ライラと雪兎
リンリンリン...
雲の間から、鈴の音が聞こえる。
軽い、軽快な音
「テトラー!あんまり遠くまで行きすぎないでねー!」
「はーい!」
記憶の中の冬は、いつも雪が降っていた。
迫る黒い気配を、白で塗りつぶすような。
深い白だったーーーーーー
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「...トラ?テトラ?」
「テトラ!」
「...!ごめん、考え事してた...」
「もー、しっかりしてよね」
「ごめん...」
12月23日、世間が迫るクリスマスに浮足立つ中、空には太陽が燃え盛り、ジワジワと暑い空気は、冬がかつての姿を失ったということを明確に示していた。
(雪なんて見たことないなぁ...)
"雪"などというものは、この燃えるように暑い世界に生まれたときから伝説上のものになっていた。
「ねぇ、また考え事してるでしょ。まぁいいけど、1限体育だから、準備遅れないようにね」
「あ、ごめん、ありがとう」
珍しく雪のことなどを考えているうちに、時計は9時27分、あと少しで授業が始まることを指し示していた。
(3分...無理かな...)
「ちょっと遅れるかも、伝えておいて」
「もー、急いでよね」
「はいはーい」
友人が出ていったのを確認し、着替えを始める。
(今日はサッカーだったっけ...?)
着替えながらそんなくだらないことを考え、ついでにいそいそとロッカーの整理をする。
リーン...
「っ!」
頭の中で鈴の音が響き渡る。
それとともに、脳を刺すような、鋭い頭痛が襲う。
(なんなんだ、最近ずっと...)
このような症状が現れたのはちょうど12月に入ってからのことだ。
医者にもかかったが原因は判明せず、治るまではストレスをあまりかけないように、と言われた。
(こちとら朝起きるのだけでもストレスだっつーのに)
ひかない頭痛にイライラしながらロッカーの整理を終え、更衣室からグラウンドへと向かう。
時刻は9時40分を指し示していた。
(こりゃー大目玉くらうな)
待ち構える説教とムカつく頭痛に溜息を零しながら渡り廊下を歩くその時
リーン...リーン...
鈴の音が聞こえてきた。頭の中からではなく、外、すれ違った女生徒。
頭痛はない。バッと振り返る。
そこには誰も居なかった。
(幻覚、幻聴、こりゃーいよいよ参ってますなー、今日は早めに寝よう。うんうん。)
遠くで仁王立ちで待ち構えている先生も相まって、今日は自分を労ろう...そう決めた。
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「あっはははは!」
「ちょっと、そんな笑わないでよ!」
「いやぁ、だってまさかそんな怒られているとは」
あのあと一人で教官室に連れ込まれた私は、先生の説教など上の空でただただ「はい」と単一なレスポンスを返していた。
それが癪に障ったのか、説教は2限を食いつぶす勢いで、約1時間も潰れた。
(15分くらい遅れただけじゃん...)
少し不服ではあると思いながらも、反省を感じつつ友人と帰路につく。
「んじゃーあたしこっちだから、じゃね」
「はーい」
(そういえば...)
あの子、誰だっけ
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「テトラー、早くお風呂入っちゃってねー」
「はーい」
持っていたギターをおろし、入浴の準備をする。
「やっぱこんな日はギターに限りますなぁ〜」
大好きなギターを弾きまくり、完全に回復した体調に生命へのありがたみを感じながら、階段を降りる。
リーン
「っ!」
また、あの音が鳴る。
こちらの都合などつゆ知らず、自分勝手に脳内を掻き回すその音に、心底疲弊していた。
(お風呂入ったら、すぐ寝よう...)
痛む頭を引きずって入浴をしたあと、ほぼ倒れるようにベッドに横になり、意識が水面に落ちていくのを感じた。
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「おはよう」
(...?)
「俺の授業はそんなにつまらないか?」
「へっ?」
目の前には鬼の形相をして化学の担当教師が立っている。
「ご、ごめんなさい!」
(ひー、まさか寝ちゃうとは!化学は絶対寝ちゃだめなのに!)
隣では友人がケタケタと笑っている。
「もー、そんなに笑わないでよ...」
「だって...」
不満を感じながらも、いそいそと前を向く。
その時、言いようのない違和感を感じ、隣の友人に質問する。
「ねぇ、あなた誰だっけ」
「え?」
表情に困惑を浮かべながらも、わすちゃった?そんなことある?と、冗談めかして茶化してくる。
「私はねーーーーーーーーーーーー
外では、雪が降っていた。
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「う...ん...」
目が覚める。外では太陽がさんさんと照っている。
(名前、なんだったんだろう)
まぁ、今日聞けばいっか。と、あまり気には留めず、学校に向かう。
「おはよー、今日家誰も居ないからねー」
「はーい」
親と会話をし、朝食を食べ、学校に向かう。
いつもどおりのはずの自転車の音は、何故か輪郭がないように聞こえた。
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おはよー
「おはよ」
教室の扉をガラガラと開け、自分の席につく。
「フランチェスカさん、今ホームルーム中なんですけど」
「まじですいません」
いつも通り遅刻し、気まずさを感じつつホームルームを聞く。
「今日も遅刻だね」
「もー、笑えないよ」
隣りにいる友人と会話をし、キョロキョロ周りを見渡す。
(昨日の人、いないな...)
