4話 智香は魔王と出会う
「済んだか?」
「うん……ありがとうお姉ちゃん」
すぐ紅葉に下着を買ってきてもらって着替えた智香は、トイレの個室から出てきた。
智香の粗相はすぐに掃除したので問題ない。濡れた下着はビニールに包んで手提げバッグに突っ込んでいるし、秘密は智香と紅葉のみに留まっている。
「うう、もうすぐ女子高生なのに、なんて思い出……」
「気にするな。そんな智香も可愛いぞ」
「可愛くないよッ!」
智香は「はぁ」とため息をつく。
「ホント紅葉お姉ちゃん凄いよね……私、お姉ちゃんみたいに誰かを助けるなんて絶対できないよ……」
「そんなことはない。智香だって誰かを助けることはできる」
「そうかなぁ……」
偉大な姉である紅葉と比べて、智香はもうすぐ女子高生になるただの一般魔界人だ。そのせい――というべきなのか、誰かのために頑張ったり、誰かを助けたりする自分を想像できない。そんなのあり得ないと思ってしまう。
もちろん紅葉に憧れなかったワケではない。だが、そもそもの差が凄まじいため、紅葉のようになるなど夢のまた夢だ。智香がそう気づくのに時間はかからなかった。
「私はいつも智香に助けてもらっているぞ」
「そりゃ家ならそうだけどさ。私が言ってるのはそういうことじゃなくて、なんていうのかな……」
「……つまりこんどは下着を買うだけでなく、私に穿かせてほしいということか?」
「なんでそうなるのッ!」
何故かやや興奮気味の紅葉に智香はプリプリ怒るが、その怒りはすぐになくなる。
銀行を出た時、そこにまさかの人物がいたからだ。
「手間をかけたな紅葉」
その人物は見上げなければ顔を確認できない程の巨体だった。巨体を支える筋肉は神話の物語から抜け出してきた英雄のようで、堅牢さ力強さに満ちている。短機関銃を切り刻んだ紅葉の羽だって平然と弾きそうな全身は、鉱物といっても差し支えないように見える。
威圧感と強者感たっぷりのこの人物。
魔界で知らない者はいない。
「お前のような部下がいることをとても嬉しく思う」
魔王外崎信一郎。
智香と紅葉の前に現れたのは、魔界の最高実力者にして最高権力者だった。
「ま、魔王様!? 何故このような所に!?」
紅葉は跪こうと智香にも促すが、魔王は必要ないと手で制す。
「時々は現場に出ないと身体がなまってしまうからな。それに椅子に座っているだけは性に合わん。紅葉は知っているだろう?」
「で、ですがこのような危険な場所に――」
「銀行強盗に遅れを取るほど、不抜けておらんさ」
ハハハ、と屈託無く魔王は笑い――その時だった。
「魔王外崎ぃぃぃぃぃぃぃッ!」
佐々木場だった。魔王を目視した瞬間、かけられた手錠を引き千切り、逃げないよう両脇で押さえていた警官を撥ね除けたのだ。
よほど魔王が憎いのだろう。溢れんばかりの憎悪を纏ってこちらにやって来る。
「お前がいなければ俺はぁぁぁぁぁ!」
紅葉の時とは段違いの魔界力だ。しかも準備万端とばかりに、その魔界力が翼の先端へ集束し、魔界砲となって放たれようとしている。
振り払われた警官が再び佐々木場を捕らえようとしているが、それよりも魔界砲の方が速い。
「てめぇはゆるさねぇぇぇぇぇぇ!」
紅葉が言ったように魔王(目標)に向けて撃つのでは外れる、という自覚はあるのだろう。
佐々木場は何処に撃っても命中するよう、薙ぎながら魔界砲を撃つべく態勢を整えた。
そして、その薙ぐ魔界砲が一番最初に狙うのは――智香だ。
「智香ッ!?」
紅葉は即座に智香を守ろうとするが、僅かに遅い。
「しねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
佐々木場の翼から周囲を薙ぎ消す魔界砲が放たれた。
細く鋭いレーザーのような魔界砲が智香に迫り――霧散する。
魔王が智香を庇ったのだ。
「ま、魔王様!?」
「大丈夫か?」
巨体が振り向き、智香は驚いたようにコクコクと頷く。
「ば、ばかな……こんなことが!?」
佐々木場は戦慄した。
魔界砲が霧散した。それはつまり、魔王に佐々木場の魔界砲は届かないことを意味している。
攻撃が届かず霧散するなどダメージ以前の問題だ。佐々木場は魔王との間にある埋まりようのない差を見せつけられていた。
