第5話 解放
「ぐ…ぐぐ…」
コン!コロコロ…
アオイが首を絞められると手に持っていた仏像を足元に落としてしまう。
背後から何者かが居る、アオイが首を絞められ息苦しい中で左腕を大きく前に振る
と後ろにいる誰かに左肘を思いっ切り叩き付ける。
「ぐあ!」
「…ぷはあ!はあはあ…」
左肘に人の腹部の感触を感じるとアオイの首を絞めていた手が離れる。
アオイが首の締め付けから解放されると大きく息を吸い込み呼吸を整えると、ゆっ
くりと後ろを振り向く、すると左肘を受けた左脇腹を抑える女が居た。
「はあはあ…ソ、ソラ!」
「い、いてえじゃねえか…アオイ!!」
アオイの首を絞めていたのは友人のソラだった。
先ほどまで一緒に居たのだが、餓鬼に襲われていた事もあって長い間会っていない
様に感じる。だがソラの様子が何かおかしい、囲碁部の部室で楽しく話していた時
の可愛らしい笑顔と違い鬼の様な形相になっていた。
そんなソラを心配していたアオイが優しく声を掛ける。
「ソラ、探したんだよ!一体どこに隠れてたの!こっちは大変だったんだよ!
校内で襲われるし、殴られるし…」
「そんな事知ってるよ、ったく使えねーな!絶対に殺せると思ったのに…」
「な、何を言ってるのソラ?」
「もとからお前を殺すために私がここに引き込んだんだよ、わかんねーのか?」
アオイの理解が追い付かないソラがアオイに対して猛烈な敵対心を抱いている。
その原因がアオイには何も思い付かないのだ。ここまで来たのも生きているソラ
も助けたい一心だからだ。
理解出来ない顔で居るとソラが鬼の形相から表情をいつもの顔に戻すと淡々と
話し出す。
「あんたとケイスケは絶対に合わない、私がケイスケと幸せになるんだ」
「ケ、ケイちゃんの事?」
「そう!私とケイスケは愛し合ってるんだ、あんたよりも数倍にね!ケイスケの事
は何でも知ってるの、好きなモノから嫌いなモノなんでもね…」
「ソラ…」
「なのにあんたがケイスケと付き合いだしてから全てが変った、私が相応しいのにそれを邪魔するなんて酷いと思ない?」
「分かんない…分かんないよ!」
「こんなブスが彼女でケイスケも可哀想、身の程をわきまえないからこんな事になるんだ」
「…ソラ、皆、助かるんだよ、後少しなんだよ!」
「だから、あんたが消えれば私が助かるっつんだよ!いい加減理解しろよ間抜け!」
「うっうっ…なんでなのソラ…」
ソラが表情をころころと変えて行く、感情の起伏が激しくまるで別人の様だ。
友人だと思っていたソラがそんな事を思ってるとも知らずに悲しくなると自然と
目から涙が溢れて来る。
「悲しいよね?苦しいよね?…じゃあ今すぐに楽にしてやるよ…アオイ!!」
するとソラが勢い良くアオイに飛び掛かってくると押し倒して再び両手を首に回
してくる。アオイがソラの手首を両手で掴み抑えるとソラが馬乗り状態になる。
そしてソラが全体重を乗せて両手を首に押し込んでくる。
「シネシネシネシネシネ…!!」
「ソラ!…あそこに仏像さえ戻せば…来年からは行方不明の生徒がいなくなるの…」
「しらねーよ!んなーことは!私さえ幸せになれればそれで良いんだよ!!」
「…は、離して、も、もうすぐ人を襲う餓鬼がこっちに来る…そ、そしたら二人共…」
「ばーか!ここには安全だって調べは付いてるんだよ!嘘で誤魔化そうとするんじゃねーよ!」
アオイの最後の説得にも全く応じないソラが自分が全てと言わんばかりに罵って
来る。ソラの表情は餓鬼に似てとても酷い顔をしている。シンジの手記の通り生き
ている人間が餓鬼より欲深いそれを体現していた。
少しづつソラの両手の指がじわじわとアオイの首を締め付けて行く、餓鬼から殴
られた傷で思う様に腕に力が入らない。腕を振るわせて懸命に抵抗する。
そして段々と頸動脈が締まって血流が止まり始めると行くと意識が朦朧としてくる。
(シ、シンジ先輩…ご、ごめんなさい…わ、私もここまで…みたい)
「アオイ…あんたの分まで幸せになってあげるから…ははははは!!」
アオイの視界が歪んで行くとソラの狂気に満ちた高笑いの顔が見える。
そしてもう一人、ソラの背後に狂気に満ちた醜い顔が見えている。
ガリッ!!
