出会いはバグの中で
夜のログインは、孤独の延長だった。
あの“バグ”に出会うまでは。
ヘッドギアの装着を確認して、蒼は目を閉じた。
《Chrono Sphere》──五感再現率98%、感情対応型AIを搭載した、近未来型VRMMO。
会社と自宅を往復するだけの生活の中で、ここは彼にとって唯一、“息ができる場所”だった。
南方領域、渓谷の旧神殿跡。
深夜のインスタンスは人の気配もなく、リポップを待つ蒼――Aouの視界は、ログとウィンドウだけだった。
(この時間帯なら、ソロでギミックの確認もできるし……データ取りには最適)
そんなことを考えながら、次の敵ポップまでのCTを確認していたその時だった。
「お主、この地にて何をしておる?」
背後からの突然の声。
咄嗟にカメラを回すと、そこにいたのは一人の剣士だった。
和装に近い装束、背に差した長剣。
アバターとしてはやけにシンプル――そしてなにより、ネームタグが出ていない。
蒼(内心):
(ノータグ……? システム非表示? いや、それっぽい設定なかったよな)
(運営の新規イベNPCか、あるいはガチの“演じる系”プレイヤーか……)
「その装備……イベント報酬? 見たことないけど」
少女のような見た目のそのキャラは、じっと蒼を見つめて答えた。
「これは、拙者の“誓衣”じゃ。主君より託された、戦場の衣なり」
蒼(内心):
(やべぇ……フルロール勢だ。しかも、口調が一切ブレてない)
(昔いたな……俺も一時期、ログに“闇に堕ちし双影”とか書いてたもんな……)
懐かしさと、ほんの少しの“面白がり”が蒼の中に芽生えた。
「へぇ、異世界の剣士さんか。じゃあ俺も付き合おう。
記録者Aou――この地を巡る旅の途中。そちらのお名前は?」
少女は、ぴたりと静止し、軽く顎を引いた。
「拙者、ツバキ・リンドウと申す。
この地に“影の痕”が現れたと聞き、封滅に参った」
(おお……完成度高ぇ……!)
蒼(にやりと笑って):
「ではツバキ殿。“共に斬る”としようか」
ツバキの目がわずかに綻んだ。
「よかろう。“背”は預ける」
こうして、Aouとツバキ・リンドウの最初の戦いが幕を開けた――
魔物の群れは、神殿跡の奥から湧くように出現した。
ギミック的には2連続ポップの挟撃型。ソロだと詰む構成だった。
「後ろ、来るぞ。引いて、左回りに捌く!」
蒼の指示に、ツバキは一言だけ返す。
「承知」
ほんの一拍のズレもなく、ツバキの影が敵の間を縫う。
回避、抜刀、斬撃――すべてが無駄なく、なめらかだった。
蒼(内心):
(え、上手すぎない? 操作精度やばい……
いや、それどころか――“予測してる”動きだ、これ)
「バフ入れる、今のうちに削って!」
「受けた。術、重ねるぞ」
「ギミック来る。床、見て!」
「視えておる。下がる」
※一瞬の沈黙、そして――
ツバキの剣閃が、中央のボスモブを両断した。
蒼:
「……早っ。いや、ちょっと待て、それどうやって斬った?」
「“刃”を通しただけじゃが?」
(語彙もブレないのすごいな……)
蒼(内心):
(こんなスムーズなロール連携、久しぶりかもしれない)
戦闘が終わり、神殿跡に静けさが戻る。
画面に流れるのは、獲得アイテムと経験値だけ。
でも、Aouの胸には、それとは別の“妙な余韻”が残っていた。
(昔みたいに、ただ戦って、笑って……
それだけで楽しいって、思える相手、久々だったな)
ツバキは、剣を背に納め、すっと姿勢を正した。
「拙者、礼を申す。そなたの導き、確かに戦の要であった」
「いやいや。そっちの“太刀筋”、見事だったよ。
……ってことで、だな。ひとつ、提案」
蒼は、やや気恥ずかしそうに“フレンド申請”のウィンドウを開きながら言う。
「よかったら、“また組もう”ってことで。フレンド登録――いや、盟友契約ってことでさ」
ツバキはきょとんとし、目を瞬かせた。
「ふれんど……? それは、“名を刻む契約”のことか?」
「まぁ、名前だけ。いつでも呼び出せるようになるやつ。気が向いたらでいいけど」
しばし沈黙が落ちたあと、ツバキは静かに首を横に振った。
「拙者の“名”は、軽々しく紐づけるものではない。……すまぬ」
「あっ……うん。いや、大丈夫、いいって。
たぶん……ちょっと押しつけがましかったな、俺の方が」
そう言いつつも、蒼は胸の奥が少しだけ寂しくなるのを感じていた。
でも、すぐに笑った。
「じゃあさ、“またどこかで”ってことで。剣士リンドウ殿――また会おう」
ツバキは、それには即答せず――
ほんの少しだけ、笑ってうなずいた。
「うむ。その時こそ、拙者の“奥義”を見せてやろう」
そして蒼はログアウトボタンに手をかけた。
ログアウトの光に包まれながら、蒼はもう一度だけ後ろを振り返った。
ツバキは、剣を背負ったまま、ただ静かに立っていた。
動かず、消えず、まるでログアウトのエフェクトすら拒むかのように――。
蒼(内心):
(……あえてログアウト演出なし。
そのまま“舞台を去る”ってわけか。本気でやってるな、君。)
(昔の俺じゃ、ちょっと照れてできなかったやつ)
そのまま蒼の視界が暗転し、ログアウト完了の表示が浮かぶ。
けれど胸の奥には、さっきまで見ていた“あの立ち姿”が焼きついていた。
「……また会えたら、今度は“奥義”、見せてもらおうかな」
彼女はただのNPCじゃなかった――それだけは、確かだった。
次回、蒼とリンドウの過去と未来が、剣の言葉で交わり始める。