
「ゆうかい?」
「いぇす。誘拐」
「誘拐……」
僕は頭の中でその言葉をゆっくりと咀嚼する。そして――
「……は、はあああああああああああああああああああああっ!?」
意味を理解した僕は叫ぶ。意味は理解したが、意味が分からなかった。
「誘拐? なにそれ。僕がいつそんなことした?」
(そもそも、誰を? そんな人どこに――)
起き上がり、辺りを見渡した僕の視線はベットに釘づけにされた。
そこには10歳前後と思われる、幼い少女が眠っていた。
「……誰?」
「しらにー。ちなみにそれ私の台詞だったんだけどなー」
姉はその子の頬を突きながら答えた。
「いや、知らない! 僕はこんな子しらないって!」
「やはり無意識に……」
「そんな……そんなわけない……はず!」
僕は断言することができなかった。
(いや、もちろんそんなこと断じてしてないはずなんだけど、なんせほら昨日は疲れてたから、ほら、なんというか、気の迷いなんてこともあるのかなーなんて……)
「ん……んんっ」
「お、起きた」
「お、起きたじゃねえよ馬鹿野朗! 土下座だよ土下座! 誠心誠意謝るんだよ!」
「おおおっぉぉぉぉ」
僕は保身のため社会的地位のため、なんとかこの事件を穏便にすませないといけない。だから土下座をすることもまるで厭わないのだ。姉を巻き込むこともまるで厭わないのだ!
「うるさいの……」
少女は寝ぼけ眼で呟き、そして起き上がる。
「なにするですか! 私は悪くないのに――」
「僕たちは一身同体だろ!」
「はっ―――」
僕の無責任な台詞の何に感銘を受けたのか知らないが姉さんはふんふんと鼻息荒く頷き、一緒に土下座をしてくれるようだ。
「「すみませんでしたああああああああああああ」」
僕たち二人は少女に向けて渾身の土下座を決行した。すると――
「……見苦しいから顔を上げて」
少女はそう言った。
「「え……?」」
予想していた「キャー」とか「助けてー」とか言った悲鳴は聞こえてこず、まったく予想外の棘のあるセリフに僕らは揃って顔を上げる。
そこには僕ら二人を見下す少女がいた。
「みおろす」ではない。「みくだす」だ。
そう決め付けが出来てしまうほど、その瞳には冷たさだけがあった。
「……なに? わたしの顔に見蕩れるのは良いけど、その醜い顔は見せないで」
「なっ――」
姉さんが絶句している。僕も同じ気持ちだ。
(なんだこの娘はっ!?)
すごく口が悪い! 初対面でなんてこと言うんだ!
「本当のことでも姉さんに失礼じゃないか!」
「いや、私たち双子! 顔そっくりだから!」
(しまったそうだった……いや、そういうことじゃない)
この少女はどこか変だと、僕は思った。だって目が覚めて、知らない部屋にいて、目の前で土下座してる奴が二名いて……そんな状況でまず言うセリフが「見苦しい」。
………………。
……これは一言、言ってやらねばならんな――教育者として!
感情に任せた行動ではないと前もって述べておこう。そう言うことが既にそうではないという証明になるだろうからだ。そう、僕は冷静だ。冷静に怒ろう。いくぞ――
「このクソガ――」
「このがきゃああああぁぁぁっ!!」
僕が少女を罵るより先に姉さんが少女に跳びかかった。
(大人気ない! だが、ナイスだっ!)
姉さんが少女を押し倒し、馬乗りになる。
(やばい……完全に犯罪的な絵だ。警察でも呼ぼうかな……?)
