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身に覚えはありませんか?  作者: 三嶋トウカ
夏:第1便~第3便

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第10話:【第2便】特製ソーセージ詰め合わせ_5


 皿を洗い終えたあと、しばらくシンクの前でぼんやり立っていた。照明の反射で、水面がきらきら光っている。

 フライパンにはうっすらと脂の跡が残り、スポンジを滑らせるたびに手のひらがぬるりとする。


「焦げつかなくてよかったな」


 小さく言って、水を止める。


 時計はもう二十一時を回っていた。外はしんと静まり返っていて、風の音も聞こえない。

 私は布巾で手を拭きながら、リビングのソファに腰を下ろした。テーブルの上には、さっきまで食べていた皿の跡が残っている。レモンを絞った後のくし切りから飛んだ果汁が、机の端にぼんやりと広がっていた。


「……あーあ、美味しかったなぁ」


 余韻から、小さな声が漏れる。

 ハーブの香りもスモークの匂いも、まだ部屋の空気に残っている。チーズの甘さとチリの刺激が、舌の奥に僅かに混ざっている。どれも名残惜しい。


「冷蔵庫にまだ残ってるんだよね」


 そう言って、ちらっと台所の方を見る。

 銀色のパウチが数本、きちんと並んでいるのを思い出して、胸の奥が少し弾んだ。


 テーブルの端に置いたグラスには、氷が一つだけ残っていた。手に取って、軽く揺らす。からん、と小さな音。飲み残した水を一口飲むと、唇に残ったレモンの酸がほんの少し蘇る気がした。


「次は、ちゃんと粒マスタード、用意しておこうかな。もう、何つけても美味しい気がする」


 独り言が自然に出る。


「パンにも合いそうだし……あ、ポテトじゃなくてザワークラウトとか? さっぱりするよね、絶対合うもん。間違いない」


 頭の中で、次の食べ方を組み立てていく。


 そのうち、思い出がふと混ざる。


「……ああいうスモークの香り、彼も好きだったなぁ」


 呟いた後、少しだけ黙る。

 その彼が誰なのか、頭の中では霧がかかったように隠されている。思い出せる。けれど、思い出さない。

 そういえば、チーズのソーセージを焼くときに感じた安心感が、なぜか昔のキッチンの明かりを思い出させた。


「……懐かしい感じ、かな」


 そう言って首を傾げる。過去を掘り返すような寂しさはなく、ただ心地よい温度が残るだけだった。


 テーブルの上に置きっぱなしのアンケート用紙が視界に入る。


「忘れないうちに書いとこ」


 椅子に座り直して、ペンを取った。キャップを外した瞬間、冷蔵庫のモーターが低く唸り、すぐに止む。まるで合図のようだった。私は考えながら、ペン先を紙に置いた。


「えーっと……商品名『特製ソーセージ詰め合わせ』。うん、はい」


 さらさらと文字を書く音が静かな部屋に響く。


「お味はいかがでしたか……? うん。間違いなく『とても良い』だね」


 ペンを止めて、小さく頷く。


「全部違う味なのがすごい。一つの箱で、幾つも楽しめちゃうんだもん。ハーブはさっぱりしてて、スモークは香りが最高」


 味を思い出しながら、文字を連ねていく。


「チーズは優しくて、チリは元気出る。四種類全部に個性があるって、すごいと思う」


 どうせなら、と、書けるだけ書くことにした。


「お気に入りの味……これは悩むなぁ」


 少し考えてから、私は『スモーク』と書いた。


「ハーブも好きだけど、スモークはお米にも合いそうだし」


 そこでぴたと手を止める。書いておきながら、悩むのだ。


「チーズは朝食向け、チリは夜のお酒のつまみにしたいな」


 そして、思いつくたびにペンを走らせていく。


「おすすめの調理法やアレンジ……とにかく簡単! 茹でても焼いても崩れないのが嬉しい」


 茹でて焼いた。次は、逆でも良いかもしれない。


「私は付け合わせ用意したし。って、付け合わせの相性……うん、書いとこ。ポテトがよく合いました。あと、酸っぱい玉ねぎも!」


 口の中に、あの味が蘇る。


「次は……そうだなぁ、パンと粒マスタード、それと冷たい白ワイン?」


 にやりとしながらメモの端に書き加える。


「それに、お勧めしたくなる味!」


 勿体無い気持ちが少しだけ残るが、これだけ美味しいならみんなに紹介したい。


「誰に……うーん、会社の同期? いや、あの人もお肉好きだったなぁ」


 書きかけてまた止まる。ペン先が紙の上で少し揺れた。


「あの人、今どうしてるんだろ」


 小さく呟いた後、首を振って笑う。


「ま、いっか」


 そのまま『みんなにおすすめしたい』と書き直す。


 最後の欄に『全体の満足度』があった。


「これはもう、満点も満点!」


 少し大きめの文字で書いて、横に◎をつける。


「また次のセットが届くの楽しみです、っと」


 ペンを止め、紙を見直す。自分の字が整っているのを見て、ちょっとだけ誇らしくなった。


 書き終えたアンケートを二つに折りたたむ。


「これでよし」


 そのまま机の端に置く。このまま紙は残して、QRコードで再度アンケートに答えた。写すだけなら簡単だ。紙は残したい、やっぱり。


 ふと、テーブルの隅に置いたスマートフォンが光った。通知が一件。通知をオンにしていた、SNSの懸賞アカウントからの投稿だった。


『新キャンペーン開催! 一年分のお肉プレゼント!』


「またやってる」


 忘れないようにブックマークする。


「次も当たるといいなぁ……」


 部屋の明かりを落とすと、外の街灯が窓越しに差し込んだ。冷蔵庫の扉に反射して、銀色の光が一瞬だけ揺れる。


 私はついた匂いを落とすために、お風呂へ入った。勿体無い気もするが、残しておくものでもない。


「はぁぁ……幸せ……」


 余韻に浸りながら、私は目を閉じた。

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