第4話 試練
その後は餓鬼からの追跡も無く校長室へと辿り着く。
二人が校長室へ入ると扉を閉めて内鍵を掛ける。
シンジが怪我をしたアオイを校長の机の上に座らせると自分の着ていたYシャツの
右袖を破り、校長室にある鉛筆立てからハサミを取り出し包帯の様に縦に長く切る。
その切れ端をアオイの頭の怪我をした部分に巻き付け止血する。
「…ありがとうございます」
「いやいいんだ、それより落ち着いたかい?」
「はい…」
「ここなら少し落ち着ける、ちょっと体を休めるんだ」
アオイの目の下は涙の痕が残り汗でついた埃で顔が汚れている。着ていた制服も
ボタンがいくつか外れ、袖や裾が解れて所々破れかかっている。
表情は憔悴しきった顔になっていた、16歳の少女が餓鬼から突然襲われた事から
始まり、狭い閉鎖空間の中を逃げ続け、隠れて、戦って、そして死に掛けたのだ。
その疲労感は想像を絶するものであろう。
だがまだこの非現実的な閉鎖空間は終わってはいない。シンジの話通りであれば
この校長室の横にある中庭へと下りる外階段を使って慰霊碑にある抜け道に入らなければならないのだ。
すでにアオイの心には限界が来ていた。魂の抜けた様な表情でシンジに弱音を
吐く。
「あのシンジ先輩…ここで助けを待つのは駄目なんですか?」
「…残念だけどそれより早く餓鬼がここに入って来る、待つだけこちらが不利になっていくんだ」
「も、もう嫌なんです、こんなところに居るのは…何で私がこんな目に合わないといけないんですか!」
「辛い気持ちは良く分かる、そして君は何も悪く無い、だけどここまで来たんだ、
あと少しで自由になれるもうひと踏ん張りなんだ!」
「私はシンジ先輩みたいに強くないんです…」
「いや、それは違う、僕なんかよりずっと君の方が強いさ」
「だって先輩に頼ってばっかりだし、いろんな人から受けた忠告は守れてないし!」
「…僕が調べてきた今までの生存者達のほとんどが逃げ隠れていただけなんだ、
誰も戦おうとしないで嵐を過ぎ去るのを待つようにね、やがてもう一人の生存者が
餓鬼に食われて生き残る」
「普通の人ならそうしますよ…」
「だが君は違う、全員が生き残れる方法を模索していた!僕の話を聞いても諦めず
に餓鬼に立ち向かって全員助けようと動いている」
「でも私は…」
「君ならこの清明高校の行方不明者が出る事件を終わらせる事が出来る、それは
戦う事、抗う事で達成できる、待っていても何も解決はしない、君だけが僕の
希望なんだ…だから頼む、諦めないでくれ!」
シンジが膝を付きアオイに諦めない様に首を垂れる。
体を震わせながら涙を流すシンジを見てアオイが強い決意と意志を感じ取る。
シンジもアオイと同じく全員を助けたいのだ、それは本来、力の持つ者しか許されない行為なのだが力の無い者なりの意地なのかもしれない。
こんな時にまで他者を思いやり手助けをしてくれたシンジが頭を下げて懇願している。それを見ていると今まで弱音を吐いていた自分が情けなく感じる。
シンジが居なければこの校長室にだって辿り着けなかった、希望も持てなかった。
自分の事ばかりではなく助けてくれたシンジの為にもこの理不尽な事象を終わらせたい、そんな気持ちがアオイの心の中で強く芽生えて来る。
校長の机から降りると膝を付くシンジの側で屈む。
「顔を上げて下さい先輩…ここまで来たんです、最後まで付き合いますよ!」
「やってくれるか!」
「その代わりここを無事に出れたら何か美味しい物奢って下さいよ!」
「…ああ、約束は守るさ」
アオイに余裕が戻ったのかシンジに笑顔で奢りの約束を取り付けるとシンジが口元を緩ませ微笑するとそれを了承する。二人のやり取りには短い間だが死線を潜り抜
