第1話 発端
日本のとある政令指定都市の郊外に自然豊かな山と森に囲まれた学校があった。
その学校はその昔戦国の大名が居城としていた山城の跡地に建てられていた。
なぜそんな所に学校が建てられたのか、話は日本が戦時中だった頃まで遡る。
1945年の戦争末期、空襲を受けた事によって本丸にあった立派な天守閣が焼失し
てしまい、その後は戦後の混乱もあって放置されたまま荒れ放題となっていた。
だがその広い山城の土地をそのままにしておくのは勿体無いという事で元城主の
子孫や家臣の子孫達が地域の発展のためにと自治体に山城の土地を譲ったという
経緯があって、ならば若者のためにと学校が建てられた。
学校の名は県立清明高等学校、共学で扱う学科は普通科のみで県立では珍しく
スポーツ強豪高校として有名であった。
その校舎は第一棟、第二棟、第三棟と建物が三つに別れていた。
第一棟は教室、第二棟は職員室、第三棟は部室として使用され、中でも第一棟が
一番大きく四階建てとなっていて、山城の本丸跡地に建てられただけあってその
姿は現代の天守閣と言っても申し分ない。
第二棟は教職員の使用する職員室がある建物だが第一棟に比べて小さく二階建で
あり二の丸跡地に建てられた御殿の様な適度な広さで、教員が教室へと移動しや
すい様に各階には第一棟と繋がる渡り廊下が接続されていた。
第三棟は三の丸跡地に最近建てられた三階建ての校舎である。
清明高校では部活動にも力を入れていて全国大会へ出場する事もあってか保護者
達や後援会、市民から寄付された費用で平屋の部室から鉄筋コンクリート造り
部活動専用の校舎が建設された。
後で建てられた事や山城という複雑な地形の影響もあり二階にしか渡り廊下が
無く、しかも第一棟としか繋がっていない。だが第一棟から離れていた事もあり
部活動に集中出来る事で部員の生徒達からは評判が良い。
そんな部活動にも人気、不人気があり結果が出せない部には当然、学校側から廃部のお達しが来て空き部屋も出て来る。
その一つである囲碁部、漫画などの影響で一時的流行っていたのだが流行りもの
廃りものと言う言葉通り年々と人気は減少し廃部となった。そして空き部屋となった部室を部に所属をしていない生徒達が利用する事もあった。
清明高校の1年生のソラとアオイもその生徒達の一員である。
紺色のブレザーの制服にブラウス、首元に飾りの赤い小さいリボン、ゆるキャラのキーホルダーを沢山付けた背負い鞄、人生で一番輝く青春の日々を過ごす普通の
女子高生だ。
その二人が使われていない第三棟の三階にある廃部となった囲碁部の部室で学校にまつわる噂話で盛り上がっていた。
「ねえー知ってる?毎年この学校から生徒が行方不明になるって噂!」
「何それ?ちょっと怖いんだけど」
「学校の場所ってさ、お城の跡じゃない?昔敵に攻められて逃げ込んだ農民達がここで沢山餓死したんだって、その人達の霊がある日にだけ学校内に出て来ては生徒を攫って行くって話なんだけどさ」
「学校の授業でも習ったけど、それってずっと昔の話なんでしょ?」
「そうなんだけど、当時の詳細を記した書物もあって私、調べてみたんだけどさ
中には仕方なく餓死した人間を食べて飢えを凌いだんだって怖いよねー!」
「うー…そんな話聞きたくない」
歴史上の戦いで籠城をする相手に兵糧攻めをするのは良くある戦術だ。
学校のある山城でもその戦いが過去に起きていて清明高校では歴史の授業で必ず
習う内容だ。
第二棟からしか行けない中庭には今もその戦いで戦死、餓死した者達の魂を供養するために造られた慰霊碑が静かに佇んでいた。
紅茶の入ったカップを片手に楽しそうに噂話をするソラとは対照的に、お菓子のポッキーを小動物の様についばむアオイが俯きながら暗い顔で聞いている。
囲碁部の部室という事もあり畳の小上がり和室が設置され茶を入れる電気ポット
や珈琲、紅茶などが用意されていた。溜まり場にはうってつけの環境が整っていた。
それを利用して紅茶のティーバッグを入れたカップにお湯を注ぎ、事前に外で買い込んだお菓子を持ち込み、畳の上に広げて二人が我が家の部屋の様にくつろいでいた。
そして怪談が好きなソラが話を続ける。
「その噂が起こる日にちが決まって7月13日なんだってさ!」
「ちょっと、それ今日じゃない…」
「今日、先生達がやたらとさ18時前には下校しなさいって言ってたでしょ、もしか
したら本当にあるかもしれないと思った訳、それでさアオイ一緒にその噂が本当か試してみない?二人なら助けも呼べるしさ、どう?」
「絶対にやだ!それなら私達も早く帰ろうよ」
「えー!だって街まで行くの怠いしさお金も無いし、ここでアオイを脅かす方が
楽しいし!にししし!」
「もう最悪…」
山城の城郭に建てられた学校と言う性質上、どうしても駅や繁華街からは離れて
