07 ふたり一緒なら
教会にいた女性が誰だったのか、たずねなかったけれど、おそらく……。
わたしたちの婚姻を見届けると、その女性は挨拶もなく、立ち去ってしまっていた。
わたしの母は、シレーヌ母さんだけでいい。あの母が国王陛下となんて、やっぱりおとぎ話だったかも、と思うと、なんだかホッとした。
そんなことより、今日からわたしはアキゼスさまの妻、ということは……。
アキゼスさまは、合法的にわたしを女にする権利を得てしまった!?
もしかして、今夜は初夜!?
母からは、ソレについての作法は、すべてを見せ合うということ以外詳しくは教わっていない。あとはお相手の方にお任せで、最初は恥ずかしくても次第に慣れるとか。
お酒に酔っていたのでうろ覚えだけど、アキゼスさまのたくさんの生々しい傷のある逞しい体が脳裏に……。
考えただけで、どうにかなりそう。
て、いうか、わたしも見せるの!?
「えーと、マリィ。疲れただろう? 今日はこの町に宿泊しよう」
「は、はいィ!」
声がうわずってしまった。
「大丈夫だ、マリィ。俺も緊張している」
アキゼスさまに片手で抱き寄せられ、当然のように唇に口付けられる。
あ、えーっと、アキゼスさま。
心の準備が……。
☆
わたしたちは、隣の町外れにある宿屋にやってきた。厩番に馬を預けると、丸太を重ねた作りの大きな宿屋に入った。下は食堂になっているようで、数人の客が食事をしている。
男の客がふたりで言い争いをしている声がしたかと思うと、今度は殴り合いを始めた。
「お客様、店の中で諍いは困ります!!」
茶色の髪をひとつにまとめた三十代くらいの落ち着いた雰囲気の女性が止めに入るが、
「うるせー!!」
当然のように、大人しくなる男たちではなかった。
アキゼスさまが目で合図する。
やる気だ。わたしはさがった。
「こら、おまえたち、食事をする場所で殴り合いなどするな。うるさいし埃も舞う。他の客の迷惑だろう。やるなら外でやれ」
「なんだ? 見かけない顔だな? 引っ込んで……?」
アキゼスさまが、有無を言わさず取っ組み合っているふたりの首根っこをグイと掴んで引き離す。
アキゼスさまは大熊を倒すくらいなのだから、怪力なのだ。
「少し外で頭を冷やして来いよ」
男たちが、えっ? と何が起きたか分からないような間抜けな顔をしている間に、アキゼスさまは宿屋の外に彼らを放り出してしまった。
見事な早業。さすが、アキゼスさま。
「ありがとうございます! 助かりました」
宿屋の女性が、アキゼスさまにキラキラした目を向けた。
モヤっとしたけど、アキゼスさまはそういうのに疎そうだから、心配はしていない。
「いや、ずっとああいう血気盛んなやつらの相手をしていたものでな。扱いは慣れている。そなたは、この宿屋の主か?」
「はい、エレノーラと申します」
「俺たちは旅の途中なのだが、部屋は空いているか?」
「おひとつなら空いています」
「ひとつで良い。俺たちは夫婦だからな」
夫婦!! って、アキゼスさまが胸を張って言った。恥ずかしい響き。
「あら、あら、そうですか。可愛らしい奥様ですね。二階のお部屋にご案内致します」
奥様、とか……!?
心臓が爆発しそうになった。
その時、バタンと大きな音がして、宿屋の扉が開いた。
「ノーラ! 帰ったぞー!」
「おかえりなさいませ、旦那様」
旦那様と聞いて、ちょっと安心してしまった。
「外で暴れていたやつらがいたが、大丈夫だったか?」
大柄で大熊のような黒い髪の迫力ある男性だったけれど、エレノーラさんの頭を撫でる手つきは、とても優しい。
「はい。こちらの旅のお客様が、瞬く間に店の外へつまみ出してくださいました」
エレノーラさんが、アキゼスさまをにこにこしながら旦那様に紹介する。
「それは感謝する。細っこいのに、あいつらふたり同時に相手するとは、腕っぷしは強そうだな。目つきも良い。オレはこの町の自警団の団長をしているジュリアンだ。こっちは妻のエレノーラ。エレノーラがこの宿屋を切り盛りしている」
「俺は、ア、アキ……だ。こちらは妻のマリィ」
「アキ? 弱っちい名前だが悪くない。嫁は可愛いな」
騎士団長の辺境の銀色狼が、細っこいとか弱っちいとか言われてる。
わたしは、可愛いって?