あまりに酷い光景に僕の中の小さな良心が芽を出した。だがそんなことしても僕の首まで絞まるだけだから、実際にすることはない。良心の芽は、保身という鎌によって刈られたのだ。
僕がそんなこと考えてる間にも姉さんは行動を起こしている。
「くそがきがぁぁああぁぁ」
「く……くふっ……ぐ」
姉さんのくすぐり攻撃に少女はビクっビクっと体を震わせる。
我慢してるのだろう。真っ赤な顔をしている。見事にブサイクな顔だ。ざまーねー。
「オラオラオラオラオラ! ここか! ここがえーのんか!?」
「う……うぅ……」
「ほら、ほらほら! 余裕の表情が崩れてきてるぞ? お? さっきまでの余裕を見せてみろよ!」
「うぅぅうううぅっぅううう……」
姉さんがヒートアップしてる。
「さらけだしなぁっ! はあはあ、おねえちゃんに見せて! お嬢ちゃんの醜態を――」
「こらこら……どこのスケベオヤジだよ……」
僕は姉さんの首根っこを掴んで少女の上から下ろした。
「こおら、なにすんだ弟!」
「やりすぎだよ――泣かせちゃったじゃないか」
「うぐうぅぅぅ泣いてない!」
少女は目に涙をいっぱいに溜めていた。しかし本当に泣くのをぎりぎりのところで我慢していた。
―なかなか芯の強い子である。
「それに全部避けたもん! 当たってないもん」
「なにぃっ!?」
姉さんはその言葉に本気で驚いていた。
僕はそのことに驚いた。この人は本当に馬鹿なんじゃないか。
(……いや、本当はノリが良いだけってのは分かってる。分かってますとも…………そう信じたいっ)
というか、その少女の言い草もどうかと思う。鬼ごっこのバリアじゃあるまいし……。そういえば子供のころよくやったなあ……。
「スーパーバリア」「だめだよ! 俺はスーパーバリア破りもってるし」「そっちがダメだよ。僕のスーパーバリアはなんでも跳ね返す力があるもん」「そうくると思って俺のにはその力を封印する呪いをかけておいたから、そっちがなしだよ!」「僕のバリアはそんな呪いも跳ね返すもん!」だの、あーだこーだとご都合主義の極みだったよなあ。やたらと力のインフレが激しいんだよな。
「――まさか……質量のある残像とでも――」
姉さんがまたトンチンカンなことを言おうとしてる。僕はその空気を感じ取り、口を挟む。
「――言わないから。とりあえず落ち着いて姉さん。僕、この子に聞きたいことがあるんだ」
「うー、私のセリフ……ふん、どうぞご勝手に~」
僕が口を挟むと、姉さんは拗ねてしまった。この人は本当にコロコロと気分の変わる人だ。猫かと言いたい。もしくは山の天気か。
まあ今はそんなことはどうでも良い。僕はこの子に聞かなくちゃいけないことがあるのだ。この子を見てからずっと思ってたことがある。それは――
「ねえ――どこかであったことない?」
「ナンパかっ!」
ほぼノータイムで姉さんの突っ込みが入る。ボケたのならナイスと褒めるとこだが、今は本気でいらない。
「邪魔すんなよ」
「するよっ! 弟がロリコンに目覚めようとしてるなら姉ちゃん全力でとめるよ!」
「ばっ! ちげーよ! ナンパでもロリコンでもねーよ!」
「じゃあなんだ! ――はっ! まさかシスコン!? いやん!」
「はいきたこれなに!? お前の思考回路はブラックホールと繋がってんのかっ!?」
「――あったことあるよ」
「「え――」」
少女は僕の問いに答えた。あったことがあると――
「――な、ナンパ成功だとっ」
「お前はもう黙ってろ」
邪魔な姉さんは後ろに下がらせ、僕は少女の前へとでる。少女と向かい合わせになる。そして顔を観察するのだがやはり、全く見覚えが無かった。
「僕たち、いつどこで出会ったの? ごめんけど僕、思い出せないんだ」
「――え」
少女の顔から表情がなくなる。それはまるで親の事故の知らせを受けた時の姉さんみたいだった。
僕はとんでもない事をしたのではないかと、途端に大量の冷や汗をかきはじめた。正直、時間が欲しかった。思い出す時間が。自分で思い出すことが出来れば、いくらか罪悪感が減らせると思ったからだ。
だが、そんな時間はなく、心の準備をする暇も無く、少女は口を開く。
「……わたしに、あんな酷いことしたのに忘れちゃったの?」
「え、ええっ――」
「きええええええええええぃ、ロリコンには死を!」
「ぐはぁっ、痛い! まて誤解だ姉さんっ」
なにがどう誤解かなんて、まるで分かってないけどなんとなく誤解だと思う。
「酷いことって何をした! この外道な弟はいったい何をしたんだ!」
姉さんは少女を問い詰める。
「私を無理やり貫いて……こんな酷い姿に」
「つっ、貫いたああああああぁぁぁぁ!?」
「貫くって何!? やめて! 誤解を生むような台詞ばかり言うの禁止!」
(貫く……? そういえば――昨日、何かを貫いた記憶が―)
言いながら僕がそんなこと考えてると、ギギギと姉さんが壊れたカラクリ人形のような動きで僕を振り返って言う。
――ゾクっ
酷く嫌な予感がした。
「は……ハルキ、これはもう……」
姉さんはそういうと何処からか包丁を取り出した。
「本当にどこからそんなものをおお!?」
「……死んでっ」
「うおぉぉ!」
腰の位置に包丁を構え突進してきた姉さんを何とか避ける。本当にぎりぎりだった。
(姉さん本気だっ)
だが、今の弾みでぴんと来た。
(昨日、あの女を刀の姿で貫いたんだ――だけど、それを何でこの子が自分のことのように?)