「私を許さないのは勝手だ。だが、魔界の民を巻き込むのは許さん!」
魔王は人差し指を立てると、軽くくの字に曲げた。
「があッ!?」
瞬間、ベコンと佐々木場のいた地面にクレーターが発生し、その身体を沈ませる。どういう理屈かわからないが、魔王はその場から動かずに魔界力で佐々木場を押しつぶしたのだ。佐々木場のいる場所だけ、重力が百倍になったような光景になっていた。
「まお……う……」
それっきり佐々木場は動かなくなった。ぶつけられた魔王の魔界力に耐えられず気絶していた。
魔王は警官達に佐々木場を連れて行くよう簡単な指示を出す。
「驚かせてしまったようだな。許してくれ」
「そ、そんな! 魔王様のおかげで助かりました! 魔王様こそ大丈夫なんですか!?」
なんて凄まじいのだろう。原理としては魔界砲なのだろうが、魔界力の気配がなかったり、真上からの攻撃だったり、人差し指を曲げただけで魔界砲が放たれたりと、やり方があまりにもデタラメだ。
智香はそんな魔王の途轍もなさに圧倒されてしまう。
「ハッハッハ。私を心配してくれるか。紅葉がいう通りよくできた妹だ」
「えっ? お姉ちゃんが私のことを?」
まさか自分のことを魔王が知っているとは思わなかったので、智香は思わず聞き返してしまう。
「ああ、よく聞いているぞ。愛している、智香のためなら命は惜しくない、智香のことを考えるとあっという間に時間が過ぎる、他にも色々とな」
「そ、そうなんですか……」
姉のシスコンっぷりに嬉しさと恥ずかしさで顔が赤くなる。
「ま、魔王様。どうかそれくらいに……」
「ん? ああ、すまんすまん。ワッハッハ」
照れる紅葉を見て魔王は笑うと、チラリと護送車の方を確認する。
釣られて智香も見ると、こんどこそ佐々木場が連行されていた。複数の警官に押されるようにして護送車に入っていく。もう先程のようなことは起こらないだろう。
「と、随分と言うのが遅くなってしまったが、私は紅葉を帰らせるために来たのだ。最近の紅葉はロクに家へ帰っておらんからな」
魔王は紅葉に仕事を引き継ぐ、と言った。
「そ、そんな! 魔王様が私の変わりに仕事など!」
「紅葉は大切な私の右腕だ。紅葉に任せなければならない仕事は多い。だが、それと同時に紅葉はエンネルーベ家の長女でもある。魔界を平和にできても、部下の家庭を守れないのは本末転倒だ。私のせいで三姉妹の仲に亀裂が入ってはたまらんのだよ」
「わ、私の家庭事情など魔王様が気にするようなことではありません! エンネルーベ家は今も昔もこれからも良好です!」
紅葉がチラリと智香に視線を向ける。智香は慌てたように何度も首を縦に降った。
「智香」
「は、はい!」
名前を言われて、智香は肩をビクリと震わせた。
「紅葉お姉ちゃんは好きか?」
智香は背筋を伸ばしながら顔を上げると、失礼のないよう魔王に返答する。
「はい! エンネルーベ・紅葉・アリアロフはとっても大好きな私のお姉ちゃんです!」
元気良く言い過ぎて失礼だったか? と思うが、魔王の表情が歪んでいる様子はない。むしろ、良い返答だとばかりに頷いている。
うまく言えたようだと、智香はホッと息をつく。
「ハハハ、そうかそうか。実は私も紅葉が大好きなんだ。智香とはライバルだな」
「えっ!?」
「えっ!?」
両者から意味の違う驚愕が漏れた。
「ハッハッハ。これからも信頼しているぞ紅葉」
「は、はっ!」
魔王は踵を返し、いつから集まっていたのか、カメラとマイクをもったマスコミ集団の方へ歩いて行く。
「魔王様! 鮮やかな事件解決でしたね!」
「佐々木場という男! 紅葉様と元同僚とのことですが!」
「魔王様を慕う者に一言お願いします!」
「何故このような事件が起こったと思いますか!」
無数のフラッシュとカメラとマイクが魔王に向けらている。大きすぎる魔王にとって、それは足元に群がった蟻と変わらなかったが、そんなのとっくに慣れているのだろう。魔王は周囲の人物を蹴飛ばさないよう、問題なくインタビューをうけていた。
「へぇ、魔王様って生でインタビュー受けるんだ」
「ああ、そうか。智香はいつも画面で魔王様を見ているから珍しいのだな」
