お義姉さまはペンギン令嬢
「すまない、アデリー。きみを愛することはできない」
賓客室に入るなり、騎士団を任されている団長のケイン様は、お義姉さまに深く頭を下げました。
ケイン様は短く切り揃えられた黒い髪に、鋭いトパーズの瞳を持たれた美丈夫です。
本来、ケイン様の家格でしたら、お義姉さまに頭を下げずとも、一方的に婚約破棄を我が家に突きつけるだけでいいのに、こうして足を運んでくださったのは、この方が見た目だけ通りの生真面目な性格をしているからでしょう。
私はお義姉さまの付き添いでなんどか、ケイン様の職場にお食事の差し入れを持っていったことがあります。
軽薄そうな副団長の方が、私を見るなり、持っていたバスケットからマフィンを取り出そうとしたところ、素早く、彼の頭を叩きました。
『団長〜! 痛いですよ‼︎』
『馬鹿もの! まずはご令嬢たちに礼をいうことが先だろうが‼︎』
『あっ、すいません。お嬢さん方、いつもありがとうございます。いただきます』
『……っ、おい。すまない、アデリーを驚かせたんじゃないか?』
『もぉ。団長は乱暴ものなんだから』
『元はといえばお前が……』
ケイン様は私たちの前で、副団長の方を叩いたことに気づき、慌てて謝ってくださいました。
彼の実直さに、私はこんな素敵な方がお義姉さまの婚約者なのかと、うらやましく思ったものです。
「一度はきみを愛そうとは思った。でも、私にはどうしても荷が重すぎたんだ」
社交界で花と謳われる令嬢たちから誘われても全て、自分には婚約者がいるからと断っていたケイン様です。
彼の綺麗なお顔の眉間には皺がより、お義姉さまにこの事実を告げることが、どれほど、彼を悩ませてきたのかが分かります。
ケイン様のお顔に緊張のせいなのか、汗が伝いました。お義姉さまの隣にいた私はケイン様にハンカチをお渡しします。
「ありがとう。マゼラ嬢」
「いえ」
堅物な騎士であるケイン様は改めて、お義姉様に婚約を破棄して欲しいと頭を下げました。
しかし、お義姉様にはケイン様のお言葉が通じているかは分かりません。
だって、お義姉様はペンギンなのですから。
まず、ケイン様と種族の壁があります。今まで、この婚約を誰もおかしいとは思わず、継続していたことこそ、だれかに化かされている気持ちにもなるでしょう。
私の国では貴族は皆、魔法持ちですが、お義姉さまが幼少期に黒魔法をかけられペンギンにされたり、妖精に取り換えられたなんて話もありません。
どうして、私のお義姉さまがペンギンなのか。
それは私たちのお父さまが幼少のころ、珍しいお土産だと貰ったペンギンを愛してしまったことに理由があります。
*
お父さまをみつめてくる愛らしい黒曜石のような瞳に、可愛らしい手足。ふっくらとした柔らかいお腹を撫でたら、いやなことも忘れられると、お父さまはペンギンを心から慕っていました。
幼少期から社交界での人脈を作る為、国が運営をする学園に通う貴族は多いですが、平民も通うことが出来る学園では皆、平等であるという理念のもと、運営されています。
両親が学園の生徒だった頃も、お父さまは社交より、ペンギンを愛でる日々を送っていたようです。
お母さまはそんな未来の夫は放っておき、学業優先で日々、過ごしていた為、校内でペンギンを連れ歩いているおかしな青年がいるとの噂を聞いても、まさか、お父さまのことだとは思いもしませんでした。
今では学園内での婚約の破棄が禁止となりましたが、お母さまの時代は真実の愛のもと、婚約者よりも下級貴族の令嬢を愛してしまった高位貴族の子息たちが揃って、婚約者のご令嬢に婚約破棄を突きつけるといった事件が賑わいをみせていました。
お母さまもまさか、自分がそんな令嬢のひとりになるとは考えもしませんでした。
卒業を祝うパーティー会場で、お母さまにさえ贈られたことのない有名店の華やかなドレスを着たペンギンが、お父さまに抱き抱えながらも、友人たちと談笑をしていたお母さまの前に姿を現しました。
『シルヴィア、俺がお前を愛すことはない! 俺が愛しているのはこの子だからだ‼︎』
『……私との婚約を破棄したいということですか?』
『そうだ。今日を以て、お前との婚約を破棄する!』
お母さまに婚約破棄を突きつけるお父さま。
今まで数多くの婚約破棄が行われてきましたが、真実の愛のお相手がペンギンだったのは、お父さまだけでは?