件の友人を探すが諦め、先生の話に耳を傾ける。
「あ、そうだ、転校生が来ます。遅れてるみたいだけど...」
その先生の発言にクラスが湧く。
(珍しいこともあるもんだな)
少しだけ楽しみにしながら、1限の数学の準備をする。
「テトラ、今日1限体育だよ」
「...あれ?」
違和感が襲う。
まさか、昨日のことも夢なのか?完全に混乱しながら物思いに耽る。
「もー、なに考え込んでるの。もう行っちゃうよ」
「あ、待って!」
友人と一緒に更衣室に移動する。
更衣室でしばらく混乱していると、いつのまにか友人は居なかった。
(あら、おいていかれちゃってたか)
まぁ、仕方ないか。そう思いながら時計を確認する。
9時40分
(...?)
妙な既視感を覚え、急いで移動する。
渡り廊下に差し掛かり、先生と目を合わせないように下を向いてこそこそと移動する。
人とすれ違う。
リーン
(...!)
後ろで担任の声がする。
「あ、やっと来ましたね。おはようございます。」
「ごめんなさい、道に迷っちゃって...」
鼓動が早くなる。ゆっくりと振り向く。
目が合う。件の友人の顔。ニコリと笑っている。
「私はね
ライラ。ライラ・テトラポッド」
世界が、ケタケタと笑っているような気がした。
リーーーーーーーン
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「うわぁ!」
目が覚めると、服は汗で濡れていた。
いそいでカレンダーを確認する。
「12月24...なんなんだよ...」
どこまでが夢だったんだよ...と混乱しながらも、いそいそと服を着替える。
階段を駆け下り、ムカつく胸を擦る。
「お母さん、今日ご飯いらなーい」
「えー!なんでよー、もう作っちゃってるわよ」
「ごめんねー」
きっと喉を通らないだろうと思い、ご飯を断っておく。
靴を履き、ガチャっと家の扉を開ける。
外にはなぜか、見覚えのある顔が居た。
「ライラ...」
「おはよう」
「おはよう、なんでいるのさ」
「なんでって、毎朝一緒に学校行ってるじゃん」
そうだっけ、と記憶を確認して、うーんと唸る。
そんなとき
ピョンッ
「は?」
目の前を、一匹の白い兎が通る。
「テトラ、追おう!」
「え、えええええええ!!!」
ライラに腕を引っ張られて、なかば足を引きずるように走る。
裏路地を通り、土手を走り、草原を走り回り。
いつのまにかあたりの景色は一変し、そこは完全に森の中だった。
「やー、見失っちゃったねー」
「というか、なんでそんな必死になって探してたの」
「うさぎなんてめったに見ないでしょ」
まぁそうだけど...と呆れながら周りを見渡す。
(...?)
切り株の上に、一冊の本がおいてあった。
(一体何でこんなところに...)
表面をパッパとはたくと、汚い文字が書かれているがかすれていて、ところどころしか読めなかった。
(t..p..s...b...なんだ?)
頭を捻りながらおもむろに表紙を開く。
"悪魔がやってくるぞ"
冒険小説か?などと思いながら、興味もないので本を閉じる。
「テトラー!」
呼びかけられ、声のする方向を向く。
「どうしたの」
「みてみて!ここ!」
そう言われ、ライラが指差す方向を見ると、2本の木が不自然に曲がり、アーチをなしていた。
「わーい!」
そう言いながらライラはそれをくぐる。
もー、といいながらそれを追う。
リーン
鈴の音がなった。
痛む頭を抑え、しばらくしてから上を向く。
そこは、一面の雪原であった。
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「わぁ、綿菓子みたい」
「すごい発想力だね」
となりでおちゃらけた事を言うライラに反して、私の頭の中は混乱でマックスだった。
(家族は?学校は?帰れる?数学受けないと。死んじゃうのかな...)
