* 四 * 傀儡姫の決断
式当日はとても良い天気で、初めてこの地にやってきたときと同じ青空が広がっていた。
一通り儀式的なことをつつがなく終え、いよいよ披露宴が開始される。宮殿の広い中庭に集められた来賓には、侵略戦争に負けて併合された各国の代表者が並ぶ。
――これを乗り切れば良いのよね。
式による緊張よりも、これから起こるだろう事件を想像して気分が悪くなる。絡操人形の操作での疲労もあるのかもしれない。しかし疲れた顔をしているわけにもいかないので、あたしは大きく深呼吸をして気持ちを切り替えた。
盛大な拍手と花弁の雨に包まれながらの入場。遠くからは絡操人形らが緊急事態に備えて構えているものの、会場内に兵士たちの姿はない。前もって聞いていた通りだ。
――ええっと……ここで微笑みを振り撒きながら、手を振って……。
予行練習で頭に叩き込んだことを必死に思い出す。隣にいるセトが来賓を簡単に説明してくれたが、今はその顔を覚えていられるような余裕はなかった。
中庭の中央に設けられた舞台にたどり着く。そこで会場がどよめいた。
――来たか!
舞台近くの席にいた少年が急に駆けてくる。太陽の陽射しを反射する短剣を握って。
「うぁぁぁぁっ!」
雄叫びを上げて突進してくる少年の前に、純白のドレスが翻る。新郎を庇うために間に入ったのだ。
会場に響いていた拍手は悲鳴に変わる。
白いドレスに吸い込まれていく短剣。腹部に深く突き刺さり、新婦は身体を丸める。そして――少年の腕を掴まえて押さえ込んだ。
「え?」
少年の不思議そうな声が聞こえる。それもそうだろう。刺されても動けることには驚きだろうが、さらに純白のドレスには赤い染みは一滴もついていない。
無事に取り押さえることに成功したところで種明かしをしてやろうかと思っていると、会場がまだ静まっていないことに気付いた。
あたしは自分の姿をした人形から状況を掴むために辺りを探る。
刺客は少年だけではなかった。大きく広がるドレスの下や紳士の胸元から武器が次々と取り出されていたのだ。
披露宴の会場とは思えない光景に、思わずあたしは顔を引きつらせる。強引な侵略を続けてきただけに、恨んでいる人間は多いということだろう。
「死んで償え、セト皇太子!」
「皇帝陛下に我らと同じ想いをさせてやるためだ、恨むなよっ!」
誰かの叫び声とともに人々が動き出す。目指すは中央の舞台。新郎新婦へと向かって。
白い衣裳に刃が届かんとする瞬間、新郎は新婦の手を取り跳躍した。およそ人間ではできないだろう距離と高さを伴って。
「――あぁっ。ごめんなさい、ご主人様!」
新郎が自分の失敗に気付いて声を出す。あたしは人形の口を通じて返事をした。
「仕方ないわ。エンシの命令が上位に来たんでしょうから」
自分が未熟であるがために、エンシがルークスに仕込んだ命令――何よりもメローネの身の安全を優先し、自身も危険から遠ざかること――が実行されてしまったのだろう。
そう、ルークスが新郎を演じていたのだ。
想定外の出来事に、刺客たちは呆気に取られた様子で新郎新婦を見つめる。
「――それにしても、祝福せざる客が多いこと」
隣に身を潜めているセトに目をやると、彼は苦笑いを浮かべて頬をかいた。
「初めからこの目的だったとはいえ、みながみなだと知れると僕としては辛いですね……」
「これからあなたが従えていかなくてはならない国の人々よ。陛下のしてきたことの責任をとるつもりでしたら、弱音を吐いている場合ではありませんでしてよ?」
あたしはため息をついて気持ちを引き締める。
「――外部からの攻撃は全て抑えてあります。刺客の傀儡師を押さえるのも時間の問題でしょう。会場の鎮圧も始めてよろしいですか?」
「えぇ、できるだけ穏便に」
セトが頷くのを確認し、意識をルークスに向ける。
「――そういうことだから頼むわよ」
「はい、ご主人様」
動き出した人々を軽くあしらって動きを封じる。片付くのにそれほど時間はかからないだろう。
――なにが、あたしにしか頼めないことよ。最初からこのつもりで選んだくせに……。
あたしたちは中庭全体を見下ろせる宮殿のひと部屋に潜み状況を観察していた。
昨日セトから頼まれたこと、それが披露宴を人形で行うことだった。セトの代役にはたまたま背丈が近かったルークスを、あたしの代役にはエンシが持ってきた身代わりの人形を使い、彼らを囮にして反帝国派の人間をあぶり出す計画が実行されたのだ。しかしさすがはエンシの作る人形だ。数回しか会ったことのない人間なら、その場の空気で紛らわすことができよう。
「――君を選んで正解でしたよ」
次々と無力化されていく刺客たちを眺めていたセトが呟く。
「そう思っていただけたなら光栄ですわ。一生後悔させませんでしてよ?」
これが済んだら丸一日は目を覚まさないだろう。その間は無防備になるが、エンシもセトもいる今なら安心だ。信じるしかない。
「無理をし過ぎないでくださいね。エンシさんに睨まれたくないので」
「そう思うなら、内部に味方を作っておくことをお勧めしますわ」
嫌味を言ってやると、彼は苦笑を浮かべる。
やがて、無事に暴動は鎮圧されたのであった。
すべてが落ち着いた翌々日。丸一日の眠りから覚めたあたしは、宮殿の敷地内にある屋敷――つまりあたしが寝泊りしていた場所の露台でセトとお茶をしていた。