お母さまも婚約者を奪われるなら、自身がより高貴な地位に就きたいからと策略を練り、相手から奪う。そんな根性のあるご令嬢の方が、人間であるだけマシだと思ったとのことです。
お母さまは素直にこの婚約破棄を受け入れようとしましたが、お祖父さまがお父さまの奇行を許しませんでした。
お父さまがお母さまに、婚約破棄を突きつけた当日。お祖父さまがお母さまの家に行き、『どうかあの馬鹿息子をあなたの手で矯正してくれないだろうか!』と土下座をした事件は今なお、社交界で語られている我が家の黒歴史となっています。
過去、この国でも領地争いの為、数多くの血が流れましたが、ひとりの騎士として国に多大な貢献をしてきたお祖父さまに頭を下げられてしまったことで、お母さまは仕方がなく、お父さまと結婚をしたそうです。
その後、お父さまの名前は『ペンギン伯爵』で社交界で知られることになり、ペンギンと結婚することが出来ないのならせめてもと、ペンギンを自分の愛娘とすることにしました。
お父さまが真実の愛を誓ったペンギンの雛です。いつのまに、お父さま以外のお相手が出来ていたのかは、お父さまのお顔が恐ろしくて聞けませんでしたが。
不思議なことに、伯爵家の長女はアデリーだと国へ出す正式な書類にも記されています。
これにはお父さまが陛下とのチェスに勝った、ご学友であった陛下の弱みを握っているなどの噂がありますが、ペンギン愛好者であること以外は、どうやらお父さまは策士なようです。
書類上は実の姉妹にも関わらず、どうして私が『お姉さま』ではなく『お義姉さま』と呼んでいるのか、それはお母さまが『私はペンギンの子を持ったことは、一度もございません!』と婚約破棄をされた恨みもあるのか、お義姉さまを自分の子だと認めていないからです。
そんなお義姉さまがまだ雛だったときに、ケイン様との婚約は結ばれたらしいのですが、どうやって、お父さまが婚約を結べたのかは、今でも紳士たちのお酒の語り草となっていると聞きます。
*
「アデリーと会っていたときには、マゼラ嬢も一緒にいただろう? 私は長い間、自分の婚約者を勘違いしていたんだ」
ケイン様はまさか、自分の婚約者がペンギンだったとは思いもしなかったと口にされました。
ケイン様とお義姉さまがお会いするとき、お邪魔虫だと分かっていながらも私も一緒にいたのは、お義姉さまのお言葉を通訳するためです。ケイン様が私を婚約者だと思っていたことに驚きました。
お義姉さまが嘴を開かれたことで、私は耳を傾けます。
「ケイン様。お義姉さまは『婚約破棄も仕方がないわ』と仰っていますわ」
「きみはアデリーのいう言葉が分かるのか⁉︎」
「はい。お義姉様とは、本当の姉妹のように育ちましたから」
そう言って私がお義姉さまをみると、『ボォワー』と鳴いてくれました。
お義姉さまが人間でしたら、淑女として社交界で話題の令嬢となっていたでしょう。私はたまにお義姉さまが人間なら、どれほど素晴らしい令嬢だったのかを想像するのですが、心優しいお義姉さまはケイン様ともお似合いだったと思うのです。
「すまない。アデリー」
ケイン様のお言葉に『気にしないで』というように、お義姉さまは鳴きます。
『マゼラ。あなた、お父様にはどう伝えるの?』
お義姉さまの言葉に、私は頭が痛くなってきました。
私にはお義姉さまの言葉が分かりますが、ケイン様にはただの鳴き声にしか聞こえていないようで、きょとんとしたお顔になっています。
あのお父さまが、お義姉さまがペンギンだからなんて理由だけで、ケイン様との婚約破棄を認めるわけがありません。
お父さまは自分が果たせなかった願望を、お義姉さまに夢みているのですから。
「あれはどうかしら」
「マゼラ嬢。あれとは」