いて昔あった城下町はすでに廃れていて民家は近くに無いので生徒達は全員自転車かバスで通学をしていた。
繁華街まではバスで20分掛かる、ソラとアオイは毎月の小遣いも少なく街中で
過ごすよりも茶菓子を買い込み放課後をこの部室で過ごす事が日常となっていた。
生徒の自主性を重んじる学校の方針で勝手に部室を使っても先生達からの注意を
受けないので尚更居心地が良かった。
アオイが心配そうに腕時計を見つめると17時30分を示していた。
すると突然スマートフォンのラインの通知音が鳴る。
『ライン!』
「あ、ケイちゃんからだ、ちょっと待ってソラ」
「お?早速愛しの彼からの愛のメッセージかな?」
「そんなんじゃないってば」
「冗談だって、何て言ってるのケイスケの奴?」
「えっと…もうすぐ18時になるから早く帰れよ、だって」
「彼女に送る言葉じゃないでしょ…ケイスケの奴は女心というものを分かってな
いね!」
ソラがケイスケの連絡に駄目だしをすると紅茶を一口飲む、その横でアオイが
スマートフォンを両手を使って慣れた素早い操作でラインの返事を打ち込んで
いる。その様子をソラがじっと眺めている。
彼氏のケイスケの返事を終えるとアオイが不安そうな顔になる。
先生達と彼氏のケイスケから18時前には帰る様に言われ、18時を過ぎるとどうなる
のか不安で堪らなくなったからだ。
「ねえそろそろ帰ろうよ」
「そんな事よりさ、ケイスケとはうまくやってるの?」
「ケ、ケイちゃんの話はまた今度するからさ」
「でどこまでいったの!ねえ!」
ソラが興奮気味に頬を赤く染めてアオイの彼氏ケイスケの事を執拗に問い詰めていた。同学年の男子の中では容姿も良く、性格も温厚でスポーツ万能であると評判の
ケイスケから告白をされたアオイがそれを受けたのだ。
何でもケイスケが通学で利用していた電車の中で、アオイが老人に席を譲った所
を見ていて一目惚れをしたというのだ。
10代ともなると観衆の目があって電車で席を譲るのが恥ずかしく感じ中々出来な
いものだが、普段は大人しいアオイが堂々とした態度と笑顔で譲ったものだから、
そのギャップにケイスケの心が射抜かれた。
という事もあって最近付き合い始めたばかりなのでそれほど恋人としての仲は進展
していないのだが、ケイスケとも顔見知りのソラにとっては興味があるのだろう。
そんな話をしていると囲碁部の部室の扉が急に開く。
扉の前には白髪頭で小太りの上下ジャージ姿の用務員の年配の男が立って居た。
早朝の通学時間帯には、恵比寿様の様な笑顔で校庭にある花壇の面倒や駐輪場を
掃除している所を良く見かけていたので二人は慌てずに目線を用務員に向ける。
だが用務員の今の表情には恵比寿様とは程遠い厳しい顔をしていた。
「明かりが点いてるからおかしいと思ったんだ!今日だけは早く帰りなさい!」
「はーい、もう少ししたら帰ります」
「すいません、すぐに帰りますから」
「先生も他の生徒達も全員帰ってるから学校に残ってるのは君達二人だけだぞ、
もうすぐ18時になる、門も閉めるから急いで帰りなさい、いいね!」
ソラが気だるそうに返事をすると、アオイは申し訳なさそうに頭を下げる。
そう言うと用務員が自分の腕時計を見て囲碁部の部室の扉を閉めて廊下へと出て
行くと、その後も三階の他の部室の扉を叩きながら誰も居ない事を確認すると
階段を降りて行った。
その足取りは早足でかなり急いでいる様子であった。
用務員が階段を降りて行った足音が聞こえるとソラがやっと行ったかと言う感じで
大きく息をつき、腕時計を見ると思ったより時間が過ぎていた事に気付く。
「何か話をしてたら思ったよりも時間経ってたね」
「ソラが話を止めないからだよ、もう…」
「だってこの噂が本当かどうか知りたかったんだもん、仕方ないじゃん」
「これ以上は用務員さんに怒られるから帰ろうよ」
『ピューイ♪』
「ちょっと待って、お母さんから連絡が来た」
ソラのスマートフォンからラインの通知音が鳴るとスマホを取り出し操作を始める。するとアオイが紅茶を飲み過ぎたのか急に尿意を感じ始める。
帰り道にはトイレは無いので事前に済まそうと席を立ち上がりソラに声を掛ける。
「ちょっとお手洗い行って来るね」
「おっけー!早く戻って来てね、何か急に帰りたくなったし」
「まったく…」
ソラがスマートフォンに集中してラインの返事の操作を器用に片手で行うと、空
いた手で囲碁部の部室を出ようとするアオイに手を振る。
いい加減な態度のソラを見てアオイが溜め息をつく、囲碁部の部室の扉を開けて
廊下に出ると階段とは反対側の突き当りにある薄暗いトイレへと向かう。
用を済ませトイレの洗面台で手を洗い、備え付けの鏡を見ながら身だしなみを