何かが砕ける様な音が鳴るとソラの両手から力が抜けて首の締め付けが緩くなるのを感じると、アオイの頸動脈に血が巡りはじめ意識と視界が少しづつ戻って来る。
するとソラの後ろに居た醜い顔の男が大きな声を上げる。
「ウ、ウメーーー!ワ、ワカイオンナノ、ノウミソ!!」
アオイの視界がはっきり映る様になる。
ソラの頭を細い骨ばった両手がしっかりと掴み、醜い顔の口元にはソラの頭皮、
毛髪と血が垂れていた。そして嗅ぎ慣れた肉の腐る様な異臭が辺りに充満する。
校長室から餓鬼がやって来たのだ。
「う、嘘…わ、私は…ケイスケと…幸せ…になる…だぺぺぺぺ!」
「ゴホッ!ゴホッ!はあはあ…ソ、ソラ…」
後頭部を齧り取られたソラの頭から勢い良く血が噴出すると全身を痙攣させ脳を
損傷した影響で呂律が回らなくなっている。ソラの頭を掴んだ餓鬼が頭をぐっと
自分の口元に近付けると、ソラの体と手足が宙に浮く。
そのソラの馬乗り状態から解放されたアオイが這い出て脱出すると四つん這いに
なってソラと餓鬼の横を抜けると小祠の方に向かう。
「こ、ここまで来て…負けてやるもんか…」
落した仏像の所まで辿り着くと急いで拾い上げる。そしてソラの方を見ると餓鬼が
ソラの頭を体ごと持ち上げ何度も音を立てて食べていた。その足元にはソラの頭
から出た血で血溜まりが出来ていた。
「や、やだ…わ…わだじっぺぱ…しに…ぱきな…い…」
ガリッガリッガリッ!!
「モット、モットクワセローーーーー!!」
餓鬼の終わりの無い欲望の叫び声が狭い石垣の小部屋に響く。
ソラの状態は素人目から見ても致命傷だ、その惨状を見てアオイが目を逸らす。
ソラの正面に木製の観音開きの扉が見える。その扉の前で餓鬼がソラの頭を掴み
ながら乱暴に振り回しすと壊れたマネキンの様なソラの足が扉に勢い良くぶつか
るとゆっくりと木が軋む音を立て開いて行く。
ギギギギギギ…
扉が開くと中が見えて来るが外に繋がってはいなかった。
真っ暗な暗闇が円を描き回っているだけであった。まるであの世に繋がる全てを
飲み込む渦潮の様だ。
そしてソラと餓鬼の体が少しづつ扉に引き込まれて行く。
それに気付いた餓鬼が慌ててソラの頭を手放すとソラの体、足元にあった血溜まり
も頭皮も毛髪もが扉の中へ吸い込まれて行く。そしてシンジの白骨化した遺体も
一緒に吸い込まれる。
「マ、マダカエリタクナイ!…ソ、ソコニ、マ、マダ、ノウミソガ!!」
アオイをギョロっとした目で見つめ餓鬼が床に爪を立て踏ん張るが、吸い込む力が
勝るのか爪が剥ぎ取れると餓鬼の体も抵抗空しく扉に吸い込まれて行く。
ギギギギギギ…バタン…
ソラと餓鬼を吸い込み終えると観音開きの扉がゆっくりと閉まって行く。
その様子を見ていたアオイがシンジの言葉を思い出す。
『必ず小祠に仏像を収めてから外に出るんだ』
この言葉の意味が今理解できた、霊を鎮めない限りあの世との繋がりは途絶えないのだ。来年の7月13日には再びあの世と繋がり餓鬼が出現するのだろう、シンジは
それを分かっていた。
しばらくアオイが呆然としている。ソラの襲撃から始まった出来事が嵐の様に
去っていたのだ。
「…これで終わったの?…いや、まだ終わってない…」
手に持った仏像を見つめ、アオイが気を取り直すと仏像を持って小祠の小扉を開ける。
そして中にある小さい台座の上に仏像を祀る。
その瞬間、今まで感じていた水の中に居る様なふわりと浮いた感じが消えしっか
りと地に足が付いた安心感を感じる。小祠の小扉を閉めるとアオイが立ち上がり
先ほどソラと餓鬼が吸い込まれた観音開きの扉の前に立つ。
「も、もう大丈夫だよね…やれる事はやったんだ…」
扉の前で悩むアオイの後ろから囁く声が聞こえて来る。
『ありがとうアオイ、もう大丈夫だから扉を開けてごらん』
心を落ち着かせる様な優しい声がアオイを後押しする。
それは何度も聞いたシンジの声だった。それを聞いたアオイは振り返る事無く扉に
両手を広げて手を添える。
「もう、私は振り返りませんからねシンジ先輩!」
そしてアオイが一気に観音開きの扉を押し開く。
ゴロゴロゴロッ!!