びゅん ガッ
「ひっ――」
包丁が僕の頬をかすめ壁に突き刺さった。見れば刃の半分ぐらいまで壁に刺さっている。
「こ、殺す気かっ」
「殺す! 殺して、私も死ぬっ」
「まて姉さん! これは罠だ。僕らはこの子に嵌められてる――」
「そんな――ここまで来てもまだ自分の罪を認めないつもり!? あなたって人は――」
「もうなんで姉さんと昼ドラみたいな展開演じないといけないんだあぁぁぁ!」
「そこっ」
ドン
僕は姉さんに組み敷かれた。そして首を絞められる。本気で息が出来なくなる。
「ぐっ……ねっ、ぇさん……」
そこで僕は気づく。姉さんは泣いていた。涙をボロボロと流していた。
「うう……うううっ! なんで、なんでよっ!」
姉さんは癇癪を起こした子供のように、なんでと繰り返す。言いながら、僕の胸を叩いている。
――この時、僕は場違いにも嬉しい、と思ってしまった。
誤解とは言え、僕の間違いにここまで悲しんでくれる姉さんに、少し感動した。ここまで悲しんでくれるということは、それだけ僕を信頼していてくれてたって事だと思うから。僕には家族と呼べる人間は姉さんしかいない。今感じてるこの思いが、家族の繋がりなのかと暖かく感じられた。
(姉さん――僕は――)
そろそろ本当にまずい。息が、きれる。でも、姉さんに殺されるならそれも――
なんて、僕がそう思った瞬間だった。姉さんが口を開いた――
「なんで私に手をださなかったの!?」
(…………え)
僕は死にそうな事実もなにもかも忘れて点になった。姉さんは続ける。
「なんで! こんなどこの馬ともしれない子に寝取られないといけないの! ありえないありえない! 悔しい悔しいくやしいいい!」
「ぐええええ」
少し縛りが緩んで息はできるようになったが、酸素の足りない頭をガクガク揺らされて、貧血気味の意識と合間って気を失いそうだ。それにしても何言ってるんだろうこの姉さんは。ボーっとして何も考えられそうにないや。なんかそれでいい気がする。
「ふふふふ――」
少女が笑い声を発した。姉さんの視線が少女を捕らえる。
「きぃいぃいいぃ! この泥棒猫っ、若いだけの小娘が! お前だってすぐにババアになってハルキに捨てられるんだからっ!」
「あれ、それはあなた自身がババアだと認めることになるのかな? かな?」
「貴様ああぁぁぁ、殺すうぅぅうう!」
キシャアアァアァ
と、少女に跳びかかる姉さん。が、しかし――
ヒョイ
少女は軽く姉さんをかわす。
「――っ!?」
その姿を見て、僕の中で何かが繋がった。
現実にはあり得ない何か。いや、少し前なら考えられなかったことと言うべきか。
(―今の世の中なら……何が起こっても可笑しくないこの世の中ならまさか――っ!)
「―お、おお、お前っ、あの時の女っ!」
ぽむ
「正解です。正解者にはご褒美。えらいえらい」
「どこ撫でてんすかっ!?」
いつの間にか後ろに回っていた少女は僕の尻を撫で上げる。撫でなれながら僕は確信した。
(この手つきっ。間違いなくあの時の女だ――!)
