7-15、橋の上を駆ける光
「ゲホッ、ゲホッ」
飲んでしまった水を吐いて、目を開けると、猫の爪のような細い月が見えた。
辺りには沢山の人がいて、みんな呆然として辺りを見回している。
周囲にいる人で、動ける人は、ぐったりしている人を岸に引き上げている。
ボクもデュカスの服をつかんで、ズルズルと川辺に引き上げた。
……国境の橋が見える。ここは多分ヘリオニアの川辺だ。
「おいデュカス、助かったようだぞ、良かったな?」
振り返りデュカスを見ると、ぐったりと目を閉じている。
月明かりに照らされて、真っ白に見えるその顔は、死人のように見えた。
「バカかお前、外に出られたのに死んでいる場合か?」
ペシペシとその頬を叩くが、反応がない。
鼻と口に手を当て耳を近付けるが、息をしていないようだった。
「……うわ、こういった時は何をするんだっけ?」
さっきオレグは胸に手を乗せて、体重を掛けて押していた。それをやってみるが反応はない。
胸を押しながら、クレアが言っていた事を思い出した。溺れた人が息をしていなければ、胸を押して口から息を吹き込むと。
ボクはデュカスの鼻をつまんで、フーッと息を吹き込んだ。
胸を押しながら、反応を見るが、変化が無いのでもう一度。それを繰り返したら、三度目にデュカスがゲホゲホと咳き込んで、川の水を吐いた。
……良かった、生きてた。
「じゃあボクはミレイの所に行くから、デュカスは頑張ってオッサンから逃げろ? せっかく助かったんだから、死ぬなよ?」
寝転がっているデュカスの頭を撫でた。立ち去ろうとすると、足をつかまれて転ぶ。
「最後の最後で、何すんのさ?」
キッとにらむと、デュカスは微かに口を動かした。何か言いたいのかと、地面に手を付けて耳を寄せる。
「渡り屋に頼んだ理由な」
「ほほう、最後に打ち明けたくなったんだな? 聞いてやろう、いいたまえ」
そう言うと、デュカスは弱々しくも笑う。
「ずっと好きだった。気を引きたくていじめていた。教会爆破事件でさっきの黒服と見間違えた事を本当に悔やんでいる、それが理由」
「……それ、理由になってなくない?」
……好きといじめるが繋がってないよな? 嫌いだからいじめるもんだろ?
デュカスは震える手で、ボクの髪に触れた。髪はずぶ濡れで、ポタポタと水が垂れている。
「綺麗になったよなぁ……昔から顔が綺麗なガキだったけど、花祭では驚いた」
「それは、どうも?」
「お前、本気で俺の事を嫌っているよな……もう俺は放置して、とっととどっかいっちまえ」
「はいはい、じゃあな、もう会わないだろうけど、しぶとく生き抜けよ」
ボクはデュカスのおでこをペチッと叩いて立ち上がった。
「アズリア様」
「ギャオン!」
背後から突然声を掛けられ、心臓が飛び出たかと思った。振り向くとサニアが立っていた。
サニアは手際よくボクの健康チェックをする。
「あ、健康ですね、良かった。オレグがわけのわからん情報を飛ばしてくるから、うちらに激震が走りました」
「……えー、オレグは、なんて?」
「姫、薬、精霊視剥奪」
「あー、そんな時もあったよ、一応嘘ではない」
主にオレグの馬鹿力で押さえつけられて大ピンチになったのだが、まあ嘘ではないな。
サニアはわけが分からないと、首を傾げた。
「壁の中にミレイを置いて来たんだ、ちょっと回収しに行ってくる」
ザバザバと水を撒き散らしながら岸に上がると、黒い大きな影が目の前に現れた。
その腕にはミレイを抱えている。
「ありがとうバルバスさん、ミレイは水の外にいたから、置いてきぼりにしたかと思ったよ」
「私たちも、壁の中におりましたので」
「あそこにオレグ以外もいたんだ、全然分からなかった!」
「闇の精霊は血にも強いので」
……流石ダークモスさん、ワガママなサラとは違う!