「会って早々でなんだが、おまえたちはどこへ向かっているんだ?」
「ああ、その、訳ありで少しの間雲隠れしようと思っていた」
「雲隠れ? なんだなんだ、もしや駆け落ちでもして、逃げて来たか? おまえたち、夫婦のワリには初々しい感じだからな」
鋭い。当たらずとも遠からずで、アキゼスさまとわたしは思わず、顔を見合わせてしまった。
アキゼスさまは、騎士団長の制服ではなく白いシャツ姿なので、普通に一般人に見えていると思う。
「ふっ、図星か? まあいい。アキ、おまえの腕っぷしを見込んで頼む。もし、行く宛てが無いなら、この町の自警団に入らないか? 給金も弾む。今、かなりの人手不足でな」
「少し考えさせてくれ。妻と相談したい。もう今日はかなり疲れているから早く休みたいんだ。返事は明日でいいだろうか?」
「もちろんだ、ゆっくり休め。良い返事を待っている」
ジュリアンさんには、ニタニタされてしまった。
「さ、さ、今度こそ、どうぞ二階へ」
同じくにこにこ顔のエレノーラさんに促され、わたしたちは二階の部屋へ案内された。
暗い部屋のランプに火が灯されて、中が明るくなった。ベッドがふたつ並んでいて、奥についたてと鏡のある身支度や着替えのできる空間があった。水差しと桶と手布巾もふたり分置いてある。
小さめの机と椅子もあって、心地よさそうなこじんまりした部屋だった。
「エレノーラ殿、すまぬが部屋で食事をしたいので、おすすめを部屋へ運んで貰えるか?」
「かしこまりました。まずは、お部屋でお寛ぎくださいね。大変でしたね。マリィさん、困ったことがあったら、なんでも相談してくださいね」
エレノーラさんは目じりを下げて優しく微笑むと部屋を出ていった。
部屋にふたり。
「やっと、落ち着ける。ようやく俺だけのマリィになった」
アキゼスさまは、わたしを引き寄せ、ぎゅっと抱きしめた。
アキゼスさまの腕の中は、温かくて安心できる。わたしも思う存分抱きついた。
俺だけのマリィ……。
そう言ってもらえて嬉しかった。
まさかこの年齢になって、隣国に嫁がされるかもしれなかったなんて。慌ただしい逃走結婚だった。
「アキゼスさまは、暫くはアキと名乗るのですか?」
「もう俺は騎士団長ではないしな。これから、しばらくはおとなしくどこかの町に紛れていたほうが良いだろう。マリィが良いならここでもいいが」
「わたしのせいで……すみません。今までアキゼスさまが積み重ねてきたものが……」
「マリィが一番だ。マリィと結婚できるなら、何もいらないと父と兄に言った。騎士団長もレオが引き継いでくれた。いやいやだったけどな」
そこで、アキゼスさまがクスッと笑った。レオナールさまが、ごねている姿が目に浮かぶ。
「とにかく今回はレオの素早い判断と策のおかげで、すべてうまく事が運んだ。一歩でも遅ければ、第一王子殿下にマリィを連れて行かれるかもしれなかった。父上が阻止できたとしても、後々のこともある。姿を見ていない、辺境伯邸にいないというのが最善だった。それにもう教会で婚姻もした。これから結ばれれば完璧だ。だが念のため、暫くは隠れていよう」
結ばれる、というのは、つまり。
わたしを見下ろすアキゼスさまの瞳は、甘く艶やかに潤んでいた。
「とにかくクリスティーヌさまの婚姻騒動の決着を見るまでは、ふたりだけだ。しかも苦労をかける。マリィ」
「はい。大丈夫です。アキと一緒なら、どこででも幸せに生きられます。愛しています、アキ」
「必ず守る、愛している。マリィ」
その誓いを口にした唇が降りてきた。
アキゼスさまの深い口付けは、エレノーラさんが食事を運んで来てくれるまで続いた。
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