訪れは唐突にⅢ
「それでは、こちらの書類をお受け取りください」
少女はそういうと、鞄の中から先ほど出したものよりも質の良い紙を差し出してくる。
「この紙は…随分質の良い物のようですが…」
「こちらは海軍省…というか軍事に関する省が、民間に協力を要請する際に使用する契約書のようなものです」
少女の言うように、紙には「民間用軍事協力要請書」と書かれており、内容も、要請を受けた事柄に関しては他言してはいけないなど、ありふれた文言が、何条も書き連れているだけだ。
…しかし、そんなありふれた文章の中に一つ、気になる部分を見つけた。
「少将殿。こちらの、【第二十七条 六項 民間ニテ主要ナル役割ヲ果タス者ニハ軍役者ノ階級ヲ与フ。】との記載がありますが、どういうことでしょうか?」
「そちらに記載のある通りです。主要なる役割…つまるところ責任者に対して、特例的に協力要請した軍隊が士官階級を与えるというものになります。今回に関しては、夜叉人殿本人がその対象者となりますね」
「…私に、海軍の人間になれと?」
この一言だけは、今までにないほどに冷たく、いうなれば、刀を相手の首元に突き立てるような具現化した殺意を纏った言葉。
しかし否応でも、その発言に対しては、その言葉に対してだけは、言いようのない程怒りがあらわになってしまう。
元々、陸軍に所属していたこともあり、同じ国の軍とは言え海軍には少し敵対意識があることは認める。しかし、その行為だけは、転軍するということだけは、死んでいった戦友を辱める、災厄の侮辱だ。
だからこそ怒りを抱かずにはいられない。
しかし、少女はただ淡々と事実を述べるように、しかし、先程と変わらない優しい声でもって言う。
「夜叉人殿のお怒りも最もです。ですが、閣下も元軍属でいらっしゃるのなら、軍隊という組織で階級というものがどれほど重要かご存知でしょう?」
全くの正論に、返す言葉も思いつかない。
少女の言うように、軍隊という組織では、階級という制度の上に人間関係が成り立つ。
そんな組織に、少尉の階級章すら付けずに出れば、見鬼の力を持つ者を仲間に引きれるどころか、会話をすることすら難しくなってしまうだろう。
「それに…」と、少女は言葉を続ける。
「閣下も周知の事でしょう?軍人は死後あやかしになりやすい。それこそ、戦場で死んだ兵士ともなればなおさら…」
悲壮さを漂わせたような少女の声が、暗く暗雲とした雰囲気となって僕らの居る一室に香る。
…そうか、この子も大切な誰かを失ったのか。
「だからこそ、閣下には今もこの世に怨念と共にさまよい続けている同胞たちを、戦友を救っていただきたいのです…!」
少女の、決意に揺れる瞳が僕のことを捉える。
「どうか、戦場お戻りください、夜叉人篤人陸軍少将閣下」
…共に生き、共に戦った兵士、士官、参謀諸君。
僕…私は、軍人としての矜持だけは、帝国陸軍軍人としての矜持だけは決して失わんと固く誓ったつもりだった。
だが、今日を持って、私は君たちとの約束を違えることになる。
裏切る、友人不幸者の私を許してくれとは言わないし、見守っていてくれとも言わない。
ただ、君たちの死後に、来世の人生に幸多からんことを願う。
「謹んで、拝命致す」
その言葉を聞いて、少女の口が、まるで下弦の月の様に薄く開かれる。
「おかえりをお待ち申し上げておりました。閣下」
まるで、ことがうまくはまったとでも言いたげな、薄ら笑いを浮かべた表情で少女は言った。