そう思っただけなのだが、サラが体から飛び出て驚いた。
「サラ、ゴメンネ、サラはワガママだけど、そこが好きだからね?」
浮気がバレた恋人のように弁解したが、サラは気にせず、どこか遠くを見ている。
バルバスもサラの視線の先を見て呟く。
「あれは、精霊視抹殺団?」
「えっ、大公が私兵を出したと言うこと? 壁から助けられた人の口封じに?」
「恐らく、その理由で正解でしょう……」
……正解と言われて、嬉しくないことは初めてだよ!
「でもムストニア側だよね、こっちに来るかな? 国境を越えるのは大変だった筈」
「それが、精霊視狩りは島全体で行われているものなので、恐らく国境は機能致しません」
「無能な国境!」
いや、これはどうするべきなんだ? ここにいる人を逃がすか、大公の私兵を蹴散らすか、他は何だろ、大公の動きを止める?
「ボクの頭の悪さに絶望した! 対策が思い浮かばない!」
ワッと嘆くと、バルバスが「先導」と呟く。
「この川辺はまだ気がつかれてないでしょう、私も出来る限り、闇の精霊に隠すようにお願いしますので、あの軍隊の行き先を他所にに向けてほしいですね」
「……と、言うと?」
「夜なので光や火はとても目立ちます。アズリア様が火を纏って、橋を渡りヘリオニアの道を真っ直ぐに駆け抜けていただければ、こちらに向かわれる公女様の馬車と落ち合える筈」
「分かった、国境の橋から真っ直ぐだね?」
ボクはサラに服を乾かして貰って、国境にかかる橋のムストニア側に転移する。
サラの炎で燃えてしまうから、乗り物は使えない。でもボクには足と転移の力がある。
「サラ、君がどんなに美しいか、みんなに見せてあげて!」
『ハーイ』
橋の上で手を上げて、夜空を突き抜けるような炎を高く吹き上げた。
炎はサラだけでなく、眷属も出てきて、沢山のトカゲが楽しそうに踊る。
「あそこに、精霊石の炎が!」
大公の兵団がボクに標的を定めた。国境は門を広く開け、兵団を通す。
ボクは兵団の姿が見えると、橋の中央に転移して、またサラに火柱を上げて貰った。
……あっ、転移と火柱セット、地味にキツイかも、あと何回これを繰り返せるかな?
『あと二回ねー、アズリアヨワヨワー』
「夕飯食べそびれた弊害で霊力減に?」
せめて川から離れないとと、ヘリオニアの道に飛ぶ。
火柱を上げようと手を上にかざすと、目の前に馬が現れ、白くまばゆい光を放った。
「えっ、もしかして、聖獣王? また馬に憑依?」
『馬は燃えたら死ぬので、岩だな』
白く光り輝く聖獣王は、ボクの前に伏せるように屈む。
触れてもいいのかと迷う暇も無く、ボクの体はフワリと浮かび、聖獣王の背中に乗せられた。
「えっ、手綱がないんですが、たてがみつかんじゃって平気ですか?」
『元は岩だ、気にする事もない』
「失礼します!」
綺麗なたてがみをつかんで、上体を伏せると、聖獣王は軍団から逃げるように橋を駆け抜けた。
……早い、景色が溶けて、後ろに向かって飛んでいくみたい。
光る一角獣に跨がるボクの姿は、殆どの人が視認出来たようで、橋の下ではざわめきが起こった。
「聖獣王……?」
「実在したのか?」
デュカスは川辺に倒れてそれを見ていた。
デュカスの口に解毒剤を突っ込んで飲ませていたサニアも、驚いて手を止める。
「スゲーなあいつ、ここにいる殆どの者に聖獣王を見せている」
その白く目に焼き付くような光の線を見て、サニアの目から涙がこぼれ落ちた。
「……怖いおねーさんを泣かせるとか、あの王子様は罪深い」
「アズリア様のせいじゃないですよ、精霊を見たのは久しぶりなので、つい昔を思い出してしまっただけですわ」
「おねーさんとは十年前に出会いたかった」
「そういった軽口を叩くから真面目な姫に嫌われるんですよ?」
アハハと、川辺でデュカスは笑った。
炎を出す人間を追いかけていた大公の私兵は、追い掛けていた者が光る馬に乗るのを見て、酷く驚いた。
「早い? なんだあれは?」
「追い付けない!」
私兵の半分は大陸から来た者なので、島の神が一角獣であることを知らずに、化け物のように恐れおののいた。