すると石垣が落ちる様な音がすると外から朝日の光がアオイの顔に差し込んで
くる。何時の間にか朝になっていた、慌ててスマートフォンを取り出して時間を
確認すると朝の5時を指していた。
この世とあの世の狭間は時間の過ぎ方も違うらしい。
アオイが辺りの様子を窺うとちょうど山城の城壁の中腹の石垣の上に立って居た。
大名の抜け道は石垣で隠されていた様だ。
だが地上まで3メートルぐらいの高さがあり飛び降りれそうにない。
すると周りに何台かパトカーと軽トラが走り回っていた。その周りには大人達が
大声を上げながら誰かを探している様子だった。
するとアオイのいる石垣の下に一人の白髪頭の男が居た。清明高校の用務員だ。
「そ、そこに居たのか!今、皆を呼んでくる待ってなさい!」
「お、お願いします!」
用務員が慌ててパトカーや大人達の方へと走って行く。
すると安心したアオイが石垣の上に座り込み、今まで起きた事を思い出しながら
遠くを見つめる。まだ夢の中に居るようで現実に起こった事とは思えないでいる。
するとポケットの中にあるシンジの生徒手帳に気付く。
ポケットの中から生徒手帳を取り出すと、アオイがじっと見つめる。
それを見ると夢じゃなかった事と、シンジが命を懸け助けてくれた事を思い出す。そしてそのお陰で自分がこの場に、この世に存在している事を強く噛み締める。
「シンジ先輩…ありがとうございました…」
頭に巻き付けたシンジのYシャツの切れ端を掴み感謝の言葉を口にする。
その後、警察や消防団、地域の有志によって救助されると病院に運ばれて行く。
病院に入院している間は両親や友人が見舞いに来て慌ただしくなる。その後に刑事
からも事情を聞かれる。だがシンジに連絡を取った女性Bの話を聞いていたアオイは餓鬼について話す事は無く、ソラとは囲碁部の部室で別れた後に不審者に校内で
襲われたと答えた。
そして自分は校長室から慰霊碑の抜け道を偶然見つけ逃げ出したと伝える。
しばらくの間、学校が閉鎖され警察が捜査で証拠集めする。
だがソラの行方を追っても恐らくは全てが無駄だろう、ソラの関わる物はあの世に
行ってしまったのだから。
そして慰霊碑の抜け道について刑事から驚くべき報告を受ける。
地下に続く階段から小祠の置いてある部屋まではなんと、たった数メートルしか
離れていなかったのだ。あの長く人を惑わせる様な道は何だったのか。
この世の者をあの世に連れて行く罠だったのか試練だったのか今となっては分からない。
数日もすると軽傷だったアオイの傷が癒えて退院する。
清明高校では夏休み前の終業式が行われアオイも参加するために登校する。
そしてもう一つ、その心の中には決意した事があった。
終業式が終わった後、彼氏のケイスケを使われていない囲碁部の部室へと呼び
出す。
「どうしたアオイ、急に呼び出して」
「ケイちゃん…ごめんなさい!私と別れて下さい!」
「…ソラの奴に何か言われた?」
「…私、転校しようと思ってます」
「アオイ、ソラが行方不明になったのは君のせいじゃない、あれは事故なんだ
気にすることはない」
「いえ、私にとってのケジメなんです、こんな私と今まで付き合ってくれてありがとう、ケイスケ君ならもっと良い彼女が出来るよ」
「…分かった、こっちも今まで付き合ってくれてありがとう転校しても元気でね」
「…じゃあ私帰りますね」
「ああ、気を付けて」
ソラからは酷い仕打ちを受けたがそれでも友人だった。そのソラを救えなかった事が今だに心残りだった。そしてソラはケイスケが好きなのだ、そのまま中途半端な
気持ちで付き合う訳には行かなかった。だから別れを告げたのだ。
ケイスケを囲碁部に残すとアオイが囲碁部の部室を出て昇降口へと向かう。
それを見つめながらほくそ笑むケイスケが居た。
しばらくして転校先も決まり引っ越しの準備に追われる、一区切りして落ち着い
た所でアオイが夏休みを利用してシンジの実家の住所を調べ出すと事前に電話で