けて来た相棒と言っても差し支えない雰囲気があった。
すると校長室の扉を強く叩く音が鳴る。
餓鬼がアオイから受けた一撃から回復した様だ、扉が今にも破壊されかねない
衝撃音が部屋に響く。
ドンドンドンドン!!…
「もう来たか…アオイいいか!慰霊碑の抜け道に入ったらこの世でもあの世でも
ない狭間入る、迷わずにただひたすらに真っすぐに進むんだ」
「シンジ先輩はどうするんですか!」
「僕は…ここで餓鬼の足止めをする、安心してくれ後で必ず追い付くさ!」
そう言うとシンジがアオイの座っていた校長の机を扉まで押して移動させると、
机を手で抑え扉から餓鬼が侵入出来ない様にする。
「絶対…絶対に来てくださいよ!」
「アオイ…後は頼む…」
アオイが泣きそうな顔でシンジにそう言い残すと校長室の横にある外階段のガラ
ス扉を開けて外へ出る。
その正面には中庭が見え大きい慰霊碑が見える。その中庭は二階程ある高い壁に
周りを囲まれていて外側からは隔離された空間になっていた。
外階段を下りると弱々しい足取りで慰霊碑の裏側に周ると、石で出来た板が外され
人が一人通れる地下へと続く階段が見える。階段の下は暗闇で見通せない。
アオイがスマートフォンを取り出しLEDライトを点灯させると、その明かりを頼
りに抜け道がある地下へ続く階段をゆっくりと下りて行く。
階段を下りると湿っぽい空気が広がり、周りは苔が付いた石垣が綺麗に組まれて
いて道が正面に真っ直ぐ続いている。高さも幅もちょうど大人一人分だ、大名が
使っていた脱出路なのも頷ける構造だ。
スマートフォンのLEDライトを正面に照らすと道の先が見通せない、相当に長い事
が分かる。
アオイがその道を一歩踏み出すと突然、空気感が変わる、まるで息の出来る水中に
入った全身がふわりと浮く様な不思議な感覚だ。
その感覚に戸惑うが今は前に進むしか無い、勇気を振り絞ってその道を歩き出す。
変わり映えのしない石垣の地下通路を歩き続けているとアオイの後ろから囁くよ
うな声が聞こえてくる。
『お、お腹減ったよ…食い物…』
『ごめんねぼうや…お侍様が戦ってるんだ、もうしばらくの辛抱だよ…』
『…』
『ぼ、ぼうや…ご、ごめん…よ、ムシャムシャ…』
『…く、くい…もの…』
この山城であった籠城で飢えた人々の声が聞こえて来る。
それも一人や二人ではない、男と女、子供に以外にも言葉使いが時代がかった
武士のような声も聞こえてくる。
『まるで地獄絵図だ…最早これまで我が命と引き換えに領民の助命を頼んでくる』
『分かりました助命の件受け入れましょう!』
『…良いか、城から出た所を女子供全てを打ち取るのじゃ』
『や、約束を違えたな!…末代まで呪ってやるぞ!!』
どうやらこの山城の城主の男の声だ。降伏したのにも関わらず領民含めて敵に打
ち取られた様だ。まるでアオイにこの城であった悲劇を伝えたいかのように声が
聞こえてくるが、やがてその声が聞こえなくなる。
声が聞こえなくなって無音に戻ると石垣の地下通路を歩き続ける。
すると突然誰かから肩を掴まれる。
「ひっ!だ、誰…」
もしかしたら餓鬼なのかもしれないと驚き、焦った表情で振り返ろうとするが
シンジの忠告を思い出す。それに冷静になると餓鬼から発する異臭もなければ掴む
力は感じるが引き止める力が全く無い。力の弱いアオイが普通に歩けるのだ。
これもシンジの言っていた妨害の一種だろうと判断すると振り返らずに掴まれた
まま真っ直ぐに進む、体を掴む手が腕や足、腰に腹と増えていくがアオイを止め
る力は無い、感触は気味が悪いが気を強く持って歩みを進める。
「っち…」
男の舌打ちする音が聞こえると掴んでいた手の感触が体中から消えて行く。
