悪魔は嘲笑う
「…そうか、なるほど…な。」
酷く心は揺れているはずなのに、頭はひどく冷静で、何となく納得してしまっている自分もいる。
つまりは、そういうことなのだ。
「今まで何回私の感情を操った?」
最近になって、もっと厳密に言うならば、彼女と出会ってから、異常なまでに感情が激情へと変わる。
違和感は無かったし、不思議にも思わなかった。
しかし、それこそが、黒条家の異能が使用されている証なのだ。
違和感なく、他者の感情を操り、能力者の意のままに扱う。
意識することはできず、意識しなければその異変に気付くことはできない普遍的な力。
どれだけ力があろうと、無意識の領域に干渉されてしまえば、いかなる強者であったとしても、十分に力を発揮することはできない。
そんな、理屈上は可能であって、実際には不可能なことを平気で成してしまうのが、この少女の…黒条家の異能なのだ。
「…閣下にはほんの数回程度かと」
妙に含みのある言い方をしながらも、ただ淡々と告げるように少女が言う。
しかし、少女が能力を使ったことを否定しなかったということは、つまり。
「お前も、私と同罪だな」
この少女も私と同じ、無許可で自家固有の異能を使ったということだ。
だが、黒条は一切悪びれた様子もなく、黒城を名乗っていた時と同じように、笑みを含んだ明るい、否、明るいように聞こえる声音でもって言う。
「私の方が、閣下よりも罪は重いですよ」
そういうと、懐から一通の茶封筒を取り出し、こちらへと投げつけてくる。
「私は、今日を持って海軍少将の地位を返上いたします。どうか元帥閣下によろしくお伝えください」
表面には、辞表と墨を用いた達筆な文字で記され、裏表紙には黒条綾音というフルネームと、今日の日にちが描かれている。
本当に、何一つ違和感もない、正真正銘の辞表だ。
「どういうことだ?」
唐突の事で、少し声が震える。
「別に、どうもこうもありませんよ。ただ海軍を辞めるだけです」
先程と変わらずに、黒城の声のまま、、黒城らしくもないことを言う。
僕も、軍隊に所属していて、何かのきっかけで辞めることは珍しくない事は分かっている。
だが、今の黒条は、直感的に辞めさせてはいけないと、頭が、心臓が警鐘を鳴らす。
ひたすらに、僕と黒条の間に冷えた空気が流れる中、俄かに外が騒がしくなり始めた。
それも、僕もよく知っている、革製の軍靴特有の足音が十人、二十人分聞こえてくるのだ。
飲みに来た軍人の可能性もあるが、恐らくそれは、希望的観測だろう。
そう結論付けた瞬間、店のドアが勢いよく開かれる。
「憲兵隊である!国家転覆罪の容疑で、黒条綾音少将には憲兵隊司令部までご同行願いたい!」