「ケイン様は、世の中には姉が持っている物をなんでも欲しがる妹がいることをご存知ですか? 私がお義姉さまのものを欲しがっていけば、ケイン様との婚約を話すきっかけになると思うんです」
お父さまはお義姉さまに比べ、私のことなど、どうでもいいとのお考えですが、最終的にお義姉さまの婚約者が欲しいと私が言い出せば、この婚約について考えるきっかけになるかもしれません。
「しかし、マゼラ嬢。あなたに迷惑をかけるわけには」
「元を正せば、我が家の問題ですから。お義姉さまも協力してくださるわよね?」
もちろんよ、羽をこちらに向けたお義姉さまと私は軽く手をあわせます。
お義姉さまが私の味方なら、怖いものなどありません。
「マゼラ嬢は大丈夫なのか?」
心配そうなケイン様を安心するように、私は頷きます。
「大丈夫ですわ、ケイン様! 私が無事、お義姉様との婚約破棄を果たしてみせます‼︎」
*
私たちの間で密かな約束が交わされたあと、私は〈お義姉さまの持っている物をなんでも欲しがる妹〉へと、変貌しました。
手始めにお義姉さまのお食事の生魚のお食事は私のもの! と早速、お義姉さまご飯を奪いましたが、生のお魚って、どのようにして頂けばいいのでしょうか。
さすがにお義姉さまのように、お口を開けて一気飲みなんて真似は淑女として出来ませんし、お腹も壊しそうです。
東洋では生のまま、お魚をサシミとしてショーユなる調味料と一緒に頂くそうですが、私にはいくらお義姉さまのために選ばれた新鮮なお魚だからといって、生のまま食べる勇気が持てませんでした。
「お嬢さま。炙ればいいんじゃないでしょうか?」
「それはいいわね!」
シチリンなる東洋の燃焼器具に魚を入れると、私は火魔法をシチリン目掛けて撃ちます。
「……あら?」
なぜか、お魚が真っ黒になってしまいましたが、これは食べられるのでしょうか。毒味係のメイドが口にしましたが、『お嬢さま。これは炭です』と無表情のまま、首を横に振りました。
それでも食べ物は無駄にしてはいけないと、私も食べようとしたのですがメイドたちに止められ、食べることが出来ませんでした。
お義姉さまに食べて貰った方が、お魚も幸せだったかもしれません。
*
お義姉さまが太らないようにと、お部屋の天井に吊るされているカラフルな輪っかが私も欲しいですわ! とお義姉さまのお部屋から、私は輪っかを奪いとっていきました。
「お嬢さま。これ、どうするんですか?」
お義姉さまから奪ったものの、こんなガラクタをどうするのかと、侍女ですら私を怪訝な目でみてきます。下手をすれば、またお義姉さまのお部屋に輪っかを戻されそうです。
お魚真っ黒事件の二の舞には出来ません。
「え、えっと。知らないんですの? こうして、お腹周りでこの輪っかを回したら、いつかはくびれが出来ますのよ?」
「……そうですか」
苦し紛れの言い訳でしたが、ある日、普段は冷静な侍女が駆けこんできました。
「お嬢さま! この輪っかはすごいです‼︎ お腹周りのサイズが減りました‼︎」
「えっ? あっ、そうなの⁇」
その後、軽量化の運動として、令嬢たちの間でも輪っかを持つことがステータスになるなんて、夢にも思わなかったです。
*
「マゼラ。お前は一体、なにがしたいんだ?」
お義姉さまの物をなんでも欲しがっていたからでしょう。私はようやく、お父さまに呼び出されました。
天が私に味方をしてくださったのか。お義姉さまに会いにいらしていたケイン様と一緒に、私はお父さまの元に向かいます。
「もちろん! お義姉さまの婚約者であるケイン様が欲しいんですわ!」
私の言葉にケイン様は呆気にとられたような表情を浮かべ、お父さまにはため息をつかれました。
