06 ふたりの結婚
昨日、ヴァランディー王国の南に隣接するメドーレス王国から大規模な野盗集団がこちらへ越境しようとしているとの知らせを受けた。
南部国境騎士団から正式な応援要請もあり、今朝早くアキゼスさまが団員三十人ほどを連れて南部に遠征したところだった。
アキゼスさま不在中に、王都からの早馬。辺境の地は、とにかく王都の情報を得るのに時間がかかる。それらの早い遅いで事が有利に進めるかどうかが左右されることもある。たまにこうして、早急の事案があると、王都の情報員から早馬が来る。
騎士団の事務所で仕事中のわたしに、レオナールさまが伝えに来てくださった。
「アキがいないのに、まずいことになったよ。王命ではないし正式な訪問でもないけれど、どうやら二日後に第一王子殿下が自らここにおいでになるらしい。クリスティーヌさまが殿下に泣きついたんだろう。クリスティーヌさまの代わりにあわよくばマリィちゃんを隣国に嫁がせるため連れて行く気かな」
え!? なにそれ?
「い、嫌です!! というか、わたしはアキゼスさまが……」
「そうだよね、そうだよね!! だから、早く結婚すれば良かったのに」
「……すみません」
わたしは忘れられていたんじゃなかったの?
それから仕事が手につかなくなり、わたしはレオナールさまに付き添われて自分の住まいへ戻った。
「おかえりなさい。マリィ」
珍しく仕事中にも関わらず、母のシレーヌが迎えてくれた。
「母さん、どうしよう。わたし……」
現在ルードランス辺境伯家のメイド長である母シレーヌと娘のわたしは、ルードランスさまのお屋敷の離れにある使用人専用住居の一室に住まわせていただいていた。
母はわたしと同じ緑の瞳だけど、薄黄色系のブロンド。顔立ちは、あまり似ているようにはみえない。母はつり目の美人で、わたしはどちらかというとタレ目の平凡な顔立ち。わたしが国王陛下に似ているのかどうか、自分ではよくわからない。しっかり拝顔したことないんだもの。
母は物事の善悪の判断、人としての躾、使用人としての規律、礼儀作法、整理整頓、身だしなみ、勉学には厳しかったけれど、その他は優しかった。
そして、
「国王陛下の命ではないとのことだし、まあ、なんとかなるでしょう」
楽天家だった。
☆
アキゼスさまが戻らない中、王子殿下がいらっしゃる日になってしまった。
よくわからないけれど、わたしの心配をよそに、ルードランス辺境伯邸は普段通りで、まるで静かなものだった。
「お忍びで来られるのだから、こちらも気を遣うことはない。別にいつも通りで良いだろう?」
と、辺境伯ルードランスさまは、慌てる家臣や使用人たちにそのようにおっしゃったそうだ。
ルードランスさまは、豪胆な方だった。
「母さん、わたし、こんな質素な服でいいの?」
わたしは着飾られることも無く、用意されたのは裾が長めの地味な茶系のワンピースだった。
「ルードランスさまのご指示だから良いのよ 」
「わかった」
わたしはこの服装で部屋で待機するように言われていた。母はわたしをひとり残し、お屋敷のいつもの仕事に行ってしまった。
わたしは手持ち無沙汰になり、部屋の片付けをすることにした。
しばらくすると、屋敷の外が突然騒がしくなった。
何? 馬の蹄の音や馬車の音も?
小走りで母がわたしの部屋へ戻って来た。
「母さん、王子殿下がいらしたの!?」
「大丈夫よ、マリィ。あなた、アキゼスさまを愛してる?」
母の突然の真っ直ぐな問いかけに、曖昧に答えるのは良くないと思い、はっきり言葉にした。
「はい、愛しています」
「それなら、問題ないわね」
母は柔らかく笑って、わたしを抱きしめた。
「幸せになるのよ。あなたの母親になれて、本当に嬉しかったわ」
「え? 母さん、どうしたの? 今生の別れみたいな言い方……」
「少しの間だと思うけれどね。ほとぼりが冷めるまでかしら」
母がそう言い終わると同時に、部屋の扉が開いて、赤い薔薇の大きな花束を抱えたアキゼスさまとレオナールさまが飛び込んで来た。
薔薇の花束が揺れて甘く気高く香る。
「アキゼスさま!? いつ戻られたのですかっ? ご無事で良かった……」
「あんな野盗どもなどたかが人間、大熊の比ではない。一掃してきた。詳しい話はあとだ。マリィ、愛している。どうか俺とすぐに結婚して欲しい」
アキゼスさまがわたしに大きな花束を渡して、その大切な言葉をくれた。
突然すぎて驚いたけれど、いつでも返事の用意はできていた。
「はい、喜んで。わたしもアキゼスさまを愛しています」
「ありがとう、マリィ! では、さっそく教会に行くぞ。シレーヌ殿、あなたの大切なマリィを生涯必ず守り抜き、幸せにすると誓います」
アキゼスさまが、母に跪く。
「アキゼスさま、お顔をあげお立ち下さい。娘を愛してくださって、大切に思ってくださって感謝致します。どうぞ娘を末永くよろしくお願い致します」
「はい。お任せください」
アキゼスさまと母のやり取りに胸がジンと熱くなった。
「これ、持って行けませんからね。シレーヌさん、ふたりの結婚のお祝いに、お屋敷にでも飾ってください」
レオナールさまが、薔薇の花束をわたしから奪うと母の手に渡した。
「そうですね。レオナールさまにも感謝の気持ちでいっぱいです。長いこと娘の護衛をありがとうございました」
え? なに? 護衛って!?
