落葉の箱庭
プロローグ:運命の出会い
夕暮れの城庭。舞い落ちる葉が織りなす自然の絨毯の上で、アルヴィナ姫は一人、古い詩集を読んでいた。風に乗って、どこからともなく響く歌声が漂ってきた。それは、まるで遠い記憶からの囁きのように、切なく、懐かしい調べだった。
「誰かしら…?」
振り向いた先に佇む青年の姿。粗末な衣をまとっているにもかかわらず、その佇まいには気品が漂っていた。セリルである。
「失礼いたしました、お美しいお方。私は歌で命を繋ぐ放浪の詩人。セリルと申します。」
彼は柔らかな微笑みを浮かべながら一礼した。その笑顔の奥に潜む影。それは、かつて失ったものへの深い哀しみのようにも見えた。
「その歌…もう一度聞かせてくれないかしら?」
アルヴィナの心に、小さな波紋が広がった瞬間だった。
第一章:禁じられた旋律
その日以来、セリルは毎晩のように城庭を訪れるようになった。彼は姫のために歌い、遥か彼方の物語を紡ぎ、時には自身の旅の記憶を語った。そして、少しずつ、彼の過去も明かされていった。
「私の故郷は、北の果ての小さな村でした。」
ある夜、セリルは静かに語り始めた。
「疫病が村を襲った日、私は森で薬草を探していた。戻った時には…すべてが炎に包まれていました。感染を防ぐための焼き払い。それ以来、私は歌とともに放浪の日々を送っているのです。」
その告白に、アルヴィナは思わず手を伸ばした。セリルの瞳に映る炎の記憶が、彼女の心を揺さぶった。
「あなたも、私と同じなのね。大切なものを奪われた人。」
その言葉に、セリルは初めて本当の涙を見せた。
第二章:秘密の庭で
月明かりの下、アルヴィナはセリルを案内して城の裏手にある秘密の温室へと足を運んだ。そこは彼女だけの逃避の場所。朽ちかけた硝子越しに月光が差し込み、紅葉が織りなす小さな楽園だった。
「ここが私の自由。小さいけれど、確かな逃避の場所なの。」
しかし、その告白の裏に潜む危機を、セリルは感じ取っていた。城内では既に、アルヴィナの婚約に向けた動きが水面下で進んでいた。彼は城の使用人たちの噂話から、それを察知していたのだ。
「本当の自由を知っていますか、姫君?」
セリルは静かに問いかけた。
「ここは確かに美しい。でも、この硝子の檻の向こうには、もっと広大な世界が広がっている。」
アルヴィナは黙って首を振った。
「それでも、私にはここしかないの。」
その夜、セリルの歌声は特に切なく響いた。それは、迫り来る別れを予感させるものだった。
第三章:運命の刻印
季節が深まるにつれ、城内の空気は徐々に変化していった。使用人たちの慌ただしい足音、閣僚たちの頻繁な出入り。そして、アルヴィナの婚約者となる隣国の王子の訪問が決定したという知らせ。
ある日、アルヴィナは偶然、父である王の会話を耳にしてしまう。
「温室は取り壊す。あの場所で姫が怪しげな男と会っているという噂もある。政略結婚に向けて、すべての障害を排除せねばならん。」
その夜、アルヴィナは涙ながらにセリルに告げた。
「私たちの箱庭が…もうすぐ消されてしまうの。」
クライマックス:最後の歌
運命の日は、思いのほか早く訪れた。工事人たちが温室の解体に取り掛かる前夜、アルヴィナとセリルは最後の逢瀬を温室で過ごしていた。
「セリル、私と一緒に逃げましょう!」
アルヴィナは必死に訴えた。
セリルは静かに首を振る。
「それはできません。姫君、あなたの幸せは、ここにあるのです。」
「違う!私の幸せは、あなたの歌と共にあるの!」
「だからこそ…」
セリルは震える手でギターを掲げた。
「この最後の歌を、あなたの心に刻ませてください。」
その歌声は、これまでにない深い感情に満ちていた。失った故郷への想い、旅の孤独、そして、アルヴィナへの切ない愛。すべてが一つの旋律となって、夜空に溶けていった。
エピローグ:永遠の調べ
翌日、温室は取り壊された。そこには、かつての箱庭の面影すら残されていない。しかし、アルヴィナの心には、確かな暖かさが残されていた。
手帳に挟まれたギターの弦。それは、セリルが最後に残していった想いの証。アルヴィナは、その弦に触れるたびに、彼の歌声を思い出す。
「いつか、きっと…」
彼女は空を見上げた。舞い落ちる最後の一枚の葉が、夕陽に輝きながら風に乗って消えていく。その光景は、まるでセリルの奏でた最後の音符のようだった。
「私たちの歌は、永遠に響き続けるわ。」
アルヴィナの囁きは、秋の風に溶けていった。しかし、その瞳には、もはや迷いはなかった。彼女は、自分なりの自由を見つけ出していた。それは、心の中で永遠に奏でられ続ける、愛の旋律という名の自由だった。