* 一 * 隣国の皇太子
「――先ほどは父が失礼いたしました」
宮殿の離れに用意されたあたしの住居。陽当たりが良い洒落た露台に着くなり、ここまで案内してくれた皇太子セトが頭を下げた。
「気になさっていたのですか? あの程度のこと、想定の範囲内でしてよ」
隣国ロゼット帝国にたどり着いたあたしとルークスは、早速皇帝陛下に挨拶に参上した。そこで陛下がおっしゃったことを彼は詫びているのだろう。
「――これが噂の傀儡姫か。なるほど、人形のように美しい容姿を持っている。もっとも、それが本来のものかはわからないがな、ハッハッハ――だから、それがどうしたのよ。あたしは人形に劣らなくてよ」
皇帝陛下の物真似をしておどけて見せる。心配そうな顔をしていたセトはその端正な顔を微笑みに変えた。
お日様の色に輝くさらさらの髪、夏の空と同じ色の瞳を持つ三つ年上の青年。どちらかというと華奢な感じですらりと背が高く、綺麗な顔立ちをしている。物腰も柔らかく、侵略国の皇太子とは思えない優しそうな人――それがセトに対する第一印象だった。
「君は面白いことを言いますね。敵の陣地にいながら、そんなことを言ってのける度胸は僕にはありませんよ」
「祖国を発つ覚悟と比べたら、大したことではありませんわ」
虚勢をはっているわけではない。この程度のことで怖じ気づいていては今後が思いやられる。心は強くあろう、それが国を発ったときの誓いだった。
「――しかし」
セトは表情を曇らせ、それに気付かれまいとするかのようにあたしの頭に手を置いた。
「ここでは父上の感情を逆撫でるような真似はお控え下さい。君の身を守ることにも限界がありますから」
セトのその言動に子ども扱いをされたと感じたあたしが頬を膨らませようとしたところで、ある声が割って入った。
「そうですよぉ、ご主人様。皇太子様の言うことをちゃんと聞いて下さいませ」
「しゃ……喋った?」
一瞬ぎょっととした顔をして、セトは後ろに控えていたルークスに目を向ける。
「人形が喋るのは珍しいですか? あたしの国ではよくある光景ですが」
そんなに驚くことだろうか。ルークスの発言で気がそがれたあたしは、むしろそんなセトを珍しく思いながら問う。
「いえ、我が国の絡操人形にも喋るものはありますが……しかし、これほど自然にとは」
セトは自身とほぼ同じ背丈のルークスを興味深く見つめている。
一方、ルークスはそんな視線を受けても意に介さないけろっとした顔をしていた。彼には視線を感知するような機能はない。
「本当に、本物の人間のようですね」
あたしの国アスターは絡操人形で栄えた。ロゼット帝国をはじめ絡操技術を軍事に利用する国も多いが、アスター王国では絡操技術を人形に施し、演芸や単純労働への活用で発展した。そんな形で相棒として仕えていることが多いためか、生きた人間のような容姿の絡操人形を作るのに最も長けている。ルークスも戦闘用ではないので、外見が整った人形だ。
「彼はアスター王国の中でも最高位の絡操技師の作品です。すべてが彼ほど自然というわけではありませんよ」
エンシが一番面倒を見た人形ルークス。従者を連れて行くことがかなわなかったがゆえに、身の回りの補助も彼の仕事だ。できるだけ人間らしく――そんなエンシの気持ちが込められている。
「……? それはそうと、先ほどのルークスさんの発言、妙ではありませんか? 主人は君なんでしょう?」
「あぁ、そのことですか」
セトが何に驚いていたのかをようやく理解し、あたしは微苦笑を浮かべる。主人に対して口答えしたのを彼は驚いていたのだ。
「我が国の絡操人形には、その回路に前もって簡単な命令を書き込めますの。頻繁に行うような動作を自動でできるように」
宿屋の受付にいる絡操人形は人が入ってくれば挨拶を返す。食堂の絡操人形は、新しい客が席に着くと注文を聞いて厨房に届ける。このように、単純化された一定の動作を回路に書き込んでおくことで、ある情報をきっかけとして主人の命令なしに動作を行えるのだ。
「ですから、先ほどのルークスの発言は、彼に仕込まれた命令ですわ。お父様とお母様が入れたのでしょう」
あたしは急に恥ずかしくなって、ごまかすように肩を竦めた。
「なるほど、そういうことでしたか。アスターの絡操技術は実に興味深い。――もっと絡操人形について教えていただけませんか?」
セトはあたしに向き直って問う。
「え? 構いませんが……、ロゼット帝国にも傀儡師や絡操技師はいらっしゃるはず。未熟なあたしの知識なんて大したものは……」
幼い子どもがするような好奇心に満ちた瞳で見つめられると照れ臭い。あたしはわずかに視線を外す。
「アスター王国のことをもっとお聞きしたい。書物でしか知識として持っていない我が国の者に聞いても面白くありません。君の目に映る人形の話を知りたいのです」
「……そういうことでしたら、喜んで」
あたしが頷いて微笑むと、セトは嬉しそうな顔をした。
「良かった。――今日は長旅でお疲れでしょうから失礼いたします。また明日、昼過ぎにお伺いしますね」
「案内、ありがとうございました。お待ちしております」
露台の柵越しに、去りゆくセトの背を見送る。一度振り返って手を振る彼を、あたしは穏やかな気持ちで手を振り返した。
「――あなたは鈍い方ですねぇ、ご主人様」
「何のことよ、ルークス」
セトが充分に遠ざかったところで囁くルークスに、あたしは顔を向けずに問う。
「あれはあなた様に会うための口実ですよ? 気をつけた方がいい」
「――その台詞、誰からの命令?」
視線だけ動かして問うと、ルークスはわずかに肩を竦めて口の端を上げた。
「あぁ、お節介なエンシの仕業ってわけね」
その仕草が誰を真似たものなのかを思い出したあたしは、セトの姿が見えなくなったのを確認して屋敷の中へと足を運ぶ。
「丁寧なご忠告、どうもありがとう。しかし、ご心配なく」
久しぶりに楽しい気分になったはずなのに、あたしの足音は苛立ちを滲ませている。なんでこんなに腹が立つのだろう。あたしにはわからなかった。
約束した通り、セトは翌日もあたしが寝起きする屋敷にやってきた。爽やかな良い天気。陽が照らす露台でお茶を楽しみつつ、話に花が咲く。
「――君は心底そのエンシという名の絡操技師を慕っているのですね」
何度も話に登場したからだろう。聞き役に徹していたセトが目を細めて語りかけてきた。
「そりゃあ尊敬してますもの。あたしと一つしか変わらないというのに、エンシは国で一、二を競う絡操技師ですのよ?」
「……それだけですか?」
――それだけか、ですって?