わたしが戸惑っている間に、アキゼスさまとレオナールさまが、見慣れたわたしの部屋の大きな本棚を横に移動させる。
と、そこに小さい扉が現れた。
母が持っていた鍵で扉を開ける。
え?!? いつからこんな隠し扉が!?
「では、しばしさらば、シレーヌ殿。行くぞ、マリィ」
「か、母さん……!?」
「マリィ、元気で。またね」
何がなんだかわからないけれど、わたしはアキゼスさまに手を引かれ、その暗い中に入った。
後ろから、レオナールさまの足音も聞こえる。
真っ暗な中、アキゼスさまに支えられ、とにかく走った。アキゼスさまは、夜目が効くとのことだった。
隠し通路を進むと、屋敷裏手の林の中にある木こり小屋に出た。
そこに、赤いチュニックにフードを被った騎士団で一番小柄な騎士ヘンドリックさまがひとり待っていて、馬が二頭用意されていた。
「マリィおいで」
アキゼスさまは、ヘンドリックさまから受け取ったフード付きの外套をわたしに被せると、手を貸し持ち上げ馬に乗せ、自分も素早く跨る。
「では、レオ、ヘンドリック、頼んだぞ。すまなかった。俺がもたもたしていたせいでこんなことになって」
「まったくだ! いや、まあ、気にするな。間に合ったんだしな。では、お姫さま、騎士団長殿とお幸せに」
レオナールさまはそう言うと、フードを被ったヘンドリックさまとふたり乗りで馬を駆り大袈裟に音をたてると、屋敷の表側に馬を走らせて行った。
ザワつく声とたくさんの蹄の音や馬車の音が遠く小さくなってから、アキゼスさまは静かに逆方向に馬を向けた。
レオナールさまたちは、囮の役割を果たしてくれたのだ。
わたしたちは、距離のある隣町の教会まで駆けた。途中少しの休憩はしたものの、馬での慣れない長時間の移動は疲れるものだった。
教会に着いた頃には、わたしは足腰がもうガクガクで、恥ずかしいけれど、アキゼスさまの力強い腕に横抱きにされて中に入った。
中に入ると、聖女さまの像の前に聖衣の神官さまと、もうひとり、飾りの無い質素な深緑のドレスの女性がいた。
その女性は、年齢は四十代くらい。髪は赤みがかったブロンドで瞳は緑色。わたしと同じ!?
わたしたちを見ると、軽く会釈しながら儚げに微笑んだ。
誰なの?
質素なドレス姿でも、この女性が高貴な身分の方だというのは、立ち振る舞いでわかる。
「こちらのご婦人は、おふたりの婚姻の見届け人でございます。さあ、どうぞこちらへ」
神官さまに促され、アキゼスさまはわたしを抱えたまま祭壇へ。
「アキゼスさま、も、もう歩けます」
「そうか」
私がそう言うと、アキゼスさまはわたしをゆっくり降ろしてくれたけれど、支えてくれる手はそのままだった。
祭壇の前へ行き、ふたり分の書類をアキゼスさまが提示する。
アキゼスさまは、自分のものとわたしの母から預かったというわたしの出生証明書を見せている。
自分のものは見せてもらったことがなかったから、実物を見て驚いた。わたしが国王陛下の娘だというのはもしかしたら嘘で、証拠なんてなんにもないのではと思っていた。
ちいさな手形と指紋のついた出生命名証明書。
ーーこの子の名をマリィレーヌとする。
はっきり読める、国王陛下ヨハネスノルグさまの署名。
ーー有事の際は、この証明書とともに、我が生涯の友、ルードランス辺境伯を訪ねよ
証明書の下にそう書いてあった。
なんで、涙が出るんだろう。
わたしも少しは気にかけてもらえていたんだ。父である国王陛下に……。
アキゼスさまが、私の涙をそっと指で拭ってくれた。
溶けそうなほど優しい笑みを浮かべたアキゼスさまと誓いの言葉を、永遠の愛と口付けを交わす。
そして、それぞれ婚姻証明書に署名をした。
「聖女さまのもと、ふたりの結婚を認め、正式な夫婦とする。この結婚は、何者もどのような権力であっても無効にすることはできない」
神官さまの言葉に、見届け人の女性も涙を見せていた。
いつも目に力強さと緊張を宿しているアキゼスさまが、こんなお菓子のように甘くて優しい瞳でわたしだけを見つめてくれている。わたしの胸は熱くなり、心は幸せな気持ちでいっぱいになった。
こうして、わたしはなんの心配も不安もなく、アキゼスさまと結婚し、夫婦になった。
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