8話 人間界に行くのだから用意が必要です
「ま、まさかアレが!?」
魔界力は紫の色を帯びている。
つまり、飛び出してきた紫色の塊は、ものすごい量の魔界力で間違い無かった。
「来た来た来た来たぁ!」
世界移動、タイムワープ機能、世界矛盾修正機能に続いて第四の機能もしっかり稼働し、沙世は興奮していた。
だが、智香は恐怖に息を呑んでいる。
「…………ナニアレ?」
大蛇のように巨大で長い棒状の魔界力が猛スピードで智香に迫っているからだ。
とても智香が耐えきれる量ではない。紫で大蛇とか、間違い無く即死級の魔界力だ。
「さあ! 翼出して受ける!」
「冗談いうなぁッ!」
アレに翼を向けるなど正気の沙汰ではない。
「早く! 翼以外に当たったら失敗だってのッ!」
「沙世お姉ちゃんは迫り来る殺人ウィルスに身を投げろと言われて従うのかコラッ!?」
しかし、このままでは確実にあの巨大猛毒をこの身にくらってしまう。
「はやく翼ッ! 翼以外に当たればそれこそ殺人ウィルスになるっつーの!」
もう賽は投げられたと、沙世は変わらず怒鳴り続ける。
「ああ、もうッ! ぶっつけ本番なんて大嫌いッ!」
始まった以上、智香の取れる行動は一つしかない。
智香の背中からピョコリと、コウモリの羽のような丸みを描いた翼があらわれた。
腕ほどの長さで、先端は鋭利な刃物のように研ぎ澄まされている。パタパタと仰ぐ仕草は可愛らしいが、鋭さのせいで狂気も感じさせるため、智香の翼は不気味と表現するのが相応しかった。
ちなみに紅葉は智香の翼が大好きでよく触っている。プニプニしている感触がたまらないらしい。口でハミハミする(なぜか怪我しない)のも好きだが、さすがに今の智香は年頃の女子になったので断るのが多くなっている。
「ぐッ!?」
飛んできた魔界力が智香の翼にブチ当たる。
爆発が起こったような衝撃音が響き、わずかに智香は揺らいでしまう。
「かはあッ!?」
膨大な魔界力だとわかっていたが、まさか吸収の衝撃なんてのが起こるとは思わなかった。もしかしたらこの魔界力は智香の二十倍、いや三十倍以上はあるかもしれない。
「うあ……ああああああああッ!」
だが、そんな考えは次の瞬間にかき消えた。智香の身体が徐々に熱くなっていき、燃やし尽くされそうな感覚に脳内が支配されてしまう。
熱という熱が身体を駆け巡り、眠っている全ての神経をたたき起こしていく。翼はピンと硬直し、魔界力の激流が何度も全身を駆け巡った。
「ぐうううううッ!?」
そして智香は自身に起こっている変化に気がつく。
「……え? こ、これって!?」
全身が溢れた魔界力に纏われ輝いているのだ。更に、今まで着ていた服がシャボン玉のように弾け、知らない言語で書かれた帯状の光へ再構築されていく。それらは足や腕や首など至る所を囲うように円を作っていった。
「魔界戦衣装着開始」
ドスペラルドの言葉が引き金なのか、光の円が同時に次々と弾けていく。すると、その部分に次々と見知らぬ服が形成されていき、黒を基調としたドレスのような服装ができあがっていった。髪色は赤いままだが、髪型はロングツインテールに変わり、顔も何処かこそばゆい。化粧もされているようだ。
その外見は髪の色以外、さっきまでの智香の面影は何処にもない。
「え? ええ!?」
あっという間に、着ていた衣服は知らない服(?)に変化してしまった。露出している脇部分と膝下部分に違和感を覚えながら、変化原因であるドスペラルドを凝視する。
そして、普段の智香とは比較にならない、膨大な魔界力を実感した。
「な、何が起こったのコレ?」
呆然としている智香の肩にドスペラルドが飛び乗った。
「よーーーーしッ! これぞエクスディカテリアにある第四の機能“魔界戦衣装着機能”ッ! 智香の限界を遙かに超えた魔界力を“魔界戦衣”っつー衣服にして、制御できる状態にすんのッ! つまり簡単に言うと、智香をもぉぉぉぉぉぉぉの凄くパワーアップさせるっつーワケ! アーハハハハハーッ!」
本日何回目かわからない沙世の高笑いだ。だが、当人の智香にその笑いは聞こえていない。ドレスを着ている自分の姿に、ただただ驚いていた。
「こ、これ……」
「いやーねぇ。ただパワーアップするだけじゃつまんねーじゃん? だから変身って感じにしよーと思ってね。智香が普段着ねーようなモノをチョイスしたわ」
「…………」
智香は魔界戦衣をたしかめるようにペタペタと触っている。
「……お姉ちゃん。落ちてくる私って、ここを真っ直ぐに飛んでいけば見つけられるの?」
「ん? そーだね。そろそろワープしてくる時間になっけど」
「ふ、ふふふふ……」
「どした智香?」
不敵に笑う智香を見て、様子がおかしいと思った沙世だが。
「あーはははははははーーッ!」
そんな沙世など知らんとばかりに、智香は勢いよく地面を蹴って空を飛んだ。
その速度はもの凄く、智香とドスペラルドはみるみる地上から離れていく。
