1-2、精霊魔法は制御がきかない
「明日の建国祭に、南国の聖王子が来るから、時間調整しとけよ」
「はい、承知いたしました」
ムストニア国の謁見室、玉座の前でボクは父上に礼をした。
謁見室のよく磨かれた床の上を、キュッと音を鳴らして回れ右。そのままカツカツと足音を立てて退室する。
たとえ話し相手が父親でも、謁見室には人目がある。
偉そうにしている父上を見習って、ボクは真面目な顔をしてキビキビと歩く。
角の通路を折れて、護衛騎士の目が無いことをいいことに、ハーッと大きな溜め息をついた。
「……建国祭……遊びたーい。明日は城下町に行きたいよ……」
ひと気が無いのをいいことに、窓に寄りかかって項垂れる。
――建国祭。
うちの国の歴史はとても浅い。
というか、塗り替えたばかりと言うか……。
ボクが生まれる前うちの国は、世界樹の小枝を擁する精霊国だったが、その世界樹の枝が燃えて、国が一度崩壊した。
十四年前までは、国権は教会のほうが強かった。
しかし、大陸から入ってきた新教と旧教の間で戦争が起こり、国権を握っていた旧教が敗れ解体され、戦争に勝った新教は、国権を王家に譲った。
それがボクが生まれた年と同じなので、ボクと国の年齢は同じ十四歳だ。
……神様のすげ替えとかわけがわからん。
窓の外には人が行き交う城下町と教会の尖塔が見える。
町は明日の建国祭の準備で大忙しだろう。
「……行きたーい、手伝いたーい」
ボクの座学の先生はかなりお年寄りで、午後は必ず寝落ちをする。
ボクはその貴重な時間を社会勉強に費やすことにしていた。
平たく言うと、王家の非常口を使って城を抜け出し、平民の格好で町の仕事をしているのだ。
仕事と言っても二時間程度しか抜けだせないので、商会で掃除したり荷物を運んだりしてる。
それでも読み書き計算が出来るボクは可愛がられていて、出店のお菓子を買う程度のお金は貯まっていた。
お金は非常口の壁に隠している。普段城から出ることの無いボクにお小遣いなんてないので、自分で稼いだお金は大事にしたいものだ。
「今年の祭は綿菓子とか飴が出るんだよなー」
長年交流の無かった南の国ヘリオニアと、昨年ようやく国交が回復した。それが砂糖。暖かくて降水量が多くないと育たないらしい砂糖の原料。北の木の樹液とは違った甘味と砂糖菓子。
「たべてみたーい、でも時間なーい」
窓に向かって溜め息をついていると、首筋にチリッと嫌な感じがした。
慌ててしゃがみ、上を見る。さっきまでボクの頭があった所にヒトの腕が一瞬見えた。
この豊かなもみあげの持ち主は……。
「なんで避ける?」
「……ゾワッとしたから、避けて正解だろ」
忍んで近寄り、背後から腕の内側で抱え込むように打撃をしてくる。こんな失礼なヤツはひとりしかいない。
「……モルティエ男爵、ボクに何か用ですか?」
「ふん、アズリア殿下には用はないな、窓についたクモの巣を払おうとしただけだ」
「いや、窓綺麗だよね? 毎朝ちゃんとお掃除してくれているよね!」
磨かれた美しい窓を指して文句を言うが、モルティェ男爵……もとい、デュカスは文句を言うボクをニヤニヤして見ているだけだった。
……背後から打撃、またはボクを捕獲しようとしたなこれ。
デュカスは七つ年上の遠い親戚だ。
どのくらい遠いかと言うと、父親の兄の前妻の姉の息子くらい。うん、ほぼ他人。
なのに親戚顔で城に出入りしているし、騎士団ではボクの指導役として執拗にしごかれた。
濃いめの茶髪に茶色の目という、この国ではごくありふれた色の組み合わせ。体格は中肉中背、ボクより頭ふたつ分くらい背が高く、白目が多いがそれなりに整った顔立ちをしている。
……騎士団にいる時はマシに見えるのに、隙があるとすぐに女の所に行っちゃうんだよな、コイツ。
「まあお陰で、城の抜け道とかサボり方を学んだけど」
「教えてないよな? そんな事を教えたとか他所で言うなよ?」
「いや、全てをつまびらかに親に報告していますが、何か?」
会話しつつ、また捕獲しようとするので、一歩下がって回避する。
「何故逃げる? かわいい後輩を励まそうとしただけじゃん?」
「いやー、ムリムリ、本能には抗えないので!」
言いながらも距離を詰めて来るので、背後を見ながら、右へ、左へと後退して行く。
一見ふざけあっているだけに見えるが、ボクは本気で逃げている。
ーー捕まったら死刑の鬼ごっこ。
これは母上からきつく言いつけられている事。
ボクが女であることを、大公派のデュカスには知られてはいけない。
この島の王家に長女はいらない。
バレたらボクは殺される。
なので、絶対にデュカスと、デュカスを庇護する王兄のデュアン大公には触れてはいけない。
まあ別に多少触れてもボクの性別を看破されることは無いだろう。胸とかペッタンコなので多分セーフ。
「……あっ」
考え事をしていたら、逃走ルートを誤って、通路の袋小路に入ってしまった。
これだとデュカスの脇をすり抜けないと逃げられない。
「袋のネズミってやつだなぁ」
デュカスは片方の眉を上げてニヤリと笑う。
それもそうだ、ボクの体格も力も頭も全てにおいてコイツに勝てない。
体勢を低くして脇を抜けるのは……まあ確実に捕まるな。多分蹴られる。かといって体当たりをしたら接触厳禁のいいつけに反する。
……コイツに触らず、この行き止まりの廊下から逃げる方法は?