もし振り返っていたらどうなったのだろうかと考えるとアオイの背筋に悪寒が
走る。
地下通路を進むと十字路に辿り着く、正面の道の奥は暗いのだが左と右の通路の奥からは外からの光が漏れている。その光は人を暖かく迎えるように心地良い光を放っていた。どちらもちょうど一人が通れる程の道幅だ。
「光ってる…外に通じてるのかな…だけどシンジ先輩は真っ直ぐに進めって言ってたっけ…」
アオイが立ち止まり悩んでいるとシンジの言葉を忠実に守って左右の分かれ道は通らずに正面の暗い道を選択して直進を続ける。アオイがその十字路を通り過ぎると
左右から漏れていた光が一瞬にして禍々しい暗闇に包まれて行く。
しばらく進むと今度は正面に道が無く石垣の壁となっていた。
そしてそれを避けるかの様に左右に続く道がある。これでは直進が出来ないので
アオイが立ち止まり困り果てる。
「直進する道が無い…これは道を曲がるしかないのかな…」
アオイが立ち止まって悩みながら正面にある石垣の壁に触れると簡単に崩れ去る。崩れ去った跡の先には道が続いていた。もし見ただけで諦めていたらこの道は発見出来なかっただろう。
簡単に壁が崩れた事に驚くアオイだが、愚直にシンジの言い付けを守り真っ直ぐに
歩みを進めて行く。
道を直進すると正面から温い風が吹いて来る。
今度は左右に壁が無くなりスマートフォンのLEDライトで足元を照らすと直線で
続く吊り橋の様な一本道と左右は吹き抜けになってるのが見えてくる。
地下通路とは思えない広さだ。
一本道の吹き抜けの下を覗き込むと暗闇で底が見えない、そして暗闇からは人の
呻き声が聞こえて来る。
『うう…こっちだ…ひもじいよお…』
『おお…寂しいよ…苦しいよお…おお…』
「お、落ちたら…駄目…下は見ないで前だけを見て…ゆっくり進む…」
アオイが頬を叩き気合を入れると呻き声がする狭い足場をゆっくりと慎重に直進
して行く。突然アオイの髪が横へ流される、右から強い横風が吹き付けてくる。
怪我をした弱った体に容赦なく風が吹き付け押されそうになるが、一歩一歩足に
力を込め踏みしめて進む。
長い吊り橋の様な一本道を渡り終えると奥には石垣で造られた小さい小部屋が見
えて来る。その部屋の中央壁際に小祠が鎮座していた。その左手には
出口であろう観音開きの木製の扉がある。
「あ、あれだ、シンジ先輩が言っていた小祠だ」
アオイがスマートフォンのLEDライトを照らしながら急ぎ足で小祠に向かうと、
その手前にうつ伏せになった学校の制服を着た白骨化した遺体が見えて来る。
その遺体を見てアオイが立ち止まると変わった様子に気付く。
「ゆ、行方不明になったウチの生徒かな…ん?左腕の手の先に手帳が落ちてる」
白骨化した遺体は学校のブレザーの制服を着ていた。恐らく清明高校の行方不明
になった生徒の一人の者だろう。白骨化した左手の先にその生徒の物だろうか生徒手帳が落ちていた。
アオイがその手帳を拾い上げると何気なくページをめくってみる。
『彼女が行方不明になって1年、ようやく手掛かりを見つけた、犯人は転校していったAの奴で間違いはない、あいつが彼女に付き合う様に強く迫っていたのは分かっている、そして付き合えないと分かると7月13日に彼女を閉鎖空間に引き込んだんだ』
落ちていた生徒手帳には白骨化した生徒の手記が記載されていた。
7月13日という同じ境遇のアオイがその内容に強く惹かれるとさらにページを
めくっていく。
『手掛かりとなったのは一通のメールをくれたBという女性だ、この女性も一人の男子と付き合った事で恨まれて友人女性に騙されて閉鎖空間へ引き込まれたのだ、
