04 あとの祭り
お祭り会場を巡るのを一度休憩して、アキゼスさまと共に近くの居酒屋に入る。
入口は、大きく開け放たれていて、お祭りの人たちの休憩場所にもなっているようだった。
このヴァランディー王国辺境のルードランス伯爵領の特産である大麦の発泡酒を一度飲んでみたかった。
お酒はもう飲める年齢だけど、いまだに未経験だった。
他の領地では、葡萄酒や他の果実酒、芋類のお酒なども作っていて、町中の居酒屋には各地の様々な種類のお酒の樽や瓶が並んでいる。
今夜はお祭りの日なので、女性客も多いけれど、普段は男性ばかりが居酒屋で飲んでいる印象がある。
アキゼスさまの話では、一番強くないお酒が大麦の発泡酒とのことだった。飲むと気分の良くなる人もいれば、逆に具合が悪くなって、ひどいと倒れたりする体質の人もいるので、お酒は、慣れるまではアキゼスさまと一緒の時以外は絶対飲まないようにと諭された。
アキゼスさまと一緒ならいいの?
居酒屋は、かなり混みあっていたけれど、ふたりだけなので、なんとか隅の席の椅子に腰掛けることができた。
アキゼスさまは、わたしに待っているように言うと、厨房の方へ行った。そしてすぐに、両手に木製の取っ手付きのコップを持って、戻ってきた。
「さあ、マリィ、これが発泡酒だ」
わたしの目の前にコップが置かれた。
見ると、白い泡しか見えない。
「これが発泡酒?」
「そうだ。泡の下に液体がある。まずは舐めるくらいの感覚で少しだけ口に含んでごらん」
「はい」
コップを傾け口を付けると、チカチカと刺激のある泡と液体が口の中に入ってきて驚いた。味は苦い、正直わたしにはあまり美味しいと思えるものではなかった。
「苦いです!」
「そうだな、たいがいの発泡酒の味は苦いものだ」
アキゼスさまは表情をゆるめると、柔らかな笑みを浮かべながらそう言った。
「あまり好みではありません」
「そうか。では、体のほうはどうだ?」
「少し火照る感じがします」
「気持ち悪いとか、吐き気や頭痛がするとか、息苦しいとかはないか?」
「大丈夫です」
「それなら、飲みたいなら少しずつ試せば良い。ただし、俺と一緒だぞ」
「はい」
その時、警備団に同行していたレオナールさまが、戻ってきて、足早にわたしたちのとのころまでやって来る。
手にはコップと紙袋を持っていた。
「ここにいのか」
「レオ、で、そっちはどうだった?」
「実は……」
レオナールさまの話に寄ると、先ほど町の警備団に引き渡されたわたしの誘拐犯は、至って小者で、しかもずさんな身代金目的の 誘拐計画だったらしい。
伯爵邸に出入りしている行商人(女)と懇意になった庭師見習いが、わたしの秘密を漏らしたらしい。そもそも古老の庭師が酔っ払ってベラベラあることないこと弟子相手に大袈裟に喋ってしまったのがことの発端だったらしいんだけれども。
身代金を取ろうとしていたのも、国王ではなく、ルードランス伯爵さまのほうだったとか。
わたしなんて誘拐して身代金を要求しても、もう利用価値のないわたしに伯爵さまは金貨など支払わないと思うのに。
馬鹿な犯人たち。
「いや、父上が払わずとも俺が払う」
いやいや、アキゼスさまになんの得が。
レオナールさまの話を聞きながら、わたしは、目の前の発泡酒を無意識にちびちびと口にしていた。
でも、頭はしっかりしているし、具合も悪くない。全然大丈夫だ。
「色々と聞いてきてくれて助かった。レオ」
「これも仕事のうちだからな。だが、これ、おまえの奢りな」
「ああ、それで構わない」
レオナールさまが、手にしていたコップの中味を飲もうとした時、背後を歩いていた男がよろけてレオナールさまにもたれかかってきた。
ビジャっと発泡酒のようなお酒が、見事にアキゼスさまのシャツの胸あたりにたっぷりかかってしまった。
「「え?」」
アキゼスさまは、びしょ濡れだ。シャツの布が肌に貼り付いている。
「すまんな、アキ。大丈夫か?」
「まあ、これくらい、どうってことない。すぐ乾くだろう」
「どうってことない、ってことはないだろう、女性同伴で。まだマリィレーヌちゃんとデートの途中なんだからさ。この店は、二階が旅籠屋にもなってるから、一部屋借りて着替えたらいい。丁度僕、仕立て屋から取ってきたシャツ持ってたわ。貸してやるから、これに着替えろよ」
「「!?」」
アキゼスさまとわたしが、何がなんだか分からない状況になっている間に、レオナールさまがテキパキと店の主人に話をつけている。
居酒屋のご主人らしき人が、
「団長さん、こっちでさぁ。さ、お嬢さんも、これをお貸ししますんで、拭くのを手伝ってあげなされ」
「は、はい?」
濡れた布巾と部屋の鍵を手渡され、階段を上がった二階の部屋に案内された。
って、え?
レオナールさまは、どちらに?
部屋は簡素なベッドがひとつと小さい机と水差しとコップと手桶があるだけで、蝋燭の火が机の上で揺れていた。
アキゼスさまとわたしは、小さい部屋にふたりだけになってしまった。アキゼスさまは、何も特に気にする感じもなく、濡れたシャツのボタンを外してサッと脱いだ。
晒されたアキゼスさまの裸の上半身を見て、わたしは息を飲んだ。
「マリィ、その布巾を寄越してくれるか?
あ、す、すまない。急に脱いで、驚かせてしまったな」
「いいえ」
わたしは、目のやり場に困りながら、俯いたまま、アキゼスさまに布巾を渡そうとした。
アキゼスさまの体は、傷だらけだった。小さい傷や大きい傷が生々しい。この方は、れっきとした西部国境騎士団の団長様なんだ。
恐らくあの最も大きい爪痕は、あの大熊と戦ったときの傷ではないかと思った。
引き締まった筋肉質の男性の体を初めて見たのもあるけれど、どうしたことか、胸の鼓動の音が激しい。でも頭はふわふわしてとても気分が良い。とても眠いかも。
「あきぜしゅさま、わたしが拭いてあげましゅ」
「マ、マリィ……?」
アキゼスさまの素肌に濡れた布巾を滑らせる。肌からは、発泡酒の匂いがしていた。
「や、やはり自分で拭くとしよう。おかしな気分になってきてまずい」
「だ、だいじょうぶでしゅ……。人肌って、しゅべしゅべできもちがいいのね……」
だめだ、マリィ……。
そんなアキゼスさまの困惑したような低くてなまめかしい声がしたところで、私は意識を手放した。
その直前、またしてもあの悪のレオナール・リストの通りに事が進んでしまったと頭の片隅で悪態ついてみたものの、あとの祭りだった。