烏帽子岩が近くに見える
烏帽子岩と呼ばれる岩は日本各地にあるらしい。だけど私にとっての烏帽子岩は一つしかない。それは湘南の海にある烏帽子岩だ。あそこには青春時代の思い出がいっぱい詰まっている。
その日、私は交際相手と一緒に茅ヶ崎へ行った。相手の男は海で遊ぶつもりだったけど、私は違った。別れ話をするために来たのだ。別れたいと言ったら、あいつは拒否した。うんざりする。二人並んで浜辺に座っているけど、心は離れていた。それに気付かないあいつはいつものように私を触りたがったけど、私は拒んだ。もう愛想が尽きていたからだ。それでもしつこく迫ってくるので、私は立ち上がって逃げ出した。あいつは追いかけてきた。
「いや~ん、待ってー!」
そんな気色悪い叫び声を発しながら近づいてくる。このままでは捕まると私は思った。そこで地上ではなく海へ逃げることにした。私は水泳の国体選手で、オリンピックの候補にも名前が挙がったことがある。走るより泳ぐ方が得意なのだ。海へ飛び込む。
沖まで泳ぎ振り返ったら、泳いで追いかけてくる奴の姿が見えた。私は舌打ちをした。あいつがストーカー気質なのは分かっていたけど、でも、ここまでしつこいとは思っていなかった。もっと沖へ泳ぐ。あいつはへとへとになりながら後を追いかけてきた。
「このまま一生、お前を追いかけ続けるぞ! 死ぬまで一緒だからな!」
そんな怒鳴り声が聞こえたとき、私の決意が固まった。ここできっちり、縁を切ると!
私は深く潜水した。水面下を後戻りして、海の中からあいつの足を引っ張る。そのまま海中へ引きずり込む。虚を突かれたあいつは溺れた。大暴れするけど絶対に手を離さない。こっちも失神寸前だったけど、その前にあいつが息絶えた。おとなしくなったので、私はあいつの足をつかんだ手を離した。
あいつが海底に沈むのを見届けてから、私は海面上に顔を出した。思いっきり息を吸う。烏帽子岩が近くに見えた。私は助けを呼ぶため海岸へゆっくりと泳ぎ出した。