「え、ええ! なにこの子。全く見えなかったんだけど!?」
姉さんが驚くのも無理は無い。だって、この子はあの女。先生よりも強くて速い――
「ふっふふ、さっきは寝ぼけてて遅れを取りましたが、本気を出せばこんなもんです。しゅばばば」
「にょわあぁぁぁぁあっ!?」
姉さんは一瞬で裸にひん剥かれた。裸と言っても、下着を残して服を剥ぎ取られたということだが。僕としては安堵するばかりだ。姉の裸なんて見れたモンじゃない。
そりゃ小さい頃は問題なかったのだが、一緒に風呂にも入ってたし。だが、第2次成長が始まって、姉の体が女性らしくなっていくのを見ていると、次第にもやもやとした感情が出てきた。
今思えば、それは恐らく、自己嫌悪だった。
家族に、それも双子という最も近しい存在に、女性という性を感じてることに対する自己嫌悪。それを感じ始めてから僕は姉さんに距離を置くようにした。心も体も。恐らく12歳になったころだったろうか。手始めに部屋を別々にしてもらった。そして、休みの日や学校でも、一緒に遊ばないように心がけた。誘われても他の友達と約束があると断った。そうして、僕は姉さんから距離を置こうとした。
――だが、姉さんは納得してくれなかった。
説明も何もしてないのだから当たり前かもしれないが、以前よりスキンシップが過激になってしまった。僕が行く場所全てに着いてくるようになった。着いてくるなと追い返しても、こっそりと後を付けて来た。そして夜は僕の部屋に来て言うのだ。「今日は楽しかったね。また一緒に遊ぼうね――」と。
これでは本末転倒だ。そう思った僕は多少我慢して前の関係を装い、姉さんを納得させる……いや、騙すことは出来た。元の、仲の良かった僕たちを装うことが出来た。
――しかし、あくまで装いだけだった。
一度超えてしまったラインは元には戻らず、姉さんは未だに、時々怖くなる。過度のスキンシップをすることもある。……どうにかしていつかは、それをやめさせないといけないとは思うものの、未だ良いアイデアは出てこない。
(……いや――実は僕は――)
「いやあぁぁぁぁぁぁああ! なにこの変態少女! 服返せっ」
姉さんの悲鳴で現実に戻された。そこで僕は、あっさりと先ほどまでの思考を捨てた。
そして、この混沌とした状況をどうするかを適当に考える。適当に考えるだけなので別に良い案が出ることもないし、出たとしても行動するつもりも無い。ただ、先ほどのことを忘れられればそれで良いのだ。
「はふぅ……人肌の温もりが残った服……女の子の香りがする、くんくん」
「にゃあぁあぁぁぁっ、嗅ぐなばか者! おお、お、お縄を頂戴したいかっ!?」
顔を真っ赤にして跳びかかる姉さんだが軽くひらりとかわされ、すれ違いざまに胸を揉まれた。
「ひゃんっ」
「ふっふふ、良い反応です。揉み甲斐があります。ちょっと小さいけどってあぶあぶ」
「このぉおおおぉおぉおっ!」
姉さんは完全に玩具にされていた。僕の部屋を縦横無尽に跳ね回るのだが、少女を捕らえることは適わない。僕としては少女に聞きたいことがいくつかあるので、ちょっと止まって欲しいところなのだが……完全に頭に血が上った姉さんは体力が切れるまで動き続けるだろう。そのときに僕の部屋がどうなっているのか……怖い想像はやめておく。どうせ現実にその惨状を見せられるんだから――
と、思考し何気なく窓の外に目を向けた。するとそこには夜が広がっていた。
(え……あ、れ?)
確か、僕は夜に寝て、朝に起きたはずで先ほどまでちゃんと外は朝の青い空が――
「ふあ、しまったです」
「がしっ! 捕まえたぞ小娘ぇー……って、なにこれ!?」
少女と姉さんも異変に気づいた。
「おい女! しまったってどういうことだ! なんだよこれっ」
僕は一番訳知りそうな少女に現状の説明を要求した。
「相変わらず目聡く、耳聡いやつです」
しかし少女は窓の外を睨みつけるだけで、僕の問いに答える様子はなかった。
「おいっ――」
僕がもう一度と、声を発しようとした時――
【久しぶりだな――クイーン】
突如、声と共に男が現われた。全身真っ黒の服を着て、真っ黒なマントを羽織っている。背景の暗闇に同化しかけて良く見えないが、かなりの大男のようだ。
【ふん、やられたと聞いて来て見れば……ずいぶんと無様な姿だな】
ずずずっとそいつは窓をすり抜けて部屋へと入ってきた。その男は近くで見ると更に大きかった。
「ふっふふ、あんたよりはマシ。――ねえ、隻腕の四角」
少女がなにか含みのある口調で言葉を発したとたん――
【四角ではないっ 六角だ!】
その叫び声と同時にあたりに衝撃波が飛んだ。
「ぐ……うぅ」
「ふふ、刺客ではあるんでしょ?」
少女は余裕の笑みを崩さない。衝撃波がまるできいてないというような素振りだ。実際、少女の周りだけはまるで被害が出てなかった。少女がなにかをしたのは間違いないようだ。僕はと言えばなんとかその場で踏ん張ることができたが、部屋の中はめちゃくちゃだった。
(これ、誰が片付けるんだ……)
僕が後のことを思ってげんなりしてるとその横を通り過ぎる者がいた。
「――私とハヤトの愛の巣に土足で入ってくるんじゃねえええええぇぇぇえ!」
「姉さん!」
空気の読めない姉さんが男へと跳びかかったのだ。僕は慌てて止めようと手を伸ばし腕を掴むが、僕の制止など物ともしない姉さんに引きずられ、乱入した黒ずくめの男の前に投げ出される。
「―――なあっ!?」
姉さんが驚きの声を上げた。
「うご……けん」
姉さんは男にたどり着くことが出来ず、その手前のなにもない空中で静止していた。
【なんだこのゴミは……消えろ】
男が姉さんに手を伸ばす。するとその手からなにかもやもやとしたものが――
「姉さん!」
とっさに僕は男に殴りかかるがしかし、姉さんと同じように何も無いところでまるで空気が凍結したかのように固まってしまった。
(うごけない……!)
