密かに、けれど確かに事は進む
僕と、少女が話し合いをしてから数日が経ったある日、ついに帝国海軍省から出頭命令があった。
どうやら、正式な士官として任官するための書類の作成のためというのと、一度任官する前に、海軍大臣と会っておいたほうがいいということらしい。
海軍省の庁舎は、赤煉瓦で築かれている本庁舎(第一庁舎)、本庁舎から向かって右側に第二庁舎、向かって左側に第三庁舎があり、少し離れたところにこれまた赤煉瓦でできた倉庫群が六つ。
そして、それら全てを囲むように塀があり、本庁舎に一番近い正門には、衛兵隊司令部という海軍省近辺の警備を担う部隊の総司令部が設置されている。
本来であれば、海軍の軍人以外は事前の許可なしには入れないだろうが、今回はさすがにあの少女が話を通しているだろうと、それこそ正門の前で銃を携え、不動の姿勢をとる兵階級と思しき男の方へと行く。
「失礼、軍人殿。本日…」
今更ながら、とても重要な事実に気付いた。
僕の名前をあの少女は知っているが、僕はあの少女の名前を知らない。
額から頬へと一筋に汗が伝う。
どうするべきか?
少しずつ、目の前に立つ兵士の顔が不審げなものへと変わる。
「…失礼ですが、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
にわかに不審者を見つけたという目をしながら、無理矢理逸る気持ちを押し付けたような男の声が飛ぶ。
…いや、逆にこれはチャンスなのでは?
「私は夜叉人篤人と申します。本日は海軍大臣閣下に御用があり参りました。」
こちらも、逸る気持ちを無理矢理に押し付けて、できるだけ事実を淡々と告げるように言葉を放つ。
すると、海軍大臣という名前を聞いての事か、兵の肩が小刻みにガタガタと震えだす。
「夜叉人…篤人殿ですか…?」
うん?僕の名前の確認?要件ではなく?
少しの間、頭がフリーズするが、あまりにだんまりを決め込みすぎると、怪しまれると思い肯定の意志を示すように「ええ」と返す。
「こちらで少々お待ちください。司令部にて確認してまいります。」
そういうと、男は駆け足で衛兵隊司令部の建物の中へと向かっていった。
そして、男が入って数分もたたないうちに、にわかに司令部の中が騒めき立つ。
どうかしたのだろうか?
不自然には思いつつ、待てといわれれば待つことしかできないため、門の脇にある歩道の方へと避けておく。
そうして、五分ほど経ったくらいで、先程の男よりも階級の高い少尉の肩章を身に着けた男がこちらの方へと向かってくる。
「お待たせしてしまい申し訳ありません。確認が取れましたのでどうぞ先へとお進みください」
何とも言えないような声色で、士官の青年は正門を通る許可を出してくる。
何故わざわざ士官が?そう思いはしたが、別段気にすることでもないかと、青年の方へと一礼し「失礼」
と一言掛けてこの場を後にしようとする。
しかし、庁舎の方を向いた瞬間、青年の方から「あの…!」と声を掛けられる。
「…何でしょうか?」
僕と青年両方から、緊張したような雰囲気が流れる。
まさか、何か問題が…?
そう思ったが、次の瞬間に青年が言った言葉で、そうではないのだと気づく。
「あの…陸軍の、我が国の英雄である夜叉人殿のサインを頂きたく…!」
そういいながら、青年が後ろに隠し持っていたであろう色紙をこちらへと、まるで告白のためのラブレターでも渡すような感じで突き出してくる。
…なんだ、心配して損したな………。
そう思いながら、色紙を受け取り名前を書いて返すと、再び庁舎の方へと歩き出す。
後ろから聞こえる「よっしゃー!!!」という、青年の声を聞こえないふりをしながら。