「無いな!」
五秒考えて、ボクは思考を放棄した。
……困った時は神頼みに限る。
ボクはフンフンと鼻歌を歌いながら、床をリズミカルに踏んで音を出す。
突如歌い出すボクにデュカスは目を丸くしているが、気にせずに体を揺らした。
「……ラ、ララ」
歌詞はうろ覚えなのでハミングで拍子を数えていると、ボクの周りにポワポワと光が集まってきた。
……そう、こうやってボクが楽しそうにしていると、必ず精霊さんが様子を見に姿を現すんだ。
目の前に浮かぶ光をそっと手のひらに乗せるが、デュカスには見えないようで、マヌケ顔というか、怪訝な顔をしている。
「……な、何で突然歌い出した?」
「あー、ホラ、明日は建国祭だし、練習かな?」
ダンスの練習って良い言い訳だな。このまま踊るフリをして横をすり抜けて……は、やっぱムリそうなので、精霊さんおまかせモードだな。
……ボクで遊んでイイヨ、好きにして。
集まった光に心の中でメッセージを送る。
ボクには精霊さんが何を言っているのかは分からないが、どうやらボクの気持ちは伝わるみたいだ。
面白そうな気配を感じたのか、光はワラワラと集まって、ボクの周囲を包んだ。そして、ボクの体がふわりと浮かぶ。
「アハハ、今日は空中散歩みたいだ」
「……アズ、お前、浮かんで?」
空中で歩くのはとても難しく、バランスを崩してクルリと回転する。
すると、透明で大きな柔らかなクッションのような光に触れて、ポーンと天井に投げ出された。
眼下にデュカスの頭の上が見える。
「待てお前、どこ行く気だ?」
「……わかんないよー、精霊さんに聞いて?」
浮かんでいるボクを捕まえようとする、デュカスの手を避けて飛び、天井をキックして空中を泳ぐように先に進む。
開いている大きな窓から外に出ると、ボクを包んだ精霊は、空高く舞い上がり、ボクを城の塔の上に下ろした。
「ありがとー、まさか浮かぶとか思っていなかったけど、お陰で無事に逃げられた」
ボクの周囲をフワフワと泳ぐ丸い光にお礼を言う。精霊さんはしばらく塔の上を見学して、空気に溶けるように消え去った。
「……奥の手を使ってしまったな」
ちょっと前までは信仰の対象だった精霊は、いまじゃ怪奇現象のように扱われている。
今日の空中散歩も以前なら神の奇跡扱いだったんだろう。
まあ精霊さんは気まぐれなので、普段はミルクを酸っぱくしたり、水の色を変えるとか、たいしたことは起こらない。精霊さんの奇跡は何が起こるのかは予測不能なのだ。
逃げたいな。という状況下で、逃げられたのがもう奇跡。精霊さんありがとう。
「それだけ、精霊が見えない人が増えたって事だ……」
日が落ちて来たせいか、少し感傷的な気持ちになったが、暗く長い塔の階段を見てヒッと身構えた。
……どうせなら平らな所に下ろしてほしかったな!
ボクはこれからくらうであろう、乳母のお小言と、母上のげんこつを思い、塔の階段をダッシュで下りた。