連絡してシンジの実家へと向かう。
電車を乗り継ぎ慣れない町へ下車するとスマートフォンの地図を頼りに歩みを
進めて行く。
そしてシンジの実家が見えてくるとでシンジの母親が外で出迎えてくれた。
「アオイちゃん?いらっしゃい、シンジについて大事な話があるって聞いたんだけど?」
「は、はい…実は私、シンジ先輩に助けて貰って、そのお礼が言いたくてここに
来ました」
「…ここじゃ何だし、家の中に入りましょうか、上がって頂戴」
「は、はい、お、お邪魔します」
シンジの実家に上がるとまずはシンジの遺影が置かれた仏壇に手を合わせる。
シンジの母にリビングへ案内されると椅子に座らせられる。お茶と茶菓子を机の上に載せるとシンジの母も椅子に座って笑顔でアオイを見つめる。
アオイが今回起きた事を正直に説明すると、最初は戸惑っていたがアオイの真剣な
表情を見て理解を示してくれた。警察に話しても通じないという意見まで一致した。
「あの子が行方不明になったのはそれが原因だったのね…彼女が消えてから何かに執着していたと思っていたけど…」
「はい…彼女の方も恐らくは…」
「それは私からそれと無く伝えておく、彼女の親とは顔見知りだしね」
「後、これ学校の抜け道に落ちていました」
アオイが抜け道で拾ったシンジの生徒手帳を机の上に置きシンジの母の方へと
差し出す。
それを見た瞬間シンジの母の目から涙が出て来る。生徒手帳を手に取るとシンジの書いた手記を夢中になって読み始める。
自分の息子がアオイの話通り、如何に勇敢に戦ってきたのかが分かると顔をくしゃ
くしゃにしながら、しばらくそれを読み続ける。
一通り読み終えると気分を落ち着かせるためにお茶をゆっくりと飲む。
ハンカチを取り出し涙を拭くと笑顔になってアオイに話し掛ける。
「アオイちゃん、息子のために頑張ってくれてありがとうね」
「全部シンジ先輩のお陰なんです、私なんて弱いですから…」
「いいえ、アオイちゃんは強い子よ、私よりもね」
シンジと同じ言葉回しでシンジの母が答えるとアオイの目にも涙が浮かぶ。
やはりこの人はシンジの母親なのだと再認識する。
するとシンジの母が思い出した様に小さな封筒を机の上に出す。
その封筒には黒い綺麗な文字で【アオイへ】と書かれていた。
「そうそう!これなんだけどね7月14日の朝にシンジの机に置いてあったの、
封筒にアオイへって書かれていたから誰?って思ったけどシンジがアオイちゃんに
渡したかったのかもしれないの、後で読んであげてね」
「え?私のために?」
シンジの母が不思議な事を言うとアオイがその封筒を受け取ると、どことなく嬉しそうな顔をしている。しばらくシンジの母と会話した後、伝えたい事を伝え終えた
アオイが見送られながらシンジの実家を出て行く。
昼時の帰り道、途中にある公園のベンチを見つけるとそこに座る。
公園では母親達が見守る中で子供達が楽しそうに遊具で遊び、無邪気に公園を駆け
まわっている。
アオイがシンジの母から預かった封筒の中身を取り出し見てみる。すると中には
現金一万円と手紙が入っていた。手紙は綺麗な文字で書かれていた。
『まずアオイを騙していたことについて謝罪する、君も知っての通り僕はすでに
この世には居ない、だけど君が約束を守って僕が守らない訳にはいかない、という
事でなけなしの小遣いだけど、これで美味しい物を食べてくれ、それと僕の彼女も君に感謝している、改めて言わせてくれ、本当にありがとう』
アオイが助け出された朝に魂が解放されたシンジが家に帰って用意したものなの
か、この手紙の出所が気になるが文章を読み進める内にどうでも良くなってきた。
例えこの手紙が嘘でもシンジはアオイとの約束を果たしたのだ。
「約束を果たすか…シンジ先輩らしいや…あの世でも彼女とお幸せに…」
アオイが嬉しそうな顔で封筒に入っていた一万円札を両手で広げ天に向かって
掲げ上げるとシンジとその彼女にあの世で幸せになるように静かで優し気な口調で弔いの言葉を送る。