冬季大演習 Ⅱ
ローズウッド製の床を踏みしめ、右側が窓で、外の景色を望めることのできる「唐の道」と呼ばれる廊下を通ってその場所へと向かう。
一つ、二つと洋扉を越え、六つの襖を越えた辺りでその部屋は現れた。
今まで見てきた入り口用のものとは明らかに違う、立派な桜と椿が描かれた襖だ。
それに加え、先程のものにはなかった鍵穴がその襖には空いており、部屋の特異性が伺える。
トントントン
本来、扉に向かってするはずのノックを、清は何の迷いもなく襖に向かってする。
【誰だ】
見知った老人の声だ。
しわがれた声のはずなのに、一本の筋が通ったような気迫と、尋常ならざる重みを備えたその声は、確かに自分が知っている人物同様のもの。
「黒条清陸軍大佐であります。夜叉人篤人大佐を連れて参りました」
【そうか…入れ】
「失礼いたします」
短い返事と同時に、清が先導し、後を追う形で私が入室する。
部屋にいたのは、一人椅子に腰掛ける白髪の老軍人と、その老人の前に不動の姿勢で横一列に立つ将官と思しき四人の軍服姿の男。
そして、少し離れたところに燕尾服にシルクハットを被った女だ。
「遅くなり申し訳ございません。陸相閣下」
最敬礼の姿勢を取りながら、普段の清とは違う色のない声で、部屋における最上位者である陸相に向かって奉るよう仰々しく言う。
「構わん。さて…」
陸相が、座っている椅子から腰を上げる。
その瞬間、横一列に立っていた男たちの中で内側に立っていた三人の男が、右側に二人、左側に一人後方へとズレて、列に穴を開ける。
そして、その穴を通って陸相がこちらへと向かってきた。
「夜叉人大佐。貴官は何故ここに呼ばれたかわかっているか?」
「いえ。黒条大佐より連行するとのみ伝えられここまで参りました」
「そうか…。黒条君。君は少々冗談がすぎるな」
「……へ?」
そんな、黒条の気の抜けた声が、物音一つたたない静かな部屋に響いた。
「おい!てんめゴラァ!」
上官が、複数人も同じ場所にいるにも関わらず、思わずそんな風な粗暴な言い回しをしてしまう。
けど、今回に限っては流石にしょうがないだろう。
なにせ、こちらは軍法会議に掛けられるのも覚悟していたのだ。
「いやいやいやいや、あれは陸相閣下の言い方が悪いでしょうよ!」
そんな、私の身中を察せずに、親友は陸相への責任転嫁に走る。
「いや私はただ【以前の手紙の礼がしたいから、もし夜叉人くんがここに来たら私の部屋に連れてきてくれないか?】と言っただけだ。それを勝手に解釈して連行という形で連れてきたのは貴官だろう」
「いやいや、お言葉ですが閣下…!言い方ってもんがあるでしょうよ!」
いや…まあ、どっちもどっちだな…。
なんの協調性もなく、生産性もないそんな応酬が二度三度繰り返された時だった。
「閣下方。申し訳ありませんがそろそろお話の続きを…」
困ったような声を上げたのは、燕尾服に身を包んだ女性だった。
「ああ…!申し訳ない、阿栗殿」
名前を呼ばれた瞬間、先程まで立っていた自分の位置を離れ、こちらへとその女性が寄ってくる。
「こちらにおるのが、例の計画の現在の指導主任を勤めている夜叉人大佐です。夜叉人、挨拶を」
陸相が、丁寧な物言いをするということは他の省の高官か何かか?
まあ、例の計画というのは特○壱計画のことで間違いない無いだろうが…。
「お初にお目にかかります。帝国陸軍より、大佐の位階と第一特務連隊連隊長の任を賜っております、夜叉人篤人と申します。どうぞお見知りおきを」
すると、被っていたシルクハットを脱ぎ、ウェーブのかかった見事な亜麻色の髪を露出させると、脱いだ帽子を胸の前へと持っていき、丁寧な仕草で一礼をする。
「ご丁寧にありがとうございます。大蔵省にて大臣官房を勤めさせて頂いております、阿栗夏乃と申します」
女性は、握手を求めながら、出来の良い笑顔を浮かべた。
そう、女性が浮かべた笑みは、まるで、道化のように薄っぺらく、嘘くさい、なんとも形状し難い曖昧なものだった。