「わ!」
「わぁぁぁぁっぁあ!!!」
「あっはは!!そんな考え込まないでよ」
「もーー...」
ライラがいきなり耳元で叫び、私は恨めしそうに叫ぶ。
しかし、そのおかげで緊張がほぐれたのは事実、ライラに心のなかで少しだけ感謝をし、今の状況を考え込む。
瞬間、頭の中にある違和感が浮かんだ。
私には、ライラの存在が受け入れられないのだ。
もちろん、ライラは今後ろではしゃいでいる。
そして、私は確かにライラという人物を知っている。
小柄で肌と髪の白い、兎のような女の子。
彼女との思い出はある。しかし、何故か思い出そうとした時、記憶の中の彼女の顔が思い出せないのだ。
まぁいいかと思考を放棄し、ライラに呼びかける。
「ライラーーーえ?」
ライラはおらず、代わりに背景では暴力的なまでの嵐が吹き荒れていた。
「ライラ...ライラ!!!」
あたりを見回してみてもそこにライラは居ない。
だんだん視界は白銀に染まり、完全に色を失いーーーーーーー
「は」
気づくとそこは漆黒の世界だった。
「え、え」
目に届く光はなく、まるで急に盲目になったようだ。
"悪魔がやってくるぞ"
不意にそんな記述を思い出す。
しかしだんだん意識が薄れていき、そんな思考も浅くなっていった。
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「テトラー!あんまり遠くまで行きすぎないでねー!」
「はーい!」
家族が一度だけ連れて行ってくれた室内遊園地。
雪原のように綿の敷き詰められたタータン。
一緒に遊んでるこの女の子は誰だっけ。
「テトラ!上!!」
リーン
鈴の音が鳴る
それっきり行かなかったのは、なんでなんだっけ。
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頭の重みを感じる。
気づくとそこは家だった。
「う...うぅん...」
「!テトラ!気づいた!?」
「お母さん」
あぁ、よかったと親に抱きかかえられるうちに、意識がはっきりしていく。
頭に血が巡り、思考が動き出す。
「ライラ!お母さん!ライラは!?」
「?ライラって誰?テトラ、あなた一人で道で倒れてたのよ!」
え、そんなはずがあるわけない。
私はライラと...
ライラ...
ライラって
誰だっけ。
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私は、朝学校に行く途中の道、何故か低体温症で倒れていたらしい。
家を出てから倒れるまでの記憶はまるで修正液で塗りつぶされたかのようにぼんやりしているが、兎のような女の子の姿ははっきりと思い出せる。
しかし、その名前と顔は覚えていなかった。
「テトラ、どうしたの?」
「え、あぁ次体育か。一緒に行こ」
サッカーめんどくさいねー、などという言葉をかわしながら、移動する。
今日は12月24日
校内はクリスマスの話題で持ちきりだった。
ケーキ予約した?プレゼント交換しよ!サンタさんにお手紙書いたー?
雪、降るといいね
渡り廊下に差し掛かり、友達と駄弁りながら歩く。
リーン
鈴の音がする
シャン
音のした方向を見ると、地面に鈴が落ちていた。
「あれ」
「テトラ、どうしたの?」
「ううん、なんでもない。先に行ってて」
変なのー、と嘲る友人を横目に、鈴を拾いに行く。
「綺麗...」
それは、空から降る雪と兎の描かれた、透明な鈴だった。
ねぇ
呼ばれたような気がして、振り向く。
小さな女の子が一人、立っている。
「その鈴、気に入った?」
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「わー!しろーい!綺麗!綿菓子みたい!」
「テトラ!遠くまで行きすぎないでね!」
「はーい!」
綺麗!もふもふで真っ白!
「ねぇ」
「え?」
わー!白くてかわいい!兎さんみたい!
「どうしたの?」
「私、初めてここに来たんだけど、よかったら遊ばない?」
「えー!私も初めてなの!私テトラ!あなたは?」
私は、ライラ
「えー友だちになろう!」
「いいよ、いっしょにいっぱい遊ぼうね!」
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「今日から四年生だね!」
「ね!」
新しく始まる一年に、胸を膨らませていた
「テトラ!上!」
え?ママ?
「ライラ?」
真っ白だったのに、真っ赤っ赤
リーン
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「あ」
12月25日
時刻は20時40分だった。
とっくに授業が終わり、真っ暗な校内で、私は一人。
ゆっくりと歩みを進め、渡り廊下へと向かう。
リーン
渡り廊下に着くと、鈴の音が鳴った。
もう頭痛はしない。
立っている少女が振り返る。
「やっと、思い出してくれた?」
「うん」
気づくと少女の姿はなく、空には季節外れな琴座が煌めいていた。
ごめんね
気にしないで
そのまま、階段を登り屋上へと向かう。
施錠されているはずの鍵はなぜか開いており、屋上では風がびゅうびゅう吹き荒れていた。
「ライラ、飛ぼう」
屋上の柵を越え、そこから飛び降りる。
透明な鈴は手から離れ、体は加速度を持つ。
テトラ、君は飛ばないで。
がさりと音がして、体が木に引っかかった。
痛む体を気にするまもなく、地面を確認する。
パキン、何かが砕けたような音と共に鈴は割れていた。
"悪魔がやってくるぞ"
いつの間にか、目からは涙がこぼれていた。
その日は、50年ぶりに、空から白い、冷たい、綿菓子が降った。