乱戦霧夢(ミストノクティルカ)
転送が完了した瞬間、蒼は自分の目を疑った。
視界いっぱいに、あらゆる「おかしい」がひしめいていた。
無装備で突っ立つ“裸族”が数十人、
常識を超えた体格の巨大プレイヤー、
浮遊する歯車の集積体、
猫耳のまま宙返りし続ける少年、
表面が“読み込み中”のままバグっている女の子。
「おいおい……カオスってレベルじゃねぇな」
だが誰も、冗談でここに来たわけではない。
その空気は、ログインする瞬間から張りつめていた。
「最後の戦場だろ? だったら来るさ、こういう奴らが」
「装備? いらんよ。記憶に残れば、それでいい」
「俺の魔法、バグってるけど。多分、相手にも効くよな? な?」
ツバキは、転送直後の光景に目を見開いていた。
剣士の表情に、微かな戸惑いが走る。
「……ここが、“お主の用意した戦場”か」
「正確には、用意したんじゃない。引き寄せたんだよ。
“まだ終われない”やつらを、全部な」
場の片隅に、ひときわ目を引く存在がいた。
——全長3メートルを超える騎士。
銀鎧は空を映し、肩口には意味不明なルーンが浮かぶ。
巨大な剣ではなく、“戦斧のような”何かを肩に担いでいた。
「……あれ、もしかして《叙聖騎士グロウリオ》じゃねぇか……?
引退したって噂の、あの——」
蒼が呆然と呟くのも無理はなかった。
あまりにも“見かけなかった”伝説級の異端プレイヤー。
その隣にいるのは、
右半身だけが“虫”のように分割されたプレイヤー。
ログイン直後、数匹の自立型アイテムを放ち、何かを探索させている。
「あいつら、“探索型”。
自分の装備はない代わりに、拾って、奪って、戦って強くなるタイプだ」
蒼はツバキに向き直る。
「……前方に裸族。警戒しとけよ」
ツバキが目を細める。
「らぞく……? また、見知らぬ種族か?」
蒼が苦笑した。ツバキの視線の先では、数人のプレイヤーが下着一枚とサビたナイフで跳ね回っていた。
皮膚むき出し、身軽そのもの。武具らしきものは、どこにもない。
「いや、見たまんま。“初期装備以下”で突っ走る奴らのことさ。
復活直後に配られる最低限セット——下着とナイフ。あれだけでゲーム続けてる」
ツバキが目を見開く。
「……命を軽んじておるのか……? いや、まさか……あやつら、本気か」
「本気だよ。装備より、動きと経験で生きてる連中だ。
正規タグ付きだけど、あいつらは影に食われても問題ない。ログも薄いし、
何より“死ぬこと”自体をエンタメにしてる。……ある意味、最強だよ」
ツバキはしばらく黙って跳ね回る彼らを見つめたあと、ぽつりとつぶやいた。
「……この世は広いのう……」
【警告】《BAKU_Ω-01》の転送フックが起動しました
転送先:未定義領域/優先階層不明
同期率:01.45%
ログの隅、獏の転移準備が始まっている。
影と融合した獏は、この世界ごと“抜け出そう”としている。
蒼は拳を握りしめ、目を細めた。
「あいつも、焦ってる……逃げようとしてるんだ」
「今なら、まだ間に合う。転移される前に、ぶっ壊せる」
ツバキは剣を抜いた。
巨大な騎士とすれ違いざま、目礼を交わす。
誰もが、“最期を刻むため”にここに集っている。
誰もが、“存在の証明”のために武器を取る。
転送フックが展開されると同時に、
《霧夢の都市:Ωステージ》が、
異端の者たちの足音で揺れた。
カウントダウン:00:46:52
この“たった1時間”の戦いが、世界を大きく変える。
――混沌の渦の中、ツバキは剣を構えながら、徐々に周囲の空気を把握しはじめていた。
「……ほんとに、この者たち、すべてが“仲間”なのか?」
「まあ、“共闘”ではある。でも“共感”までは保証できないな」
蒼が肩をすくめて言った瞬間。
「わあああっ! すっごーい! 本物の剣士さんだ〜〜!」
高音の声とともに、ツバキの至近距離に突然現れたのは、
魔法少女風の衣装を纏った、小柄な少女型アバターだった。
星柄のマント、ふわふわした魔導具、虹色のオッドアイ。
だがその目は、明らかに“ただのモノ好き”ではない知性を宿していた。
「あなたね? ツバキ・リンドウちゃん。
うん、想像してたよりずっと……いい」
唐突なその一言に、ツバキがわずかに身構えると、
背後から巨大な影が迫る。
グロウリオ——銀色の巨騎士。
その身長はゆうに三メートルを超え、Sakura★Triggerの背後に静かに立っていた。
剣を下げたまま、一切の言葉はない。
だが、存在感だけは尋常じゃない。
ツバキは軽く身構えた。
「その巨体……お主の仲間か?」
「うん、ペアキャラだよ〜」
Sakuraはあっけらかんと笑い、人差し指を立てる。
「でもね〜、通路つっかえるし足も遅いし……たまにドア壊すのよ、この子」
「だから私が、ひょいっと引っ張ってきたり、ドカーンて飛ばしたりして! 目的地にポイッ!って感じ!」
くるっと回って、ウィンクしながら両手を広げた。
「ふたり合わせて、やっとこさ一人前! ……いや、二人前! うん、うちら、名物コンビだから!」
ツバキは目を細め、やや驚いたように頷いた。
「巨体をもって、なお補い合うか……戦術とは、奥深いものじゃの」
蒼はそのやりとりを見て、無言でUIの裏メモを開く。
《キャラID:Sakura★Trigger(表)/Magus:Hexroot(裏)》
操作:単独プレイヤーによる同時制御
(……まさか、グロウリオの魔術師がこんなノリのやつだったとは)
「君さ、オフ会とかしない? 絶対楽しいと思う! ツバキちゃん、ね?」
「おふ……かい?」
ツバキの理解が追いつかない間に、
その“魔法少女”はツバキの後ろで小さな術式を組み上げていた。
「安心して。わたし、バク由来の魔術使えるから、最深部にも連れていけるよ。
ただし途中、何が起こるかは保証できないけどね!」
「そのような道化めいた言い方……だが、信じてよいのか?」
「信じるかどうかは、貴女しだい♪
だってこれは、選択の物語なんでしょ?」
その後ろで、どこからともなく声が飛び交う。
「あの子、魔法少女っぽいけど中の人マジで30超えてる説」
「ねぇ、このログ終わったらオフ会やろうぜ、リアルのやつ!」
「ログアウト間際に鍋囲むやつね? カップラだけど気持ちは豪勢」
「でも、ツバキちゃんだけはログアウトできないんだっけ……ちょっと泣きそう」
ツバキは、それらの声を聞きながら、
ほんの少し、目を伏せて笑った。
「……変な世界じゃのう。
だが、嫌いではない」
⸻
カウントダウン:00:41:31
異端たちの混沌は、ゆっくりと“戦場”へと形を変えていく。