その人が言うには一度でも閉鎖空間で餓鬼に襲われたら二度とは帰ってこれない
という、だが諦めきれない、もしかしたら彼女は生きているかもしれない』
アオイが夢中になって読み耽ると次のページをめくる。
『ようやくBの言っていた閉鎖空間に入れた、今年も生徒の誰かが誰かを殺そう
と企んでいるのだろう、愚かな事だ、餓鬼より生きている人間の方が欲深いなん
て滑稽な話だ、そんな事より彼女が生きているか確認しなくては…』
その後の文字の続きが無く血の痕で黒く滲み汚れていた。アオイが次のページを
めくっていく。すると文章に難しい漢字が無くなり、簡単な漢字とひらがなの文章になる、その字体も崩れていてなんとか読める状態だ。
『くやしい、すでにカノジョはガキになっていて言ばもつうじない、すでに他の
一人はカノジョによってくわれている、ならばせめてこのふじょうりなせかい
を終わらせてやりたい、カノジョのためにもこれからの人のためにも、だけど
じかんがのこされていない、右うでをもがれてしまった、出けつもひどい』
右腕を餓鬼にもがれた事によって左手で文字が書かれていた。その事にアオイが気付くとさらにページをめくっていく。
『ここまで来てようやくことのほったんが分かった、小しのれいをしずめるより
代である仏ぞうがない、このせいでうえたガキがあらわれ、生とをおそっていた
んだ、もしこれをよむ人がいたなら代わりに仏ぞうをまつってほしい、それで全て
が終わる…』
生徒手帳にはその文章を最後に手記が終わっていた。
その後のページをめくっても白紙が続いていた。最後までページをめくると学生証
カードが挟まれていた。それをアオイがじっくりと見る。
『県立清明高等学校 二学年 シンジ』
「こ、これって!シンジ先輩…間違いない顔写真も同じだ」
アオイの頭の中が混乱する、さきほどまで校長室にいたシンジと白骨化した遺体が
持っていた学生証カードの名前と顔が一致していたからだ。
今思い返すとシンジの居た部室は用務員が見回っていて人が居ない事を確認している。それなのにオカルト研究部の部室の中から出てきたのだ。
その後も初めてシンジと出会い、餓鬼が部室に入った時もずっと部屋にシンジが
残ってたにも関わらず餓鬼は夢中になってアオイを探していた。
その後も近くのシンジではなくアオイだけに執着して教室まで追って来た。
あの欲深い餓鬼が目の前にいるシンジを無視するのがおかしいのだ。
アオイがこれらの理由を整理するとある一つの答えが出て来る。
決して認めたくは無いが目の前の白骨遺体に生徒手帳の手記の内容。
そして生きている人間しか通れない抜け道を知っている事。
すでにシンジは1年前に閉鎖空間で亡くなっていたのだ。
餓鬼になっていない事から腕をもがれた時の怪我が原因で亡くなったのだろう。
白骨化した遺体にも右腕が無く右袖が破られていた制服を着ていた。
だからこそ生きているアオイに、全員を助けたいと思うその心に全てを託した。
それに気付いたアオイが眉間に皺を寄せ悲しい表情になって行く。
「何が約束を守るよ…嘘つき…」
アオイが大粒の涙をシンジの生徒手帳に落とす。
だが感傷に浸っている暇は無いシンジが抑えている校長室の扉がいつ破られて餓鬼
が襲って来るか分からない。すぐに涙を袖で拭うとシンジの生徒手帳をポケットに
しまい、背負い鞄から預かった小さい仏像を取り出す。
それを両手でしっかり握ると小祠の前で屈む。小扉を開けると小さい台座があり
何かが載っていた跡がある。恐らくそこが仏像が安置されていた場所だろう。
「これでこの悪夢みたいな事が全部終わる…」
アオイが仏像をゆっくりと台座に置こうとした瞬間、首を絞められる様な強い力
を感じる。