小波と港 第四章「海渠」③
「こっちです。お兄様」
漣との約束は夜からなので、俺と彩世はある二人組と昼食を共にすることにした。
彩世に「お兄様」と呼ばれたその男は、困ったような顔をして「外でそう呼ぶのやめなさい」と笑っている。
「どうしてですか。京香はお兄様と呼んでいるじゃありませんか。私とお兄様だって、れっきとした兄妹でしょう」
「彩世、伊織先輩を困らせるのは良くないぞ」
「そうそう、お兄様の妹は私だけなんです。彩世様」
「いや、確かに兄妹と言えば兄妹かもしれないが・・・・・・兎に角店へ急ごう。予約の時間も迫っていることだし」
伊織先輩の一声で、俺達は口を噤んだ。
「いらっしゃいませ。ご予約のお客様でしょうか」
「はい。『高槻』です」
高槻。
伊織先輩と京香、それから彩世は兄妹だが、現時点で三兄妹の父の姓を名乗っているのは彩世しかいない。それは偏に、伊織先輩と京香の母が妾であり、彩世だけが正夫人の子だったからである。
つまり伊織先輩と京香は同じ母を持つ兄妹で、彩世だけは異母兄妹ということだった。
「かしこまりました、高槻様。四名様で十二時半からのご予約でございますね。ご案内いたします」
お陰で伊織先輩と京香の二人は九条家の中でも微妙な立ち位置にある。俺は翠玲の高等部に進学したことで二人と面識を持ったが、最初は敵対心剥き出しでやりにくい相手だと思っていたな。
それももう、一年前の話だ。
「では、グラスの用意はいいか」
席に着き暫く談笑していると、各々が注文した飲み物が運ばれてきたので、伊織先輩が乾杯の音頭を取った。
「僕の大学進学と、三人の進級を祝って」
乾杯。
「伊織先輩は一人暮らしをなさるんですよね」
「ああ。まあ大学も都内だから、たまに会って食事でもしよう」
そうは言っても、伊織先輩は忙しいはずだ。
九条グループの跡を継ぐのは彩世なので、伊織先輩や京香が九条家の籍に入ることはない。しかし、伊織先輩も京香も現代表取締役の実子であることに変わりはないから、勉学を修めたら九条グループに就職することになっている。
恐らくは役員クラスになるはずだから、今はまだ大学生だとしても、何かと忙しくなるだろう。
「お兄様、湊は寂しいんですよ。今までのように学校で会えなくなってしまうから。ねえ湊」
「何言ってんの彩世。今の俺の発言のどこをどう切り取ったらそんな風に解釈できるの」
「でも湊くんて、焦ると言葉数が増えるよね」
「・・・・・・」
この姉妹には叶わない。伊織先輩も含め、俺達はこの姉妹に幾度となく泡を吹かせられてきた。
「っふふ、あはははっ、そんな風に黙らなくてもいいじゃない。湊」
先程までとは打って変わって、彩世が心底楽しそうに笑うので、俺も頬を緩ませた。
「元気になってよかった」
俺が静かに耳打ちすると、彩世はハッとしたようにこちらを向き、少しだけ悔しそうな顔をした。
そんな顔をしても、可愛いだけなのにな。
「別に、落ち込んでなんかなかったのに」
「そう。じゃあ俺の気のせいか」
そう静かに呟いて、俺はシャンメリーを口に含んだ。
「いやあ、僕は彩世と湊の方がお似合いだと思ってたんだけどな。あの邦坂とかいう男よりも」
「ええ、本当に。とても残念です」
「残念だなんて、そんなことない。幸せよ」
まただ。またしても貴女は、心にもない言葉を紡ぐ。
「私、こんな風に誰かと楽しい食事をするのが夢だったの。叶えてくれてありがとう。みんな」
彩世が笑うので、俺もつられて笑った。笑うつもりなんてなかったし、自分が笑ってしまうだなんて、夢にも思っていなかった。
「またいつか、こんな風にご飯に行きましょう」
そしてまた一つ、彩世は嘘をついた。
否、嘘になってしまったのである。
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