確認していると窓の外から車の走る音が聞こえて来る。第三棟の三階のトイレの
窓からは学校の正門が良く見渡せた。
「あれ?用務員のおじさんの車かな…」
アオイが窓から外の正門を見ると用務員が正門の外に車を停めて、正門の門を閉
め始めていた。慌てて自分の時計を見ると17時45分を指していた。
用務員が部室を訪れてから15分しか経過していないのに、あまりにも早い用務員
の行動に焦りを感じる。
「やばい、急いで出ないと」
トイレを出ると夕暮れ時の薄暗い廊下を小走りに囲碁部の部室に向かうと、なぜ
か囲碁部の部室の明かりが消えていた。またソラのいたずらだろうとアオイが思
い部室の扉をゆっくり開けて中に入るとソラの姿が無い。
「ねえソラ、どこ行ったの?隠れてないで出て来てよ」
アオイが声を掛けるが反応は無い、畳の小上がり和室にはソラのゆるキャラが沢山付いた背負い鞄が残されたままで勝手に帰ったとは考え難かった。薄暗い部屋を
見渡そうと蛍光灯の壁のスイッチを押すが明かりが点かない、どうやら電気も止まっている様だ。
「明かりが点かない…とりあえずソラに電話してみよう」
アオイがスマートフォンを取り出すとソラに電話を掛ける。呼び出し中の音が耳
元で聞こえるが一向に出る気配がない。1分程掛け続けても出ないので諦めると
、自分の持って来た茶菓子や雑誌などを背負い鞄に詰め始める。
部室を出る準備が整うとソラの背負い鞄に目を遣る。
「明日は学校も休みだし、持って行ってあげた方がいいか」
今日は金曜日で土曜日は通常であれば授業があるのだが、学校創立記念日で休日と
なっていた、日曜日も含めると三連休となる。
アオイがソラの背負い鞄を拾い上げ、左手に持つと部室の扉を開けて廊下に出る。
囲碁部などの文化部系の部室は三階に集中しており一階から二階は運動部系の
部室が集中していた。そのため三階のフロア一帯は静かであり部員か用事のある
生徒しか訪れない場所でもあった。
その中を一人、アオイが薄暗い階段を右手に持ったスマートフォンのLEDライト
で足元を照らしながら慎重に降りて行くと、校舎内は上履きのゴムを擦る足音が
響き渡る、その音がアオイをさらに不安にさせる。
外に出る昇降口は第一棟の一階にあってそこに向かうには、第三棟と繋がる二階
にある渡り廊下を通る必要がある。
第三棟の二階まで降りると薄暗くて奥が見えない渡り廊下を通って第一棟の二階
へと向かって歩いて行く、突き当りに昇降口へ通じる階段が見えるので一階へと
降りる。
昇降口に着くと左手に持ったソラの背負い鞄を足元に置いて下駄箱から自分の
外履きを取り出し履き替え、ソラが帰宅したのか確認するためにソラの下駄箱も
開けてみるとまだ外履きが入ったままであった。
「やっぱりまだソラは学校に居るんだ」
そう思い再度スマートフォンを取り出してソラに電話を掛けると音声アナウンスが聞こえてくる。
『おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため
かかりません』
先程まで通じていた電話が急に繋がらなくなっていた。
電話を切ると急いでスマホの電波のアンテナマークを見ると横に×印が表示されていた。
「嘘でしょ?さっきまで通じてたのに」
電話が繋がらないのに困惑しているとスマホの時計の数字が目に入る、良く見る
と時間が18時10分と表示されていた。自分の腕時計を見ると17時55分を指している。
「腕時計の時間がずれてる、だから用務員さんが出て行ったんだ…」
すでに先生達が言っていた門限の18時が過ぎていた。
ソラの噂話と妙な出来事が相まって、アオイが動揺して不安になると居ても立っ
ても居られず急いで外へと出ようとするが昇降口の扉が開かない。内鍵を捻って
も開かない、叩いても押しても引いても扉がうんともすんとも言わない。
念のため昇降口にある全ての扉を開けようと試みるが結果は同じであった。
「と、閉じ込められてる…」
蒸し暑い中、額に汗をかきながら焦るアオイが校舎内に閉じ込めらると他に出口はないかと考えていると教室の窓に気付く。急いで昇降口から一番近い一階にある
三年生の教室へと小走りに向かい引き戸を開くと中に入って教室の窓を開けよう
とするがそれも開かない。
窓の外を見ると日が落ち始めていた、森に囲まれた学校なので日の明かりもすぐ
に暗くなって行く。それを諦めるかの様な表情でアオイが開かない窓から眺めて
いると昇降口から何かの音が聞こえてくる。
「もしかしてソラかな」
今校内に居るのはアオイとソラだけである。アオイの背負い鞄を昇降口の下駄箱
に置いていたのを思い出しそれを取りに来たのだろうと考える。
やっと一人では無くなる、その安心感で不安だった表情が解れると三年生の教室を出て廊下を歩き、音が聞こえる昇降口へと向かう。