「――帰りたいのでしたら、故郷に帰ってくださって構いませんよ」
披露宴の結末を聞き終えたところで、不意にセトが告げた。
「え?」
あたしは思わず聞き返す。
「君は気付いていたようですが、宮廷医の話では父はそう長くないとのこと。近いうちに僕は皇帝の座につくことになるかと思います。そうなると、君にも父のしてきたことの火の粉がかかることになりましょう。ましてや、君はわが国が攻撃した国の姫君だ。望まぬ結婚をする必要はありません」
「ですが……」
「あの式はすべて偽り。なかったことにすることは可能です」
――なるほど。彼がその気になればすべて白紙に戻せるのか……。
陶器に注がれた紅茶の水面に視線を移したままあたしが黙っていると、セトは続ける。
「僕は自分で動き出すことに協力してくれた君から自由を奪いたくありません。母国のためだと言うのならなおさらです。――君はエンシさんを愛しているのではありませんか?」
「な、何を根拠にそんなことっ……」
唐突な指摘にあたしは動揺し、顔を上げる。
「隠さなくて結構ですよ。君がエンシさんの話をして聞かせてくださったとき、エンシさんと再会したとき――君は一国の姫ではなく、歳相応の少女の顔をしていましたよ」
「!」
「愛しているなら、その愛を貫けばよいではありませんか。彼は国でも有名な絡操技師。身分違いだとはいっても、そう反対されないのではないでしょうか?」
セトは優しく囁く。あたしの心をかき乱す。
「あたしは……」
そこまで告げながら、先を続けられない。迷いが彼への視線を外させる。
おそらく彼が言う通りなのだろう。セトよりもずっと信頼を寄せ、エンシのそばにいたいと願っているだろう。
でもあたしは、そんな一個人の感情で好き勝手できる身分ではない。アスター王国の第一王女なのだ。このままセトの言う通りにしてしまったら、あたしはロゼット帝国の内側から変えてこれ以上の侵略戦争を行わせないという想いを捨てることになる。
果たして、彼一人でロゼット帝国を変えることができるだろうか。任せることができるだろうか。信じることができるだろうか……?
「いかがです? このまま国に帰れなくなるよりは、今、ここで戻る決断をしてみては」
「――それはつまり、あなたにとってあたしは不要だということですか?」
視線をセトに真っ直ぐ向ける。セトはあたしの気持ちを探るように見つめ返してきた。
「包み隠さずはっきりお答えするなら、今回の件での利用価値はなくなりました。君の貢献の対価として、国に帰ることを提案していると考えてもらって結構ですよ」
なかなかに正直な言い方だ。そういうのは嫌いじゃない。セトの瞳からは温かみが消えている。微笑みにも冷たさが宿り始めていた。
「――でしたら、あたしはその提案はのめないわ。あなたの妻の座に納まってやるわよ!」
あたしはきっぱり言い放つ。セトは一瞬きょとんとして、そしてやんわりと笑った。
「何がおかしいのよ?」
「いえ……エンシさんがおっしゃっていたとおりになったな、と思いまして」
言いながら、くすくすとセトは笑う。
「どうしてそこでエンシが出てくるのです?」
「君にお会いする前に、エンシさんと話をしたのですよ。彼にはこの国に残ってもらわねばならなかったので」
「え? ……どういう……」
問うあたしの後ろに影が立つ。
「つまりだな、ロゼット帝国はお前をこの国に縛ってアスターの戦力を殺ぎ、アスターにあってロゼットにない絡操人形技術を手に入れたかったわけだ」
「エンシ!?」
解説をしてくれたのは意外にもエンシだった。朝から姿が見えないと思っていたが、セトと話をしたのは本当らしい。彼の手に古書が何冊か抱えられているのを見ると、セトの申し出を受け入れたということが想像できる。
「しかし、あんたもいろいろ考えてくれるな。強制するつもりになればいくらでもできただろうに」
面白くなさそうな目でエンシがセトを見下ろす。セトはやんわりと微笑んで返した。
「自分の意志でなければ困ります。そういうことが後々に敵を産むのですから」
「えっと、では……」
「表向きは僕の妻ということでよろしいですね、メローネさん。エンシさんはわが国の絡操技術研究員ということで話を進めておきましょう」
言って、セトは立ち上がる。
「それでは公務がありますので。明日からは宮殿で生活していただきますから、そのつもりで」
ひらひらと手を振ると、セトはあたしの台詞を聞かずに去ってしまう。
「――ちょっと、エンシっ!」
あたしが困惑したまま睨むと、彼はあたしの頭に手を置いてぐりぐり撫でた。
「安心しろ。俺がそばで守ってやる。あの男が道を踏み外しそうになったら、そのときは俺たちがどうにかすればいい。――つーか、その役目を負うように言われている。お前はずいぶんと皇太子様に好かれているようだな」
言いながら、撫でる勢いが増している。
――な、なんで自分で言って不機嫌になっているのっ?!
「そんなの知ったことじゃないわよ!」
こうしてあたしは、ロゼット帝国での新しい生活を始めたのだった。
【了】
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