密かに、けれど確かに事は進むⅡ
塀の中、つまるところ海軍省の敷地は基本的に平坦な道が多い。
これは、土地に由来するところもあるが、省庁の設置されている土地というのは割とそういうものが多い印象を受けるだろう。
それもそのはず。省庁に行く人間、いる人間というのは移動が多いうえに、命を狙われる可能性もある。そういったことに対処しやすいように、あまり階段は設置されず、開けた道になっているのだ。
まあこれは余談なのだが、先程言った通り、省庁には命を狙われるものが多い。
そしてそういう人間は、自然と近くにいる人間や自分の置かれている環境を観察するようになる。それは、いついかなる状況で命の危険にさらされるかわからない、軍人という職業に就く人間はなおのこと。
そんな人間が集まるここ海軍省で、軍服でもなく背広や燕尾服ですらない、袴に着物の人間が歩いていれば、道行く軍人が振り返って二度見したり、嫌疑を極めた目線でこちらを見てくることも自然の理だろう。
そして、そんな数奇な目線を向けられながら、本庁舎に向かうこと十五分。ようやく、自分をここへと導いた少女を見つけた。
紺色の第一種軍装を身に着け、腰にサーベル型の軍刀を提げた黒髪の少女だ。
その少女が、目に映った瞬間、情けないまでも少しの安堵感を覚えてしまった。そして、その一方で、不安げに、もしくは、申し訳のないような声音で少女へと言葉を発する。
「ご無沙汰しております閣下。出合頭に聞く質問ではなく非常に恐縮なのですが…」
その言葉を聞いた瞬間、少女の瞳が困惑の色を纏う。
「なんでしょう?」
小さく「すぅー」という息を一つ。
「お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
少女の瞳が、困惑の色から奇怪なものを見るような目に変わった。
「今更ですか」
呆れ交じりのその声は、なんだかんだ、今まで聞いた少女の声の中で一番冷たいように聞こえた。
「…閣下、失礼ながら申し上げますが…」
「みなまで言わないでください…。わかってますから」
僕と少女は、二人で庁舎へと続く舗装されたコンクリートの道を、どんよりとした空気を纏いながら進んでいく。
もちろん、先程の会話というか質問の所為で、僕の顔にも少女の顔にも笑顔の色はなく、少女に関しては呆れたような冷めたような表情で僕の方を見てくる。
「…いやまあ、初対面の時に一方的に名前を聞いて帰ったのは私ですけど、流石に二回目に会った時に聞きません?」
返す言葉もない。
「…まあいいです。私はこ…」
「こ?」
少女の言葉が唐突に、それも一言目という何とも不可思議でしかない場所で止まる。
「こっ、黒城!黒城綾です!」
「え?こはどこn…」
「いいんですよそんなこと!…!ほら、着きましたよ、帝国海軍省!」
少女が指を指した先には、確かに立派な煉瓦調の建築物があった。
正面から見たところ、恐らく横長のそれは、本来貴重であるはずの硝子を惜しげもなく使用しており、頂点の部分はドーム型という何とも不思議な形をしている。
しかし、不思議ではあるものの、おかしなところは一切なく、何とも理想的な形。つまるところ黄金比というやつなのだろうか?目新しい西洋建築ということもあるのだろうが、一言で言うならば、そう…
「格好いい…」
「ガキですかあんたは」
やっぱり、少女は僕に対して冷たい言葉を返してくる。