「凄いッ! ものすごい魔界力が溢れてるッ! これが変身ッ! ひょっとして、紅葉お姉ちゃんぐらいの強さになってるのかなぁぁぁぁッ!」
「ちょ、速いって智香! スピード出し過ぎだっつーのッ!」
風圧でドスペラルドがバタバタクルクルとデタラメに動くが、クチバシで智香にしがみつきなんとか耐える。
「わはははははは! 今の私なら不可能はないぃぃぃぃぃ!」
智香は魔界戦衣に夢中で、沙世の話を聞いていない。
「落ちる! 落ちるっつーの! ドスペラルドが落ちちゃうッ!」
驚喜しつつ飛行する智香と、振り落とされそうなドスペラルの一人と一匹は、地表を五百メートル、一千メートル、五千メートルと上昇していき、やがて赤く光っている隕石のようなモノを見つけた。
間違い無い。幼い頃の智香だ。
「これだねッ! 受け止めればいいんだっけ?」
「もうちょっと時間が過ぎれば昔の私が転送する! だから、さらに上空に向かって弾き飛ばしてッ! 受け止めたら転送に巻き込まれる可能性があっからッ!」
「オ~ケェ~イッ!」
言われて智香は急停止した。そして、迫る赤い隕石(自分)に向けて両腕を前に差し出し、ボレーの構えをする。これならほとんどダメージはないし、速度も殺せて、落下方向も反らせる。触れる時間も最小で済むため、智香が転送に巻き込まれる心配もないはずだ。
「よーし! さっさと弾き返して帰――」
と、その時。
「智香! 左右から正体不明接近中!」
沙世が警告するもそれは僅かに遅かった。
「あだッ!?」
何かが智香の脇腹と頭に連続で激突し、智香をその場から吹き飛ばしたのだ。
そのせいでボレーできず、隕石はそのまま落下していく。
「な、何なの!?」
智香は即座に体勢を立て直し、ぶつかった物体を見て我が目を疑った。
それは水晶玉のような球体で、智香と同じように空中で浮いているのだ。それだけでも驚きだというのに――紫色に輝いている。
「は、はあッ!?」
つまりこの紫色の球体。紫球は魔界力で動いているか、魔界力そのもので出来ている、ということになる。
「ちょ、ちょっと待ってよ! そんなのあり得ないでしょ!?」
ここは人間界で、さらに時系列は過去だ。魔界でもなければ、現代ですらない。こんなモノ(紫球)がこんな場所(上空)にあるワケがなかった。
「お、お姉ちゃん!? これって!?」
「あ、あり得ないっつーの! なんなのコイツは!?」
まるで、過去を変えられては困るかのような現れ方だ。
エンネルーベ姉妹の計画を阻止すべく――智香をこの場で殺すべく紫球が襲ってくる。
「くッ!?」
単純な突撃だけとはいえ、この紫球には殺意がある。智香が防御行動をする度に紫球の輝きが増し、それに比例して速度と威力が上昇していく。
これでは対処できなくなるのは時間の問題だ。
「ちょ、ちょっとシャレにならないよコレ! このままじゃッ!」
紫球のせいで隕石との距離がどんどん広がって行く。すぐに追いたい所だが、紫球が邪魔で近づけない。
世界矛盾修正機能による改変チャンスは一度だけ。
この隕石落下を阻止できなければ外崎信一郎が死んで終わりだ。智香がこの時代と時間に来た意味がなくなってしまう。
「こんのぉッ!」
これ以上はマズいと、智香は全力で紫球を殴りつけた。その衝撃はちょっとした山なら簡単に破壊できる威力があったが、紫球は僅かに吹き飛んだだけ。
とてもダメージが通ったようには見えない。
「う、嘘でしょ? 今の私ってもの凄く強いはずなのに!」
魔界戦衣により智香の魔界力は何十倍にもなっている。あらゆる身体能力が激増しており、山を破壊できるのは決して比喩ではない。
なのに、紫球を破壊できない。むしろ、攻撃すればするほど紫球が重く頑丈になり、劣勢になっていく。
「智香以外に人間界で魔界力の反応があるとかおかしいっつーの! いるわけねーのにッ!」
「じゃあコレは何なのッ!?」
「信じられねーけど……そう考えるしかねーわね」
「……ま、まさか」
この状況とタイミングとを考えれば――理由は一つしかない。
「この紫球は私達の行動を阻止するためにここにいる。そんで、紫球が魔界力で出来てる以上、魔界人の誰かが作ったモノなのも間違いねーわ」
沙世は断言した。
「一応聞くけど偶然の可能性は!?」
「ねーわ! 偶然にしては色々とドンピシャすぎッ! つまりコレは! コイツは!」
絶対にありえない事実だが理解しなければならない。
「この時代(過去)と世界(人間界)で! 智香を始末しよーとしてるヤツがいる!」
全く意味不明で、非常に効率の悪い方法だが、エンネルーベ家の作戦を阻止しようとする誰かがいる。
そして、それは沙世以外にも時間移動と世界移動ができる者がいる、ということを意味していた。
エンネルーベ家の家庭問題を知ってることも意味しているし、この時この場所に智香が来るとわかっていることも意味している。
色々と何がどういうことなのかさっぱりわからない。