あたしはセトの問いの意味がわからず、目を瞬かせて首をかしげる。
「いえ、彼が羨ましく思えまして。君の心の中には、まだ僕の居場所がないのだなと」
言って、彼は立ち上がる。
「こういう気持ちを嫉妬というのでしょうね」
寂しげな笑みをこちらに見せるセト。あたしは何も応えられない。
「すっかり長居してしまいました。公務に戻ります。――また、明日もよろしいですか?」
「えっあっ……はい。喜んで」
彼の問いがなんとか頭に入ってきて、懸命に笑顔を作ると彼を見送る。
あたしは立ち去る背に切なげな色を見つけて、心の中で彼に詫びた。ただ母国のことを懐かしむだけじゃなくて、セトのことも考えなくては。彼とはこれからずっと付き合っていくことになるのだから。
それから毎日、彼は屋敷に顔を出した。宮殿に立ち入ることが許されていないあたしの代わりに、わざわざ通ってくれているらしかった。
しばらく穏やかな日々が続いた。陽射しが届く日中は露台でお茶をしながら祖国の話を聞いてもらう。屋敷にほぼ一人でこもっているあたしには、いつの間にかセトがいるこの時間が待ち遠しいものになっていた。
「――しかし、軍事技術開発は悪いことばかりではないのですよ?」
――悪いことばかりじゃないですって?
あたしがアスター王国の絡操技術の平和的利用を熱く語っていると、セトが話の間に入ってきた。彼の言っていることがよくわからなくて黙っていると、セトは続ける。
「メローネさんはこの街にどうやってきましたか?」
唐突に思える質問に疑問を感じながら、あたしは答える。
「アスター領内は馬車で、国境からは鉄道でしたが」
ここまでの旅は丸三日かかったが、ロゼット帝国に入ってからの旅程には目をみはるものがあった。初めて乗った鉄道の移動の早さに興奮しっぱなしだったのは記憶に新しい。
「ロゼット帝国の交通網や乗り物は、軍事技術を民間に転用したものなんですよ。鉄道も車も飛行機も、軍事から生まれた絡操技術です」
「あの鉄道が? 信じられないわ」
「元は物資輸送の効率化を目的としたものです。今は人を運ぶことに特化しておりますが」
「へぇ……」
アスターでは当たり前のことがロゼットでは違ったり、またその反対もあってとても面白い。言葉の通じる隣の国だというのに、こんなにも違うなんて。この数日で知ったことは城の中では知りえなかったことばかりだ。
「軍事増強は父からですが、それによって得られた恩恵も多いのです」
「――しかし、それはそれ、ですわ」
あたしはこの国の皇帝の顔を思い出し、セトをきっと睨み付ける。危うく彼の柔らかな物言いに惑わされるところだった。あたしは続ける。
「我がアスター王国を焼いたのはあなた方ロゼット帝国の人間です。それを可能にしたのがその優秀な軍事技術であったことをお忘れではありませんか?」
聞いた話では、彼は戦場に立っていない。あの凄惨さを目の当たりにしたあたしとは見ているものが違う。あんな体験は二度としたくはない。
「すみません。我が国の実情にご理解いただければと思っただけで――」
――ロゼットの実情を理解しろ、ですって? 冗談じゃない!
「あたしの国が焼けたのは紛うことなき事実です。あたしの目の前で消えていった命もありましたのよ?」
失ったものはたくさんある。これ以上永遠に失われるものが出てはつらい、そう思ったからこそアスター王国は敗北宣言をし、言われるがままあたしを差し出した。
あたしは身体が震えそうになるのを堪えて台詞を繋ぐ。
「あなたは現実を見ていないわ! あなたのその優しさは守られているからこそ培われたもの。それを認識すべきですわ」
「――発展の前には少なからず犠牲を払うものだ、我が国に併合されることで得られることも多かろう」
はっきりと告げられるセトの台詞。彼の父親に似た瞳に冷やかな色が映る。
「これは父の言葉ですが、この払われた犠牲を意識している人間が少ないのも、また事実でしょう。――僕は無知だ。戦場にいた君と違って。だからこそ、知らなければならないのです。お互いのことを」
――互いのことを知ったところで、分かり合えるかしら。戦場は想像を簡単に超えていく。言葉で伝えられるわけがないわ。
怒りと恐怖が収まらない。睨み続けていたあたしに、彼は寂しげに微笑んだ。
「――今日はこれで失礼いたします」
セトはそう告げて露台を去った。