「乗っているのはただの小娘だ、あやかしの類いではない、追え!」
大公は馬に乗りながら、足を止める部隊を鼓舞した。
失速していた兵は、声を聞いて馬を走らせる。
光る馬を追い掛けることしばらく、白い馬は速度を落とし、道に止まった。
光る馬の奥には馬車があり、中から聖王子が降りる。
聖王子は馬車に手を差しのべ、白いベールを纏う小さな女を馬車から下ろした。
『スファレ、こっちも頼む』
聖王子は馬にしがみついているアズリアを馬から引き剥がし、抱き上げる。
白く光っていた一角獣は一度強く輝くと、光を空に送りながら、路傍の石に変わった。
「……うわー、怪奇現象を見ちゃった」
白いベールを被った公女は、息子にしがみついて泣いているアズリア姫を扇でつつく。
「ひめー、ひめー、朝だよー泣くのをおよしなさーい」
「……ぶわ、こうじょさま、何でここに?」
「その鼻水をお拭きなさい、貴女が今抱きしめている人に連れてこられたの。後宮から出るのは何年ぶりかしらね、空が広いわ」
三人で空を見上げていたら、黒い軍団が近付いて来た。
馬の上から、大公が呆然としてこちらを見ている。
「レイティナ……なんでこんなところに?」
「あら、お久しぶり。暫く会っていなかったけど、王兄の論文は読んでいたから、あまり懐かしい気持ちにはならないわね」
ヘリオニアの公女は、スカートをつまんで優雅にお辞儀をした。
「いにしえの双子の地、島を二分する兄弟よ、私は久しぶりに外に出ましたの。どこか話し合う場所を作って貰えないかしら?」
「なら、オスドニア公にお頼みしよう、今案内する」
大公は私兵に命じ、オスドニア公に早馬を寄越す。そして、公女様の馬車を先導するように、黒い軍団はムストニアに戻った。
ボクは公女様の馬車に乗せられて、オスドニアに向かう。
ボクは汚れているので、綺麗で高そうな白いベールに触れないように間を開けていたら、スファレ王子がマントを貸してくれた。
「助けていただいてありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、ヘリオニアの民を助けていただいたお礼を申し上げます」
「いや、ボクは助けてないから、川原に転移したのはスファレ王子でしょう?」
「……王子」
「ス、ファ、レ! の手柄でしょ、こっちがお礼を言うほう!」
呼び方とお礼について話していると、透けたベールからの公女様がニヤけ顔が見えた。
「……どうして、公女様をこんな所に?」
「化け物には化け物で対処するしか無いでしょう、本人も、わーい旅行だー公費使っちゃうよ? とかはしゃいでおりましたので、気にしなくてよろしい」
「わーい……って、言うの?」
「言いますわぁ……わぁい」
……うわ、可愛い。ミレイに匹敵するあどけない声!
しかし、母上と馬車で移動しているのに、どうやって壁の中から沢山の人を転移させたんだ? スファレ王子の服は全く汚れてないぞ?
「母上が、あのニヤケ顔から転移の精霊石の作成方法をお聞きしまして」
「聞いたんじゃないわ、買ったの! ぼったくられたわ!」
「転移の精霊石! そういえば、名無しの館の人は皆持っていたな、そうか、石で特定の場所に転移させることが出きれば、バラバラの場所にいる人を一気に転移出来るのか!」
「おおむねその推測で合っております」
……いいなー、転移しても燃えないの、いいなー。
「ハッ! もしかして、莫大な費用がかかっていませんか? 精霊石の大量消費とか恐ろしいんですけど?」
「そうね、これから一生かけて、姫に返済して貰おうかしらー?」
「わぁぁ! 火の精霊石なら多分量産出来るので、毎月送るとかでなんとか……」
「化け物に餌を与えないでください」
自分が出来そうな返済方法を口にしたら、スファレ王子に怒られた。
化け物呼ばわりされた母は、息子を扇でつつく。
前門の虎、後門の狼というか、次から次へと怖い人に巡り逢うボクは、何かの呪いに掛かっているのだろうか?
オスドニアに向けて走る馬車に揺られていたボクは、いつの間にか深い眠りに落ちていた。