「だったら、わたしはお前を勘当するしかない。姉の物を欲しがる妹など、我が家の教育がどうなっているのかと笑いものになるからな」
「それは……」
ケイン様がなにかを言いかけたとき、扉を蹴破って、お母さまとお義姉さまが姿を表します。
「ボエー‼︎」
「お、お義姉さま⁇」
「? アデリー、シルヴィア。どうして、此処に?」
「アデリーに大切な義妹が家から追い出されそうだからと言われてきたのです」
お父さまはお母さまの厳しいお顔をみて、居心地が悪そうに目をそらします。
「だって、マゼラは可愛いアデリーの婚約者が欲しいと言ったんだぞ?」
お父さまは私のわがままがすぎるとおっしゃいました。お母さまは疲れたような顔をして、お父さまに告げます。
「お黙り‼︎ そもそも、人間とペンギンが結婚出来るなんて、本気で思っていたのですか? ケイン様のお家にも失礼です‼︎」
「だが、陛下は認めてくれたぞ?」
「以前、あなたと陛下のお話が終わったあと。陛下は私とお妃さまで絞めておきました。そのあと、私たちはケイン様のお家に謝罪をしに行き、お好きなお相手が見つかるまで、アデリーとの婚約は仮の婚約として貰ったのです。まさか、陛下の命とはいえ、鳥との婚約を結ばされそうになっていたとは、さすがのケイン様のご家族も思っていないようでしたが」
「勝手なことを!」
「勝手はどちらですか! アデリーには同じペンギンの恋人がいるんですのよ? お腹には、彼との雛もいます」
私もお母さまの告白にびっくりして、お義姉さまをみれば、サプライズが成功したような表情を見せました。
「……そ、そんな。わたしの可愛いアデリーが」
「娘の幸せを願わないで、なにが親ですか‼︎ あなたがしていることは、ただの自己満足ですわ!」
ようやく言うことが出来たと満足そうなお母さまは、私たちを執務室から追い出すと、ご自分はお父さまのお部屋に残りました。
これから、お父さまはお母さまのお説教を、何時間も聞くことになるでしょう。
私はそっと、お義姉さまのお腹を触ります。
「ここに赤ちゃんがいるの?」
お義姉さまは私の問いかけに鳴いて教えてくれます。
お父さまのペンギン愛は、一方通行な想いだと常々、思っていたお母さまはおじいさまと協力をして、密かにお義姉さまたちの一族が快適である島を買いとっていたようです。
夏場の暑さは、お義姉さまには危険です。避暑の為、お義姉さまはよく島へ旅立っていましたが、その島で過ごしているうちに運命のお相手と出会ったとのことでした。
ケイン様は一度、咳払いをすると、お義姉さまの背の高さにあわせて、腰を屈めました。
「アデリー。私と婚約破棄をしてくれるだろうか?」
ケイン様のお言葉が分かったように、お義姉さまは頷きます。そうしてケイン様は立ち上がると、私を瞳に映しました。
「マゼラ嬢。恥ずかしながら、わたしはあなたが私の婚約者だと誤解をしてきた。あなたが私の婚約者でないと知ったとき、ほかの誰かにあなたを奪われたたくはないと思ったんだ。こんな私だが、結婚を前提につきあってくれないか?」
突然のケイン様の告白に、私はどうお答えすればいいのかが分かりません。仕方がないわね、とお義姉さまは私の足を嘴で突きました。
「きゃあ!」
バランスを崩した私は、自然とケイン様の逞しい胸元に飛びこんでしまいます。
私は自分の顔が赤く染まっていくことが分かりました。私はお魚のようにパクパクさせるだけで、肝心のお返事をケイン様にお答えすることが出来ません。
そんな私を見かねたのか、私の代わりにお義姉さまが声高く鳴き声をあげます。
私とケイン様は互いに顔を見あわせると、思わず、笑ってしまったのでした。
数多くある作品の中からお読み頂き、有難うございました。よろしければ、ブクマや評価を頂ければ、嬉しく思います。