【ふん、まとめて消えろ――】
もやが僕たち二人を包む。成すすべなく、僕らはもやに包まれ――
「え、えええええ! ちょっと切り札のあなた! 簡単にやられちゃだめ! こらっねえっ――」
なにか聞こえた気もしたが――――気づくと変な場所にいた。
「あれ……」
「あ、ハルキ。おっはー、お目覚めのちゅー」
「ちゅー」
「いだい! 拳にちゅーは痛いよぉ……」
手を拭いながら僕は辺りを見回す。しかし何も無い。何も無い。何も無い。
見事に何も無い場所だった。おまけに真っ白で、目が痛い。
「いったい――なんだこれ」
「わかんないけど、結界系の技じゃないかなーって思うの」
「なんで……そう思うんだ?」
結界とは、「陣」や「己の血」などで囲んだ空間に対し影響を及ぼす技である。だが、僕が知る限りじゃ、結界とは扱いが難しく大層な準備が必要となるもののはずだ。だが、あの男はそんなことしただろうか。全くそんな素振り無く、この現象を起こしていやしなかったか……?
「いや、……まあ、ただの勘なんだけど」
姉さんも自分で言っといて納得できてない様子だった。どうやら本当に直感だったらしい。だが、姉さんの直感なら信じる余地はある。この人は考えるより感じる人だ。
「結界か……で、どうする?」
「……どうしよう」
「打つ手なし……か」
「ってことで、久しぶりに二人でゆっくりしよー」
「嫌だ。熱いからくっつかないで」
「それって私たちは既に熱々だから――
「うるさい、そうじゃなくて――」
僕は耳を澄ます――
――ッ―――――キャ―――
どこからか女の悲鳴が聞こえる。
「あれ、悲鳴だね。あの子のかな」
姉さんも気づいたようで辺りを見渡す。しかし、そこにあるのは何も無い空間だけである。
「どうやら、この空間の外で女がピンチみたいだな――」
そういえば先ほど刺客とかどうとか言ってたし……って、そうだとしたらあの女ピンチじゃないだろうか? いや、まてよ―
「えー、でもあの女が簡単にやられる玉かな?」
姉さんも同じ事を考えたようで、確かに女が簡単にやられるとは思えない。だが、本調子じゃないようだったし、なにが起こるかわかったもんじゃない。どうにかして助けにいかなくては……。僕は辺りを散策し、なにかないかと探し回る。ここは立方体のような形になっていて、その一辺は5Mほどであっという間に探し終わってしまった。それでもなにか無いかと隈なく探してると、ふと姉さんと目があった。姉さんは僕を冷たい眼差しで見つめて――
「……やっぱロリコ――」
「真面目にやれっ!」
「うえーん、おねーちゃんに冷たいよー」
――ガシャン――ドカン――ナン――オヌシ――――ジャ――――シネ――
突如外の様子が大変騒がしくなった。
と、思ったら唐突に静かになり、なんの物音もしなくなった。
(ま、まさか――)
僕たちは顔を見合わせる。姉さんも青い顔をしている。僕たちの脳には少女が男に無残に――
ピシピシピシピシ
「な、なんだ!?」
「空間が割れてる!」
音のする方を見ると立方体が崩れ始めていた。
蹴っても叩いてもビクともしなかった壁が崩れ去っていく。
「何これっ、私たちどうなるの!?」
(少女がやられたとしたら、次は僕たち―)
その考えが頭に浮かび、僕は自然と姉さんを抱き寄せた。いつでも守れるようにと。
ピカッ
崩れた先の空間から眩しく強い光が差し込んで来た。いよいよと僕は心を決める。
(命に代えても守ってみせる――姉さんは死なせないっ)
そして二つの影が見え……声が聞こえた――
「本当に、この中なんじゃろうのう?」
「はい、そうです。というか……色々反則ですあなた……」
「くっくくく、ワシに不可能はないのじゃ」
「私より弱いくせに……」
「くっくく、今やればわからんぞ?――おっ、おったわい」
光の先から現われたのは――――少女と、僕たちの頼りになる先生だった。