魔王の側近である紅葉と違って、智香が魔王と出会ったのは今回を含めて二回しかない。魔王外崎信一郎をこの目で見たのは初めてだ。
魔王には平均的な魔界人を遙かに上回る巨躯や、絶対的強者故の圧力、溢れ出るカリスマ等々、魔王にしか持ち得ない特徴は数多くあるが――翼はない。
「人間って凄すぎるよ。何をどうしたらあんなに強くなれるんだろ」
なぜなら、佐々木場が言っていたように、魔王外崎信一郎は魔界人でないからだ。
人間でありながら魔界の王になった、という凄まじい例外だった。
「悩むだけ無駄だぞ智香。魔王様のような強さを得るのは常人では不可能だし、常人じゃなくても無理だ」
「紅葉お姉ちゃんがそこまで言うなんて、魔王様ってどんだけすごいの……」
智香は人間という種族を知らないが、人間界が凄まじい所なのは理解できる。
だって、魔王外崎信一郎は元々人間なのだ。つまり、人間界には魔王外崎信一郎のような者が多数存在していてもおかしくない。
なんて恐ろしい所だろうか。もし、そんな世界に智香が行ったら、立ってるだけで絶命してしまいそうだ。いや、空気に触れただけでも死ぬかもしれない。
「魔王様は規格外すぎるからな。自身から溢れ出る魔界力を制限しなければ魔界人と対峙することすらできない。以前は制御のやり方がわからず苦労したそうだ」
「魔界力って魔界に満ちてるモノのはずでしょ……なんで自分で生成できるの……」
聞けば聞くほど魔王は常人が理解できる存在ではない。
憧れることすらできない魔王は、間違い無く紅葉の言う通り規格外だった。
「では、魔王様にお聞きしたいのですが」
強盗事件の質疑が一通り終わり、マスコミが最後の質問をした。
「まだ自身の死の謎を追っているのですか?」
帰ろうとしていた紅葉と智香、二人の身体がビクリと反応する。
「君は自分を殺した者に興味を向けないのかね?」
魔王はどうとでもとれるような返答をした。
「かつて私は町を創りたいと思っていた。この魔界は私の夢だ」
パシャパシャパシャと激しくフラッシュが焚かれる。
「人間だった頃謎の死を遂げ、魂をロクに管理できてない閻魔に地獄行きにされた。そこで私は思ったのだ。公正に裁かれないあの世は間違っているとな。よって、地獄を管理する魔界の王になろうと革命を起こした」
紅葉と智香は魔王に背中を向けつつも、耳はビンビンに立っている。
「魔王となって閻魔職にメスを入れ、今の地獄はだいぶマシになった。魔界の統治も進み、こちらも幾分かマシになったと思う。私が思い浮かべていた理想の町……いや、国に近くなっている」
魔王は「死んでから夢が叶うとは皮肉なモノだ」と微笑した。
「故に私はきっかけである、自身の死を知ることを諦めない」
何故か拳を握り、魔王は力強く言い放つ。
「好奇心と言われればそれまでだ。だが、私を殺した犯人は必ず見つける」
マスコミから「おおー」と、どよめきが起こる。おそらく、魔王への無意味なヨイショだ。
「犯人捜しの全権は紅葉に一任してある。皆、是非とも紅葉に協力してほしい」
最後のフラッシュが焚かれ、インタビューは終わった。魔王は現場(仕事)へと向かい、マスコミ達も撤収を開始した。、野次馬達も散っていく。
「魔王様はよほど殺されたのが恨めしいんだなぁ」
「魔王様がいないと今の魔界はないだろ? 俺は犯人に感謝してるよ」
「魔王様が魔界に来てくれないなんて考えたくないぜ」
「誰でも殺されるなんて嫌だろ。嬉しい結果と憎しみのきっかけは違うってこったよ」
「純粋に犯人が何者か興味あるけどな。魔王様を殺してるんだぜ?」
「何の手がかりもない犯人を捜すとか紅葉様も大変だなぁ」
街中でのインタビューだったため、魔王の発言を聞いていた民衆は多い。智香と紅葉が帰る最中、魔王殺しの犯人は話題となっていた。
――魔王様は誰かに殺されて魔界にやってきた。
有名な話なのだが、未だ誰が犯人なのかわかっていないため、定期的に魔界で騒がれている。珍しさはないため、すぐに収まる季節の風物詩のような話題だった。
「卵が切れていたんだったか? 帰りに買っていこう」
「そうだね」
紅葉と智香はスーパーに寄って、今日の夕飯の買い出しをする。
卵を買った、という事で夕飯はオムライスに決まった。